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亜炭(あたん、英: lignite[1])とは石炭の中でも、最も石炭化度が低いものをいう。地質学上の用語としては褐炭が正しいが、日本においては行政上の必要からこの語が用いられる[2]。
褐炭が褐色を呈するものが多いのに比べ、亜炭は褐色から暗灰色を呈する。続成作用を強く受けていないため、セコイヤなどの木片の組織が観察されることも多い。仙台市内で産出される亜炭の中には、組織がしっかり残っているものもあり埋れ木として細工物の材料にもなった。
世界の埋蔵量は、褐炭と合わせて、より高品位の石炭の埋蔵量をしのぐ6000億トン以上の規模とされる。日本国内でも埋蔵量は多く、東北地方だけでも3億トンとも推測されている[3]。
品質に関しては褐炭同様、石炭化が十分に進んでいないために不純物や水分を多く含み、得られる熱量が小さいことから、製鉄などの工業用途には向かない。日本では明治年間から1950年代まで全国各地で採掘され、主に家庭用燃料として重宝された。特に、第二次世界大戦中および直後においては、燃料の輸送事情が極端に悪化したため、仙台市や名古屋市などの大都市や、長野市などの中規模都市の市街地などでも盛んに採掘が行われて利用された。岐阜県可児郡御嵩町は明治初期から開発が進み、最盛期には全国産出量の4分の1以上を占め、炭鉱の町として栄えた。
宮城県大崎市は三本木亜炭の産地であり、亜炭記念館には日本最大の亜炭塊が展示されている。
亜炭は不純物が多いために、着火性が悪く燃焼時にも独特の臭気や大量の煤煙を出すことから、燃料事情が好転すると早々に都市ガスや石油などへの転換が進められた。
2000年代の日本では、燃料としての亜炭の使用は皆無であり、輸入された亜炭(褐炭を含む)が飼料の添加物や土壌改良材などに用いられるのみである。
土砂を埋め戻したり、水を注入させ空間を埋めなければ、地震時などに災害が発生することが懸念されているが、小規模な業者や個人による無計画な採掘も多く、採掘場所が不明確な地域もある。
御嵩町は1968年に採掘が終了したが、網の目状に広がっているとされる空洞の全容が解明されず、陥没事故が起こり問題視されている。仙台では幕末から小規模な採掘が行われていたが記録が少なく、1980年代頃から住宅地で陥没が発生しているが、抜本的な対策が講じられない状況にある。
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