アラスカ級大型巡洋艦 (Alaska Class Large Cruiser )は、アメリカ海軍 の大型巡洋艦 [注釈 1] 。
主砲 口径 や排水量 はドイツ海軍 のシャルンホルスト級戦艦 に匹敵し[注釈 2] 、報道や[7] [注釈 3] 、文献によっては巡洋戦艦 と呼称される[注釈 4] 。
6隻建造予定であったが[注釈 5] 、ネームシップ の「アラスカ 」と2番艦「グアム 」が太平洋戦争 下に就役した。
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アラスカ級大型巡洋艦
艦級概観
艦種 大型巡洋艦 [1]
艦名 1番艦 :アラスカ 2番艦 :グアム
前級
次級
計画 6隻
就役 2隻
中止 4隻
性能諸元[2]
排水量
基準:29,779l.t (30,257t) 満載:34,253l.t (34,803t)
全長
808ft 6in (246.4m)
全幅
91ft 1in (27.8m)
吃水
31ft 10in (9.7m)
機関
GE 式ギヤード蒸気タービン 4基/4軸 出力:150,000shp
速力
33kn
航続距離
12,000海里 / 15kn巡航
燃料
3,619l.t (3,677t)
搭載兵装
12"/50 Mk.8 3連装砲 3基9門 5"/38 Mk.12 連装両用砲 6基12門 40mm/60 4連装機関砲 14基56門 20mm/70 単装機関砲 34基34門
装甲
舷側 (上部):9in (228.6mm) 舷側 (下部):5in (127mm) 甲板:4in (101.6mm) 船内隔壁:10.6in (269.2mm) 砲塔前面:12.8in (325.1mm) 砲塔後面:5.25in (133.4mm) 砲塔上面:5in (127mm) 砲塔側面:5.25-6in (133.4-152.4mm) バーベット :11-13in (279.4-330.2mm) 司令塔 (側面):10.6in (269.2mm) 司令塔 (側面):5in (127mm)
乗員
1,517-2,251名
艦載機
4機[3]
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1929年2月、ドイツ海軍 はヴェルサイユ条約 の枠内でドイッチュラント級装甲艦 の建造を開始した。この新型装甲艦 は、ポケット戦艦というニックネーム で有名となる[15] [注釈 6] 。
「砲力は重巡 を上回り、速力は戦艦 を上回る」と宣伝され、従来の巡洋艦 では対抗不能という評判を得た[注釈 7] [注釈 8] 。
ドイッチュラント級装甲艦の出現にフランス とイタリア王国 は刺激を受け、ヨーロッパ で建艦競争 が再燃した[20] [21] 。
ポケット戦艦に匹敵する巡洋戦艦 に関していえば、1930年時点でイギリスに3隻、日本に4隻が残るだけだった[22] 。さらに建艦競争によりダンケルク級戦艦 とヴィットリオ・ヴェネト級戦艦 が出現し、ドイツ海軍もポケット戦艦の量産や改良型 を配備する姿勢を見せる[注釈 9] 。
アメリカ海軍も、通商破壊 をおこなうポケット戦艦はシーレーン の防衛 に脅威となると捉えていた[注釈 10] 。
だが列強各国は1930年4月22日にロンドン海軍軍縮条約 に調印しており、その中で巡洋艦はA級巡洋艦(甲級巡洋艦、重巡洋艦)とB級巡洋艦(乙級巡洋艦、軽巡洋艦)に分類された[24] 。重巡に関しては「基準排水量1万トン以下、備砲は6.1インチより大きく8インチ以下、アメリカの合計排水量は18万トン」と定められていた。重巡洋艦では「ポケット戦艦」に対抗できないし[注釈 7] 、アメリカ海軍は巡洋戦艦を保有していない[22] 。1932年1月には「アメリカ海軍も既存重巡の設計を見直し、8インチ砲装備のポケット戦艦を建造する」という観測も流れた[26] 。
加えて1930年代後期のアメリカやイギリスは、日本海軍 が基準排水量15,000t 、12インチ 砲6門を搭載して30ノット以上を発揮する豆戦艦(ポケット戦艦)[27] 「秩父型大型巡洋艦 」[28] (もしくは「かでくる [29] 、Kade Kuru 」)なる艦を秘かに建造しているという誤情報 を掴んだ。ジェーン海軍年鑑 によれば、日本海軍が40,000トン級 超弩級戦艦 4隻と並行して建造している15,000トン級ポケット戦艦は、「翔鶴」[注釈 11] 、「樫野 」「八丈 」と命名されていた[注釈 12] [注釈 13] 。
日本海軍は、ポケット戦艦建造の報道を否定した[33] 。しかし日本の大型巡洋艦(ポケット戦艦)が実際に建造された場合、アメリカ海軍にとって重大な脅威になるのは明白だった[注釈 14] 。
1938年[35] 、アメリカ海軍はアイオワ級戦艦 やモンタナ級戦艦 の建造と並行して[注釈 15] 、ドイツの装甲艦や日本の大型巡洋艦を火力・防御・速度で上回り、通商保護が行える長大な航続力を持った艦を検討し始めた[注釈 16] 。これがアラスカ級大型巡洋艦である[37] 。
当初は排水量27,000~30,000トン、12インチ砲6~8門、速力35ノット を持つ艦として案が考えられたが、火力・防御不足や費用対効果の問題等で紆余曲折にあい、設計案は紛糾した。また1936年3月25日にアメリカ合衆国、イギリス連邦 、フランス などは第二次ロンドン海軍条約 (Second London Naval Treaty ) に調印しており[38] 、重巡洋艦に関していえば、基準排水量1万トンで備砲は8インチ砲以下とされた。12インチ砲を搭載して2万トン級の超弩級巡洋艦は、条約の制限を超過していた[39] 。
しかし1939年9月の第二次世界大戦 勃発で、第二次ロンドン海軍条約は事実上失効した。
計画は二転三転し[40] 、アメリカ合衆国議会 に14インチ砲搭載予定と報告したこともある[注釈 17] 。
1940年5月10日以降のドイツ軍 西部戦線 攻勢 によりフランスが危うくなると、アメリカの議会海軍委員会ではイギリス海軍とフランス海軍が壊滅した後を見据え、大西洋艦隊 に20,000~28,000噸級の強力な新型巡洋艦を増強すべきと見解もあった[42] 。
イギリスと枢軸陣営で大西洋の戦い や地中海の戦い が繰り広げられる中、1941年7月になって正式案が確定し、最終的に排水量27,500トン、12インチ砲9門、33ノットの速力を持ち、限定的な12インチ弾の防御とした艦としてまとめられた[37] 。9月16日、アメリカ合衆国海軍省 は本級6隻の建造を公表した[43] 。
軍事評論家でジャーナリストの伊藤正徳 は、1941年11月に新聞の論説で「海軍拡張法 によって建造されるアイオワ級巡洋戦艦 4隻は、日本海軍の金剛型巡洋戦艦 を制圧するための艦級である[44] 。そして両洋艦隊法 によるハワイ (アラスカ級)級巡洋戦艦6隻(排水量28,000トン、14インチ砲8門、速力38~40ノット)とアイオワ級巡戦4隻の機動部隊 により、日本の巡洋戦艦部隊を撃滅しつつシーレーン を破壊する 計画」と解説している[注釈 18] 。
アラスカ級は両洋艦隊法 にて6隻が計画され建造が承認されたが、1942年7月に未起工4隻が建造延期となる。アメリカ海軍自身も、モンタナ級戦艦の建造を中止して改造空母 を含む航空母艦の建造に邁進すると公表している[注釈 19] 。
最終的に1944年に「アラスカ」「グアム」が竣工した。鋼材不足のため、合衆国政府が「一般市民が空き缶を回収すれば、大型巡洋艦2隻分になる」と宣伝したこともある[注釈 20] 。
このように本級は2隻が竣工して1隻(ハワイ)が建造を続けたものの、機関出力不足や旋回性能不足、艦橋 部の配置不具合、戦闘指揮所 (CIC)の容量不足等の問題が多発し、更に砲の追従性能も悪かったことから艦隊側の評価は芳しくなかった[48] 。防御力も日本海軍重巡洋艦に対しては過剰であり、金剛型戦艦 を含む日本戦艦に対しては不充分であった。また仮想敵としていた日本海軍の新型巡洋戦艦(超甲巡 )が建造中止になったことも、アラスカ級の存在意義を揺るがした。第二次世界大戦 後にはミサイル艦 へ改装する案も出されたが見送られ、退役した[51] 。
USS Alaska CB-1
デザイン元は同時期に建造された「ノースカロライナ級 」であると言われる。船体は平甲板型船体 で、艦首から伸び上がったシア(艦首 の反り返り)が際立つ艦首甲板 上に、新設計の「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を三連装砲塔 に収めて1・2番主砲塔を背負い式に2基搭載した。
「アラスカ」の艦橋の写真。本級の艦橋は必要に対してスペース不足だった。また、船体中央部の高所にカタパルト を配置したために両用砲 の射撃範囲を規制してしまった。
その背後から甲板一段分上がって2番主砲塔の後部に「1934年型 12.7cm(38口径)両用砲」を防盾の付いた連装砲架で1基、更に一段甲板が上がって司令塔を組み込んだ箱型の操舵 艦橋が立ち、その側面には2番・3番両用砲を1基ずつ配置。二段式の見張り台を備える戦闘艦橋の頂部には 7.2m測距儀 を配置した。船体中央部には直立した1本煙突 が立ち、従来の戦艦・条約型巡洋艦にはあった後部マスト が省略されたため、アンテナ線の展開のために煙突後部にT字型のアンテナが付くものの、フランス海軍 のリシュリュー級戦艦 に採用されたようなMACK型煙突 後檣の役割は持たなかった。
舷側甲板上は艦載機を運用するスペースが設けられ、舷側中央部に短いカタパルトが片舷に1基ずつ計2基装備された。艦載機は煙突下部の格納庫 からクレーン によりカタパルトに載せられた。カタパルトの後方に4~6番両用砲を逆三角形型に3基配置したところで上部構造物は終了し、その背後の後部甲板上に3番主砲塔が後向きに1基配置された。
本級の細長さが良くわかる写真。
本級の船体設計は当初は戦艦と同レベルに検討されていたが、対12インチ防御を持つ戦艦設計で設計した場合は排水量・建造費が同世代の新戦艦と変わらなくなってしまい、建造費用を抑えるために途中で巡洋艦式の設計に改められた。このため、船体は建造しやすい平甲板型船体となっており、艦首は凌波性を高くするために高くされて側面にフレア(波を下方に落とすための窪み)を持つクリッパー型艦首となっている。また、本級の船体サイズは縦横比率が8:1と、異常に細長い。
運動性能はアメリカ海軍艦艇の中でレキシントン級航空母艦 と並び最も悪く[48] 、直進安定性が良すぎて舵の効きがタンカー 並に悪く、艦隊行動を乱すほどであった。これは元々の設計が巡洋艦式で高速を出し易い船体形状であるためと、舵の配置方式は新戦艦に採用されたツイン・スケグ(スクリュー 軸に板状の構造物を付け、スクリューの背後に舵を配置する形式)ではなく、巡洋艦と同じく艦尾に一枚舵 を付ける形式を採用しているためでもあった。
主砲
艦首から撮られた「グアム」。
本級は14インチ砲(35.6センチ砲)搭載を検討したこともあったが[注釈 17] 、最終的に12インチ砲(30.5センチ)搭載型に決定した。主砲 にはワイオミング級戦艦 の「1912年式 Mark7型 30.5cm(50口径)砲」を改良した「1939年式 Mark8型 30.5cm(50口径)砲」を採用した。本級の主砲は12インチ砲ながら14インチ砲弾並の重量級の砲弾(SHS :517kg )が発射可能で、最大仰角 45度で射程 35,271mまで届かせる能力を持っていた。破壊力は射距離22,800m以内で舷側装甲267mmを貫通し、射距離32,000m以上では甲板への貫通値は182mmで、なかなかの高性能砲といえる。これを新設計の3連装砲塔に収めた。発射速度は毎分2.4発~3発である。俯仰は仰角45度/俯角3度が可能であり、動力は電動、補助に人力を必要とした。旋回角度は首尾線を0度として左右150度であった。
副砲、その他の備砲
副砲 の代わりにノースカロライナ級にも装備された「1934年型12.7cm(38口径)両用砲 」を採用し、これを連装砲架で6基装備した。配置方式は戦艦のように片舷に半分ずつ搭載する方式でなく、ボルチモア級重巡洋艦 のように亀甲型に配置した。この配置は少ない搭載数でも前後方向に6門、左右方向に8門が指向できる効率の良い搭載方式である。
その他に両用砲の補助として40mm(56口径)ボフォース機関砲 を4連装で14基56門、「エリコン20mm(70口径)機関銃」を34門装備した。
本級の船体防御は、戦艦の装甲配置における主甲板防御から弾片防御を取り払った様な形式を採用しており、ここでも巡洋艦式設計の影響がある。舷側装甲は229mmの装甲を10度の傾斜を付けて装備する傾斜装甲形式で、新戦艦と同様である。これを1番主砲塔側面から3番主砲塔側面にかけ、広範囲に防御しており、水面から下部は127mmまでにテーパー している。また、水平防御は主甲板にSTS装甲36mm、装甲甲板に96~101mm(71~76mm+STS25mm)の装甲が貼られ、その下に16mmSTS装甲が貼られた。そのため、合計して水平防御は149mm~153mmだった。対応防御は本艦のMk.8 12インチ50口径砲(AP Mark 18、砲口初速 762m/s、重量517kg)では23,500~25,000yd(21.5~22.8km)である。[52] 対重巡洋艦戦闘ならば本級の防御は重防御だが、仮想敵である日本海軍の超甲巡 の12インチ砲、ドイツ海軍のシャルンホルスト級戦艦 の11インチ砲に対しては本級の防御は限定的であり、日本海軍の金剛型戦艦 の持つ14インチ砲に対し本級の防御能力は明らかに低い。また、対水雷 防御が適用されている範囲は主舷側装甲の張られている範囲と同一で、そこから先は船体下部の二重底が舷側まで伸びて一層式の水密区画となっている他は区画細分化で妥協している。防御性能は不明であるが、エセックス級航空母艦 の対TNT 227kg防御より低く、対TNT170kg程度だったという資料もある[53] 。
本級の機関 はコストダウンのため、エセックス級航空母艦と同一で、バブコック&ウィルコックス式 重油 専焼缶8基とジェネラルエレクトリック 製2段減速式ギヤード・タービン 4基4軸推進を採用し、最大出力150,000hp で最大速力33ノット を発揮できるとされていたが、公試ではカタログデーターを下回った。機関配置は新戦艦と同様に「シフト配置」を採用しているが、ここでも機関配置は巡洋艦式で、ボイラー 4基とタービン2基を1組として前後2組を配置していた[53] 。
アラスカ (USS Alaska, CB-1)
グアム (USS Guam, CB-2)
ハワイ (USS Hawaii, CB-3)[54] - 1945年8月時点で完成度約8割。進水 後の1947年2月に建造中止。指揮艦 やミサイル巡洋艦 への改装も検討されたが中止され、1959年に廃棄された。
以下は計画艦
フィリピン (USS Philippines, CB-4)
プエルトリコ (USS Puerto Rico, CB-5)
サモア (USS Samoa, CB-6)
小説
『蒼洋の城塞』
横山信義 の架空戦記 。最終巻で、「アラスカ」「グアム」が日本戦艦部隊と交戦し、撃沈される。
注釈
巨大巡洋艦六隻も建造中 [5] (華府十六日同盟)米海軍省は十六日巡洋艦建造状況を發表し、その中で大型巡洋艦六隻を建造中であると述べてゐるが、右は二万七千噸の特別大型巡洋艦である旨海軍當局から公表された。之等の性能その他の詳細事項は發表されてゐないが、恐らく商船を戒嚴する海上奇襲艦に對抗し、又主力艦隊或ひは海軍基地から遠く離れて、長距離哨戒作業に従事するものと解される。海軍當局者の語るところによると、超巡洋艦六隻の艦名はアラスカ、ハワイ、グアム、フィリッピン、サモナ、ポートラコで従来巡洋艦には都市名が附せられてゐが慣例を破るものであるが建造作業の進捗状況は明らかでない。(記事おわり)
(中略)[8] U.S.Naval Strength As compared with the Japanesefleet, American naval strength (in all oceans) as of November 1-according to the house naval committee's report released last week, which allows for all war losses, transfers to the British and new vonstructionis as follows: (戦艦、空母略)cruisers ― fifty-nine (heavy and light) , including two 27,500-ton “battle cruisers:”(以下略)
△アラスカ級六隻 基準排水量は二七,〇〇〇トンで、巡洋戰艦とよぶべきものである。即ち、防禦装甲は薄いが、主砲と高速力により移動砲撃用に使用することが出來る。一九四一年に六隻建造を計畫し、既にアラスカとガムの二隻は就役してゐるものと見られるが、その他は空母に轉換されることになつた模様で、一部は就役してゐると見られる。性能、主砲三〇.五糎九又は十門、卅五ノツト(以下略)
ドイツはヴエルサイユ條約に依つてその保有し得べき最大艦は排水量一萬噸搭載大砲口徑十一吋に制限されたがドイツはこの制限内に於て最大の威力を發揮すべき装甲艦二隻を昨年來建造中である[18] 右一萬噸装甲艦は 秘密に されてゐるが十一吋主砲六門、六吋副砲八門を搭載し速力二十六節五百馬力のデーゼルエンヂンを使用し航續距離一萬海里に及ぶもので實に製艦技術上の最高點に達してゐる、ワシントン條約に依つて主要海軍國で建造中の八吋砲一萬噸巡洋艦 は二隻を以てしてもこのドイツの新装甲艦一隻に 比敵し 得ない程の破壊力を有するものである然も高速力であるから主要海軍國の三萬五千噸の主力艦に遭遇しても平気であるといふ代物であるので世界海軍國の脅威の的となつてゐる(記事おわり)
その評判は、第二次世界大戦勃発後も変わらなかった[19] 。
倫敦七日發電によれば英國海軍評論家エドワード・アルサム大佐の説に獨逸海軍のダッチランド型の一万噸の巡洋艦は米國、大英國、日本の巨大なる超弩級艦 を急速に無効に歸せしめつゝあるとのこと、である大佐はブラッセーの一九三五年海軍、海運年報に記して曰く[22] 獨逸巡洋艦 ダッチランド は實に強力に武装せられ如何なる巡洋艦も一分間たりとも之に楯付くことは出來ない、三大海軍強國は新艦を建造せざることに同意せるを以て各自現有の舊艦に巨費を投じたるも是等軍艦は急速に老朽艦になりつゝあるのみならず佛、伊、獨の新型軍艦の或る肝要性に對照して絶對に劣弱である斯る状勢を來したるは實に獨逸の一万噸のダッチランドである英國戰闘巡艦 フード リナウン 、リパルス の三隻と外に日本の金剛艦級 とが世界中に於てダッチランド級に比敵すべき軍艦である 獨逸は間もなくダッチランド級の強力艦四隻を保有し遂には増して六隻とすべし/佛國は現に ダンカーキ 二隻を建造中で仝艦はダツチランドよりも一層快速力で英のリナウン、リパルス諸艦よりも強力である/伊太利の目下建造中な る軍艦二隻は三万五千噸の巨艦にして佛國の諸艦よりも一層快速力且つ一層強力の武装せり 斯る形勢にありて英國の現勢は誠に耻づべしといふの外はなし/米國海軍省 にては一九三六年の終りに至りて巨艦新建の禁止が解けくることに備へる爲に『秘密』の内に新戰闘艦のデザインを用意してゐると報ぜらる其デザインは三万五千噸の巨艦 に空爆と高射との攻撃に耐ゆる特別装甲のものなりしと(記事おわり)
【ワシントン十五日同盟】[23] エヂソン 海軍長官代理は十五日新聞記者團との會見に於てドイツのポケット戰艦が大西洋を横行したる事實に鑑み新造すべき二巡洋艦の設計を變更するを必要とする旨左の如く言明した。 米國は近くドイツ袖珍戰艦より優秀なる巡洋艦二隻建造する意向で、目下之の設計を進めたるが、噸數は八千噸となるべく、且之は現在如何なる國に依つて建造されたものより優秀且つ強力なるものと信ずる(記事おわり)
日本の四万噸大戰艦 「日進」「高松」と命名 ジエーン海軍年鑑で發表す [32] 世界各國艦艇の調査収録にかけては斷然他の追従を許さゞるジエーンの海軍年鑑一九四一年度版が發行された(中略)即ち、日本に於ては四万噸級主力艦二隻が進水(この外二隻建造中)更に一万二千噸乃至一万五千噸級袖珍戰艦二隻も進水(この外一隻は建造中)したが、四万噸主力艦は夫々「日進 」「高松 」と命名され袖珍戰艦は「翔鶴 つる 」「樫野 の 」「八丈」と名付けられた。一方獨逸に於ては三万五千噸級主力艦 ビスマルク號 が既に就役の工程にある筈で姉妹艦ライプチッヒ號 の完成は明年と豫定されてゐる。(中略)(記事おわり)
日米兩國の建艦競爭 英海軍年鑑が表示 兩國とも航空母艦と戰艦に専念 [28] 『ロンドン五月十四日』世界海軍の権威として知られる英國の海軍年鑑「ヂエーンス フアイテング シツプ』一九四年版は日米兩國が有史以來の大建艦競爭をしてゐる事を記載し左の如く其の概異を述べてゐる 日本 は四万噸以上の戰闘艦五隻を建造或は建造に着手して居り其中 日進 高松の二隻は完成或は完成に近く紀伊 尾張 土佐の三艦も最早遠からず完成するに近いと思惟される 此中の最後の起工はニヶ年半前であつたと云つてゐる之に反し 米國 は戰闘艦十七隻と巡洋戰艦六隻の建艦を計畫した外航空母艦十一隻巡洋艦四十隻と驅逐艦多數の建造に着手してゐる 此中ワシントン級三万五千噸 六隻は既に進水し二隻は就役してゐる 四万五千噸のアイオワ級 六隻とモンタナ級 五隻は夫々建造 中或は起工中であり巡洋艦アラスカ級六隻は一九四一年十二月に起工したと云つてゐる 尚ほ日本海軍は一万二千噸或は一万五千噸級の大型巡洋艦で秩父級のもの三隻を新たに建造してゐるが之等の 装備 は十二吋砲六門であると云つてゐる 因に日本の建艦計畫は或る程度疑門で日進は航空母艦に變更される事も考慮され高松は珍袖戰艦として現はれるのではないかと想像されてゐる 但し二艦とも四萬噸と記されてはゐる 日本巡洋艦 驅逐艦は前版より幾分増加の程度である 日本潜水艦數は現在八十隻以上と云つてゐる(記事おわり)
超高速巡洋艦に對抗 ポケツト戰艦を造れ 疑心暗鬼の米通信社 [34] 【華府十三日同盟】AP通信社が報道した日本の大艦建造は時節柄相當注目を惹いてるが米國海軍當局は十三日、日本が一万八千噸以上の巡洋艦建造を開始してゐるとの情報は接受してゐない旨言明した/一方AP通信社は十三日海軍部内の意向として次の如く報道してゐる 日本が大主力艦と共に高速度の超弩級 巡洋艦 を建造中ではないかとの懸念を抱いてゐることは事實である、然しこれによつてAP通信社は更に非公式の信ずべき筋の観測として日本の建艦説は事實だと思ふが、その事實だとの確報があれば米國海軍としても建艦計畫を變更せねばなるまい、八吋以上の大砲を搭載する一万八千トン以上の高速度巡洋艦は確かに米國にとつては脅威だ、これに對抗するには新型の袖珍戰闘艦を以てするのも一法である、尤も米國海軍首腦部は超弩級巡洋艦も袖珍戰闘艦にも余り氣乗りしないことは事實だ(記事おわり)
建艦競爭 火の手擴大 大艦建造の本家本元 米國で五萬噸級を計畫 ヤンキー は世界一がお好き [34] (ワシントン十三日同盟)米國政府は過般末英米佛三國間に決定を見たエスカレーター條項援用の方針に基き四萬五千噸級大主力艦 三隻の建造を計畫中と傳へられたが、上院海軍委員ホーマーボン氏は十三日更に五萬噸級大主力艦 二隻の建造計畫を仄めかして左の如く言明した リー提督は五萬噸級主力艦二隻の建造計畫を進めてゐると聞き及んでゐる、同計畫は豫て計畫中の四萬五千噸級主力艦を建造する案を變更して新に立案されるに至つたものと思ふ(記事おわり)
大艦巨砲主義の米國 巡洋艦の制限撤廢を要求か 三國海軍専門家會議 ひと揉め豫想 [36] (東京十五日日本社特電)英米佛三國海軍専門家會議は既に三ヶ月の協議期間に入り去る十二日より會議續行中で各國の超過噸數其他に就て具体的協議を重ねてゐるが、右制限協定の對照となつてゐる主點は主力艦のみであるが、更に米國方面では巡洋艦の制限に關しても何等かの考慮を拂つてゐるものゝごとく、三國専門家會議は新たなる議題として巡洋艦問題を持出すのではないかと見られてゐる、即ち米國政府の意圖する處はこの問題に就ての責任を帝國政府 に轉嫁せんとし、過般UP電として帝國政府が超弩級巡洋艦 の建造を進めてゐる旨を宣傳してゐるがこれは明らかに米國政府の大建艦に對する逆宣傳であつて、主力艦に於て四万五千噸以上のもの を建造せんとし今又一万六千噸乃至一万八千噸型十二吋砲搭載の主力艦と巡洋艦の中間の超弩級巡洋艦を建造せんとする意圖が匿されてゐるものと見られる、而して一九三六年のロンドン條約に依つて三万五千噸以下の主力艦は建造し得ず、且巡洋艦の制限噸數は八千噸級から一万噸級で搭載備砲は八吋を超ゆることが出來ないのであるから、斯る米國の主張を容認する場合は必然的に右條約中の巡洋艦制限規定を廢棄しなければならなくなるのであつて、最近に於ける米國政府の軍擴熱は勢ひの赴く處主力艦の制限噸數を引上げると同時に巡洋艦の噸數制限を撤廢するのではないかと觀測されてゐる(記事おわり)
海軍擴張に狂ふ米國 超大型巡洋艦、大航空母艦など 建造の計畫正式發 [41] (ワシントン十二日同盟)スターク作戰部長は十二日下院海軍委員會において、米國海軍は一万トン級巡洋艦よりも遙かに大なる新型超巡洋艦並に二万三千乃至二万五千トン航空母艦 を建造する計畫であり、右巡洋艦には十四インチ砲を積載する旨發表した(以下略)
〔 解説 〕[45] 四萬五千トン級でパナマ運河の關門を通る爲には艦幅を百〇六呎に制限すする關係から、斯かる高速力の巡洋戰艦が設計可能となるわけであるが、この四隻は三年後には悉く太平洋に浮んで來ることであらう。 しかるにアメリカは之を以て尚不足と考へ、本年度中には船台に上る筈のハワイ級巡洋戰艦六隻の計畫を最終的に決定した。この艦種は第三次ヴインソン案中に含まれて、珍しくも最近まで秘密 を保つて來たものであるが、大體に於て、排水量二八,〇〇〇トン、備砲十四吋八門、速力三八節乃至四〇節と推定され、一九四五年頃に完成する世界の如何なる大型軍艦よりも數ノツトを超える快速力を保有するのだ。 その凌波性から考へると、荒天時に作戰する運動においては、このハワイ級巡戰は如何たる快速巡洋艦をも、また如何なる大驅逐艦をも、優に時速七、八ノツトを追ひ抜くであらう、而して彼より強大なる如何なる主力艦も彼に追ひ付くことは出來ない、即ち最も安全に、大威張で太平洋を荒らし廻るといふ心底を想像し得るのである。 もしも前掲の四萬トン艦アイオア級の四隻を配すれば、茲に十隻を單位とする快速主力艦部隊が編成され三萬 ヤード以上の砲力決戰において有力なる單位を實現すると同時に、分散別働する場合にはその十四吋砲と四〇節速力とを以て、幾多の有効なる作戰を實演することが可能である。◇ いま、アメリカが太平洋に快速主力艦を利用せんとする作戰對策は日本の巡戰艦群の制壓と、其交通網の撃破とにある。(以下略)
大東亞戰後の空母建造計畫(中略) 殊に一九四二年十一月、上院海軍委員長ヴインソン が米建艦計畫變更につき大要次の通り言明したと傳へられる如きは、彼等の意氣込みの程を察せしめるに充分であらう。「米海軍は目下兩洋艦隊建設のため戰艦モンタナ級五隻(五萬八千トン)、戰艦アイオワ級(四萬五千トン)のうちイリノイ 及びケンタツキー の二隻計七隻のほか、アラスカ級甲巡六隻と軍艦四隻とを建造中であるが、空母建造に全力を注ぐため、モンタナ級五隻の建造を當分中止し、甲巡六隻、軍艦四隻は進水後空母に改装の方針である。このほか大型商船六隻乃至七隻は既に空母に改装されてゐる。」(以下略)
◎空罐ノ囘収運動(サクラメント、十月五日二十二時十五時)[47] ・・廣告 此レハ銃後 國民ノ重大任務ノ一ツデス、空罐ヲ囘収シテ下サイ、一ツ囘収シタカラ義務ヲ果シテト考ヘテハ駄目デス是非全部ヲ囘収シテ下サイ、年末迄ニハ大型巡洋艦二隻ヲ建造スルニ足ル空罐ガ溜ルデシヨウ(終わり)
脚注
“To Commission Cruiser ”. Hoji Shinbun Digital Collection . Hawaii Times, 1948.10.27. pp. 01. 2024年3月14日 閲覧。
“新型巡洋戰艦建造に着手 ”. Manshū Nichinichi Shinbun. pp. 01 (1941年3月16日). 2023年10月10日 閲覧。
“新型巡洋戰艦建造に着手 ”. Kona Hankyō. pp. 03 (1940年6月26日). 2023年10月10日 閲覧。
“米の巡洋戰艦(上) ”. Hoji Shinbun Digital Collection . Tairiku Shinpō. pp. 04 (1941年11月12日). 2023年10月10日 閲覧。
“米の巡洋戰艦(下) ”. Hoji Shinbun Digital Collection . Tairiku Shinpō. pp. 04 (1941年11月13日). 2023年10月7日 閲覧。
Battleships: United States Battleships, 1935–1992、p. 198
ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS 』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 。
『世界の艦船 増刊第28集 アメリカ戦艦史』海人社
本吉隆(著)、田村紀雄、吉原幹也(図版)「コラム5 大型巡洋艦」『第二次世界大戦 世界の巡洋艦 完全ガイド』イカロス出版株式会社、2018年12月、124-126頁。ISBN 978-4-8022-0627-3 。
『歴史群像 太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』学研 、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2 。
大塚好古『【第9章】大型巡洋艦「アラスカ」級』。
大塚好古『【第10章】第二次大戦後のアメリカ戦艦改装史』。
大塚好古『特別企画① 第二次大戦における米戦艦の砲煩兵装』。
『WWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧』調製:大塚好古。
Garzke, William H.; Robert O. Dulin, Jr. (1995). Battleships: United States Battleships 1935–1992 (Rev. and updated ed.). Annapolis: Naval Institute Press. ISBN 978-0-87021-099-0 . OCLC 29387525