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アメリカのシンガーソングライター (1945-1979) ウィキペディアから
ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway、1945年10月1日 - 1979年1月13日)は、アメリカのソウル・シンガー、ミュージシャン、シンガーソングライター。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第49位[1]。
イリノイ州シカゴ生まれ。幼い頃から聖歌隊で歌い、ピアノを学ぶ。後にハワード大学に進学しクラシックを学んだ。大学卒業後は作曲家、ミュージシャンとしてカーティス・メイフィールドらの下でキャリアを積み、1969年にジューン・コンクエストとのデュエット・ナンバー「I Thank You Baby」を発表し、同年末にアトコ・レコードからシングル「The Ghetto, Pt. 1」を発表してソロ・デビューを果たした[2]。
ハワード大学で音楽教育を受け、洗練されシャウトをしない音楽スタイルは、従来の黒人アーティストとは一線を画し、また「ザ・ゲットー」などの曲で黒人社会が抱える問題にも踏み込んだ。そのため、マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドらと共に「ニュー・ソウル」と呼ばれ、新世代の黒人アーティストとして脚光を浴びた。
1971年にはロバータ・フラックとのデュエットによるキャロル・キングのカヴァー「きみの友だち」がヒットを記録[2]。1972年にはソロ・アルバム『ライヴ』[3]が全米18位となり「君の友だち」での聴衆の合唱などは、聴く者に鮮烈な印象を与えた。同年の「ディス・クリスマス」もUS#11となり、21世紀になってからもクリスマス・シーズンには、ラジオでオンエアされている。 またロバータ・フラックとのアルバム『ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ』が全米3位のヒットとなり、フラックとデュエットした「恋人は何処に」でグラミー賞最優秀ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞(デュオまたはグループ部門)を受賞した[4]。また、映画『ハーレム愚連隊』のサウンドトラックも手掛けた[5]。ソロ活動と並行してスタジオ・ミュージシャンとしても活動し、アレサ・フランクリンのアルバム『ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック』(1972年)ではオルガンやエレクトリックピアノを担当[6]。しかし、1973年に妄想型統合失調症と診断されてからは入退院を繰り返し[7]、音楽活動は停滞して、小さなクラブでしか歌わなくなった[2]。
1977年、ロバータ・フラックのアルバム『愛の世界』収録曲「私の気持ち(The Closer I Get to You)」にゲスト参加して表舞台に復帰[2]。このころからエムトゥーメイとレジー・ルーカスが作曲などに参加し、優れた楽曲を提供するようになった。また、ジョー・コッカーのアルバム『Luxury You Can Afford』(1978年)では2曲のレコーディングに参加[8]。そして、フラックとのデュエットによる新作アルバムも制作されていたが、1979年1月13日にニューヨークのエセックス・ハウス・ホテルから転落して33歳で死去[2]。現場に争った形跡はなく、公式には自殺とみなされているが[2]、ハサウェイの妻や友人は、自殺ではなく事故死だったと主張している[7]。ハサウェイのラスト・レコーディングとなった2曲は、フラックのアルバム『ダニーに捧ぐ』(1980年)に収録された。死後の1980年には「Back Together Again」がヒットしている。
ハサウェイの音楽は本人の没後も評価され、アレクサンダー・オニール、アーロン・ホール、アリシア・キーズ[1]、R・ケリー[1]、ジョン・レジェンド[1]、カーク・ウェイラム[9]、平井堅 [10]ら多数のミュージシャンに影響を与えた。
娘にソウル、ジャズ歌手のレイラ・ハサウェイ(姉)とケニア・ハサウェイ(妹)を持つ。
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