カナダのピアニスト ウィキペディアから
マルカンドレ・アムラン[1](Marc-André Hamelin, 1961年9月5日 - )は、フランス系カナダ人のピアニスト。
ケベック州モントリオール出身。5歳でピアノを始め、9歳になるとカナダ音楽コンクールの首席を獲得した。父親は、職業は薬剤師であったが、ピアニストとしても辣腕だったようで、まだ幼い息子をシャルル=ヴァランタン・アルカンやニコライ・メトネル、カイホスルー・シャプルジ・ソラブジの作品へと導いた。そして、ルドルフ・ガンツの練習法から編み出したという『対称的練習法』(Symmetrical Inversion)をアムランに教えた。これは、「レ」もしくは「ラ♭」を中心として右手と対称的な音形を左手に弾かせるというもので、アムラン曰く「脳と手が直結する」練習だという。
イヴォンヌ・ユベールやハーヴィ・ウィーディーン、ラッセル・シャーマンらに師事した後、モントリオールのヴァンサン・ダンディ音楽院に学び、フィラデルフィアのテンプル大学に進んだ。1985年のカーネギーホール国際アメリカ音楽コンクールで優勝。
演奏至難なことで有名なレオポルド・ゴドフスキーやシャルル=ヴァランタン・アルカンのような19世紀の、そしてソフィー=カルメン・エックハルト=グラマッテやレオ・オーンスタイン、ニコライ・ロスラヴェッツ、フレデリック・ジェフスキーなどの20世紀の比較的マイナーな作曲家の再発見に努めてきたことで知られる。かつては現代作曲家の初演を手掛けることもあったが、現在では少なくなった。1989年のゴドフスキー録音(Musica Viva MVCD1026)により、著名な批評家ハロルド・ショーンバーグに「スーパー・ヴィルトゥオーゾ」と称された[2]が、近年のインタビューでは、そのような称号は忌避しており、「作曲家の思想を伝える媒体になることを一番気にかけている」という[3]。
日本へは、1997年(この時はファンによる自主公演)、2000年、2003年、2004年、2005年と2006年に来日している。2001年にはフェルッチョ・ブゾーニの『ピアノ協奏曲』、2004年にはメトネルの『ピアノ協奏曲第2番』の日本初演を行い、好評を博した。
苦労の跡を見せない超絶技巧と洗練された演奏様式によって国際的に有名で、名声を確立したのはアルカン、ゴドフスキー、メトネル、自作のような高技巧作品によってである。ただしアムランは、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカからの3楽章』やリストの『ハンガリー狂詩曲第6番』のような、いわゆる「技巧をひけらかすだけの曲」は演奏しないと語っており、あくまで取り上げるのは技巧と内容を兼ね備えた曲だけだと語っている[4][5]。
ハイペリオン・レコードに多岐にわたる録音を残しており、ゴドフスキーの『ショパンのエチュードによる練習曲』全集は、2000年度グラモフォン賞に輝いた。カナダ政府からはカナダ勲章を、そしてケベック州政府からケベック国家勲章を叙勲された。ジュノー賞のClassical Album of the Year - Solo or Chamber Ensemble部門を1996・97・98年、03年および08年に受賞。
妻のソプラノ歌手ジョディ・カリン・アップルバウム(Jody Karin Applebaum)とは夫婦で共演したCDを出していたが、現在離婚協議中である。アムランは現在、ボストンのラジオ局WGBHのホストを務めるキャシー・フラーと共に同地に居住している[6]。
アムランは『短調による12の練習曲』など、作曲も手懸けている。作品は、抜粋演奏をフョードル・アミロフがチャイコフスキーコンクールの予選会で披露したように、作曲者以外によってもしばしば演奏されている。
演奏する曲の中でアムランの持ち味である技巧を駆使して個性的な編曲を入れることがある。その例として、リストの『ハンガリー狂詩曲第2番』に挿入されているアムラン独自のカデンツァは比較的よく知られており、カデンツァ自体が3分と長いのは珍しく、黒鍵グリッサンド、強烈な不協和音の連続が特徴的である。また、シャルル=ヴァランタン・アルカンの影響が随所に見られ、アルカンの『両手ユニゾンのための練習曲』作品76-3の引用も登場する。
2009年に全12曲が完成[8]。曲集の名はアルカンの『短調による12の練習曲』を意識したものであり、本人によると曲集全体でアルカンとゴドフスキーへのオマージュとのこと。いずれの曲も大変難易度が高く、演奏至難な作品ばかりである。アムラン自身でさえ、インタビューで「作曲では楽器を使わないため、弾いてみるととても難しい」と語っている[9]。当初作曲していた第1番『熊蜂の飛行による』と第11番『タンゴ』は撤回され、現在のものに差し替えられた。第2番、第5番、第6番、第8番、第11番、第12番はアムランの自作曲。全曲に本人の録音が存在し、発売されている[10]。全曲を通しての初演は、2010年8月にドイツのフズム音楽祭で行われた。
3曲とも自動演奏ピアノによるCD録音がMD+Gより発売されている。
アムランの作品のほとんどはソラブジ・アーカイブから出版されており、入手可能である。練習曲集やパガニーニ変奏曲、他はPeters社から出版されている。
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