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アメリカの映画監督、脚本家 (1946 - ) ウィキペディアから
ジョン・ウォーターズ(John Waters, 1946年4月22日[1] - )は、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア出身の映画監督、脚本家。過激で下品なコメディで知られており、著作も通して「バッド・テイスト(悪趣味)」文化に大きな影響を与えた。トレードマークのヒゲは付け髭である。
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アメリカのメリーランド州ボルチモアに生まれる。カトリックの敬虔な家庭で育つが、ゲイであり、10代のころから問題児として知られ、自宅の車庫をお化け屋敷に改造して小遣いを稼いでいた。
17歳のとき祖母から8ミリカメラをプレゼントされたのがきっかけで映画製作を始める[2]。ニューヨーク大学の映画学科に進むが、マリファナ所持で放校処分となり帰省する。
「ドリームランダース」という奇人仲間たちと一緒に、1964年の『黒の革ジャケットの女』から本格的に映画製作を開始し、1970年にディヴァイン主演の『モンド・トラッショ』がカルト的な人気を呼ぶ。その後、女装の怪優ディヴァインを使って『マルチプル・マニアックス』(1970年)や『ピンク・フラミンゴ』(1972年)を発表。特に後者は大成功を収めてカルトムービーブームの火付け役となった。
1981年の『ポリエステル』からは、劇場用映画への進出をとげる。『ヘアスプレー』(1988年)と『クライ・ベイビー』(1990年)はメジャーで製作した、過去を舞台にした比較的穏当でノスタルジックな映画であり、一般の映画ファンの支持も得た[3]。
1994年の『シリアル・ママ』以降のウォーターズは過激な作風に戻った。1998年の『I love ペッカー』は自伝的な要素を持つ作品である。また、2000年の『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』は、個人的にはアート映画愛好家であるウォーターズが当時の映画界のシステムへの怒りを表したものである。
著書では「裁判傍聴が趣味」「殺人犯が書いた絵を集めている」などと個人的な趣味について書いており、こういった嗜好は多くの追随者を呼んだ。メリーランド州の刑務所では囚人たちに講義をし、自作を上映したこともある。
自身の恥ずかしい趣味としてアート映画好きを挙げ、次のような作品や人物を好きな映画(映画監督)として挙げている。
ファンレターはボルチモアにあるAtomic Booksという書店を介して送ることができる。ただし、ウォーターズが定期的に本屋に寄って、集まったファンレターを受け取るという形であるため、ウォーターズが絶対に受け取るという保証はできないという[4]。
2015年にロードアイランド・スクール・オブ・デザインの卒業生に向けて行ったスピーチが全米で大きな話題となった。スピーチ全文が収録された『Make Trouble』が2017年に刊行され(邦題:『厄介者のススメ ジョン・ウォーターズの贈る言葉』フィルムアート社、2022年)、同タイトルのアルバムもリリースされている。
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