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ソ連•ロシア連邦の戦闘機 ウィキペディアから
Su-27(スホーイ27、スホイ27;ロシア語: Су-27 スー・ドヴァーッツァチ・スィェーミ)は、ソ連のスホーイ設計局が開発した戦闘機。現在もロシア、旧ソ連諸国や第三世界で使用、改良された本機はアメリカのF-15 イーグルにも匹敵する極めて高い格闘性能や長大な航続距離を誇る。
艦上機型であるSu-33、戦闘爆撃機型であるSu-34、第4++世代ジェット戦闘機であるSu-35など多数の派生型が開発されている。
ロシアでは、スホーイ設計局航空機の愛称として「スーシュカ」(Сушка)や「スハーリ」(Сухарь)とも呼ばれる。 一般的には「フランカー」(英語: Flanker:ラグビーやアメリカンフットボールのポジションの一つ)という名で知られており、これは北大西洋条約機構 (NATO) がつけたNATOコードネームである。このコードネームは後に逆輸入され、ロシア国内でもフランカー(Фланкёр)の呼称が使用される場合がある。なお、西側諸国ではこの機体の愛称として「ジュラーヴリク」(Zhuravlik、Журавлик)という名が紹介される場合があるが、本国ロシアでは公式、非公式問わず Журавлик の愛称は使用されていない[注 1]。
1960年代終わり、ソ連防空軍は新たな防空戦闘機の開発を計画、想定敵西側諸国、特にアメリカとイギリス保有の超音速/遷音速長距離爆撃機、及び開発中と見られるXB-70新型超音速爆撃機に対しては既にMiG-25の配備と後継機MiG-31の開発が進められていた。しかし、アメリカがMiG-25に対抗するため新型戦闘機開発を進めていたことから、ソ連空軍/防空軍としてもそれらに対抗しうる新型防空戦闘機の開発が急務とされていた。
従来、防空軍にとっての「迎撃戦闘機」として求められる要件は以下のようなものであり、実現の過程において必然的に機体の大型化を招いた。
なお、それまでに完成した迎撃戦闘機は、いずれも長射程の空対空ミサイルを装備して超音速で飛行すること以外の能力を殆ど持たない「対爆撃機迎撃専用機」として開発・配備されることになった。しかし、アメリカ空軍が空中給油の技術を完成させて小型の戦闘機に対する空中給油を可能にしたことにより、長距離戦略爆撃機にも戦闘機の護衛が付くこととなった。さらにベトナム戦争の戦訓から、領海に接近した空母機動部隊(現 空母打撃群)の搭載機による対地攻撃が大きな脅威となることも認識されるようになった。これらのために、防空戦闘機であっても爆撃機以外との空中戦が発生することが想定されるようになった。そのため、爆撃機のみを対象とした機動性能の低い「対爆撃機迎撃機」では機動性能で勝る戦闘機に対して大きく劣ることになる、と判断された。新型防空戦闘機の開発に当たっては、従来の「高速性能」「航続能力」「長射程対空兵装の運用能力」「多弾数搭載能力」に加えて「敵戦闘機と充分な機動戦闘が行える空中機動性能」が求められることとなった。この要求に基づいて、スホーイ設計局に設計開発が命じられた。
当局の命令に応じ、スホーイ設計局ではTsAGI(中央流体力学研究所)の研究結果を基に、流体工学的に優れているとされる機体形状を追求した機体の設計を進めた。提出された案は当局の認可を得て正式に「T-10」の設計局内名称が与えられ、試作機の製作が行われた。
T-10は“オージー翼”と呼ばれる緩やかな曲線を描いた後退翼の主翼を持つ機体であった。この機体は、ソビエトの実用戦闘機としては初のフライ・バイ・ワイヤによる機体制御を実装して完成され、1977年5月20日にはウラジーミル・イリューシンの操縦により初飛行し[2]、各種の飛行テストが進められた。しかし、飛行の結果は好ましいとはいえなかった。迎え角が8度を超えるとLERXと主翼前縁から発生した渦が大きくなって交わり、気流が翼面から剥離することで激しい振動が発生するなど空中安定性が著しく不安定で、機体制御を司る電子機器の信頼性が低く、操縦安定性が極めて低く危険なものであった。1978年には試作2号機であるT-10-2が完成し、さらなる飛行試験が続けられた。しかし、T-10-2は超音速飛行試験中に主翼が空中分解を起こして墜落、パイロットのイブゲニー・ソロビヨフが死亡するという事故を起こした。
この事故もあり、前任者のナウム・チェルニャコフが病気になったため計画担当になっていたミハイル・シモノフは、T-10設計の根本からの見直しを徹底的に討議・検討し実行した結果、機体のほぼすべての箇所で設計の見直しが行われた。設計が変わった代表的な点は以下の通り。
これらの設計改良が行われた試作7号機以降は、名称も「T-10S-1」と改称され、1981年4月20日にチーフテストパイロットであるウラジーミル・イリューシンの操縦により初飛行した。
ちなみにシモノフはこの時に生じた設計局内の軋轢により、設計が一段落した1979年に航空工業省の科学・新技術担当次官として引き取られたが、1983年1月に設計局長としてスホーイに復帰している。
T-10S-1の完成により、飛行性能は大幅に改善された。満足する性能を実現したとしてソビエト防空軍及び空軍への導入も決定した。その後、主翼端を曲線形状から直線形状に変更して、そこに空対空ミサイルのランチャーを取付け、垂直尾翼の上端の形状を水平にカットした形状から、前方から後方にかけて斜めにカットした形状に変更する改良が行われた。その後、「Су-27」の制式名称が与えられて量産が開始され、1982年11月には初期量産型の初号機がロールアウトしたが、開発段階からアビオニクス(電子機器)において、多くのトラブルが発生していた影響により、試験と評価のための引渡しが開始されたのは1985年までずれ込こんだ[注 6]、配備は1986年から開始されている。
翌年にはコラ半島の沖合を飛行中にノルウェー空軍のP-3B対潜哨戒機から写真撮影され、初めてその姿を西側に曝した。その際にP-3は従来のジェット戦闘機では追随できないほどの低速でSu-27をやり過ごそうとしたがSu-27は同じ速度で追随し、P-3と接触事故を起こし国際問題となった。
機体は、胴体から主翼へなめらかに変化させたブレンデッドウィングボディを採用し、主翼は、前縁にドループ・フラップと後縁に翼幅の2/3程度のフラッペロンを装備している。また、主翼前縁の付け根からコックピットの下部まで長く伸びたLERX(前縁付け根延長)が形成されており、機体の重心位置の前方において揚力を発生させて、機首上げのモーメントを大きくすることにより、大きな迎角での飛行を可能としている。尾翼の垂直尾翼は垂直に取付けられており、水平尾翼は全遊動式で、ピボット(旋回軸)の位置を胴体尾端に置いており、水平尾翼が下げ位置になっても空気抵抗が発生しないように、引き込み式の流線型のフェアリングが装備されている。水平尾翼は左右の水平尾翼を差動させるすなわちテイルロンであり、ピッチ軸(ピッチング)の操縦だけでなくロール軸(ローリング)の操縦にも使用される。
操縦装置は4重のアナログ式フライ・バイ・ワイヤ方式を装備しているが、それにより機体を制御できるのはピッチ軸(ピッチング)だけで、ヨー軸(ヨーイング)は安定増強を行うだけとなっている。4基の飛行操縦コンピュータには、エアー・データ・ソースが別々の所から送られており[注 7]、機体に掛かる最大過重では+8.5Gから-2.5Gまでの間、迎角では30度から35度までの間で制限している。しかしパイロットが飛行中に操縦桿を15kgの力で一杯に引くことによりリミッター解除スイッチが作動して、その制限を解除することができる。また、あらゆる高度においても、操縦席にあるボタンを押すだけで機体を自動的に水平直線飛行に戻すSAU-27自動飛行操縦装置[注 8]も装備されており、地上の管制ステーションやAWACS(早期警戒管制機)から機体を直接制御することが可能である。
Su-27の最大の特徴は上記の優れた空力特性と強力なAL-31エンジンがもたらす機動力である。これにより、格闘戦の速度域となる850km/h~1100km/hで、最大瞬間旋回率(12G、32°/s)を誇る。残存燃料や武装状態が飛行性能に影響することを念頭に置く必要があるが、これは同じ速度域でのF-15Cより優れた格闘能力を示す数値となっている[3]。また失速領域においても高い姿勢制御能力(ポストストール特性)を持ち、プガチョフ・コブラという特異な機動を可能とする。これは水平飛行状態から軌道と高度を維持したまま急激に機首を上げ(高迎え角状態)、失速寸前まで速度を落とすポストストール・マニューバの1つであり、1989年のパリ航空ショーでテストパイロットのヴィークトル・プガチョーフの操縦によって初めて西側諸国の前で披露され注目を浴びた[注 9][注 10]。
Su-27のコックピットは、前部胴体の上面に大きく突き出ている。また、前部風防やキャノピーの枠は境界線部分以外すべて廃止されており(タンデム複座型の場合は、前後席の境界線部分に枠がある)、涙滴型の風防と合わせて、それ以前のソ連製戦闘機に比べて(主に後方、側面下方の)視界が広くなっている。
さらに、Su-27UBやSu-30系列に代表されるタンデム複座型では、それまでのソ連製戦闘機の複座型[注 11]に比べると後部座席がかなり高めに配置されており、後席搭乗員にペリスコープが無用なほど良好な前方視界を提供している。
計器類は、正面のHUDと、HUDの右下にあるモノクロCRT式レーダー・ディスプレイ以外は従来型の計器類で占められている。ただし後の改良型では、カラー液晶式MFDを装備してのグラスコックピット化が進められている。
エンジンは、リューリカ=サトゥールン AL-31 アフターバーナー付きターボファンエンジンを2基、胴体下面のエンジンナセルに搭載している。
エンジンのエアーインテークには、コンピュータ制御の可変式の取入れ口ガイドベーンが装備されており、飛行中での高機動時において発生するエンジンのコンプレッサー・ストールを防いでいる、また、荒れた飛行場に離着陸の際、異物がエンジンに入るのを防ぐ為、グリッド式の異物進入防止柵を装備しているほか、エアーインテークの側面にはルーバー型の補助空気取入れ口が装備されている。
また、Su-27は長大な航続距離とミサイル搭載能力も持ち合わせている。増槽を使わずに機内燃料のみでミサイルを10t近く搭載し、4,000km近く飛行を行うことが可能である。
機関砲については、MiG-29と同型のGSh-30-1 30mm機関砲を1門、右舷LERX上面の付け根部分に装備している。
ハードポイントは、両主翼端と、両主翼下に2か所ずつ、左右エンジンナセル下に1つずつ、さらに胴体中心線下に前後2つの、合計10か所に配置されている[注 12]。また、後述のように翼端のミサイル発射レールを、電子戦ポッドに交換することも可能である。
空対空ミサイルをフル装備する場合は、オフボアサイト射撃能力を持つ短距離空対空ミサイルのR-73を4発(左右の主翼端と、主翼下外側のハードポイントに装備)、中距離空対空ミサイルであるR-27を6発(主翼下内側とエンジンナセル下、胴体中心線下の2つのハードポイントにそれぞれ1つずつ)搭載するのが標準となっている。なお、Su-27の発展型の機体が搭載する射程延長型のR-27EMは約110 kmの射程を持つとされる。また、最新型のR-77は約90kmの射程とされている。
空対地兵装については、初期のSu-27Sでは無誘導爆弾(ナパーム弾やクラスター爆弾を含む)と無誘導ロケット弾しか使えなかったが、後に開発された派生型や既存のSu-27を改修したSu-27SMでは、様々な空対地ミサイル・空対艦ミサイルや誘導爆弾を装備可能となっている。
Su-27の他の特徴として、IRST、レーザー測距装置や、Shchel(露: Щель)または Sura(露: Сура)ヘルメット装着目標指示装置 (HMD)やTKS-2と呼ばれる通信システムがあげられる。
高い機体性能をもつSu-27だが、アビオニクスは西側と比べ総合的には劣っている。Su-27に搭載されているレーダーは、N001メーチ(NATOコードネーム スロット・バック)パルス・ドップラー・レーダーで、基本的にはMiG-29の装備しているN019 ルービンレーダーと同じだが、機体がより大きいため、レーダーのアンテナ直径は大きくなっており、ルックダウン・シュートダウン能力を持ち、最大10目標の探知が可能で、戦闘機クラス(レーダー反射断面積が3m2程度)の目標に対する最大探知距離100km、目標の最大追跡距離75kmの性能を持っている。レーダー画像の表示は、コックピット前方計器盤右上部にある小型のスクリーンに表示されるが、合成開口レーダーの画像はヘッドアップディスプレイ(HUD)にも表示が可能である。しかし、NATOのものと比べると、探知距離・探知数ではそれほど劣らないものの、捜索中追尾能力が無いため、ある目標をロックオンすると、他の目標の捜索や追跡が不可能となり、複数目標の同時ロックオンが出来ない(ひいては複数目標への同時攻撃能力がない)など他の面でかなり劣る部分があった。そのため、第1目標ロックオン後の第2・3の目標については、地上の警戒レーダーやAWACS(早期空中警戒機)などで目標を捕捉してもらい、その中から優先する攻撃目標の指示をそれらから受けることによりその問題をカバーしていた。発展型ではレーダーの換装が行われており、輸出型のSu-27SKでは、同時攻撃能力が付加され2目標のロックオンが可能なN001VEとなり幾つかのレーダーモードが追加された。また、既存のものについても最終的にN001VEPに換装された。
また、複座型のSu-27UBは、ソ連空軍・防空軍の戦闘機としては初めて、機種転換訓練用の複座型にもレーダーを搭載し、単座型とほぼ同等の戦闘能力が付与されているのも特徴である[注 13]。この特徴は、後にマルチロール型複座機のSu-30シリーズを生み出すことに繋がった。
その他に自己防御装置としてSPO-15"ベリョーザ"レーダー警報システムを搭載しており、その受信部を垂直尾翼後縁に取付けている、これは、相手の航空機から発信されるレーダーなどの電波を受信して、システムに内蔵された情報ライブラリーと照合することにより、脅威電波の識別と度合いのほか、その方向、距離、システムの型式を表示できるようになっている。相手のレーダーを妨害するアクティブ方式の妨害装置も搭載しているがその詳細は不明である。後部胴体中央のテールコーンの上にAPP-50チャフ・フレア・ディスペンサーが装備されており、96発のチャフまたはフレアカートリッジを搭載できるようになっている。また、主翼端のミサイル発射レールを外して、ソルブツヤ電子戦ポッドに換装することも可能である。
Su-27は、F-15やF-14など当時の新鋭戦闘機に対抗して作られた戦闘機であるため、比較の対象となることが多い。
初期型のSu-27は、現在の空中戦の勝敗を決定する上で最も重要なレーダーなど電子機器全般の性能が、F-15に比べて圧倒的に低く、早期警戒管制機 (AWACS) など後方支援を担当するシステムとの連携も劣っていた。しかし、後の改良によりデータリンクの導入、レーダーの近代化などが行われた結果、最新型のSu-35では見劣りしないものとなっている。
1992年にロシアのSu-27部隊がラングレー空軍基地を親善訪問した際、模擬空戦でSu-27がF-15Cに勝利したという情報もあったが、虚偽との情報もあり確かではない[4]。
また、Su-27は同時期に開発されたMiG-29と比較されることも多い。しかし、スホーイ設計局では広大な国土を防空する用途として長い航続距離と高い積載能力をコンセプトにして開発されたのに対し、ミコヤン設計局では局地における格闘戦用途の戦闘機という方針で開発された。両設計局とも中央流体力学研究所(TsAGI)の研究結果を基にしたため基本形状が似ているが、その点に関してはMiG-29の項目を参照されたい。なお、1999年2月25日にエリトリアが使用しているMiG-29とエチオピアが使用しているSu-27が交戦した。Su-27がMiG-29を撃墜し勝利に終わっているが、その詳細についてもMiG-29の項を参照のこと。
Su-27は多くの発展型が開発されている。
本国のロシアではまずSu-27の輸出型としてはダウングレード型(レーダーは、10目標同時追跡、2目標同時攻撃可能N001VEに強化)のSu-27SKとその複座型UBKが開発されている。この型は対地攻撃能力が追加、非誘導兵器のみ搭載可能、アビオニクスに関してはガルデーニヤECCM(Electric Counter Counter Measure:対電子妨害対抗手段)を中核とするLTTS統合防御システムが追加装備されている。これはF-15EのTEWS(内蔵型戦術電子戦システム)であるAN/ALQ-135と同等能力とも言われる。Su-27SK/UBKは中国に輸出されJ-11型 としてライセンス生産されている。また、Su-27を構造から見直し、後述のSu-33同様にカナードを装備しアビオニクスも強化したSu-35が開発され、さらに推力偏向ノズルを装備のSu-37が開発された。これらは量産されなかったが後にSu-30MKIなどにフィードバックされた。Su-35/37の計画中止後ロシア国内向けより先行していた輸出型の成果をフィードバックする形でレーダーやコックピットの近代化、対地攻撃能力の大幅強化などを行ったSu-27SMが開発されこちらは2002年12月27日に初飛行している。2003年からは輸出向けとして大幅に近代化したSu-35BMの開発が開始している。2008年に初飛行したがその当時輸出は成功せず結局ロシア空軍向けとして配備が進められた(のちに中国に輸出)[5]。
艦載型としては構造を強化しテイルコーンを短縮、離陸距離を短くし、カナードを装備したSu-33が開発され。1987年に初飛行、アドミラル・クズネツォフの艦載機として配備されている。
複座型のSu-27UBからはSu-27PUが派生した。Su-27PUは戦術データで他のSu-27P、MiG-31およびその他の迎撃機をサポートするように設計されていたが、のちにSu-30と改名され、主に輸出市場向けのマルチロールファイターに変更されたことに伴い、航空機の本来の目的からは外れることとなった。その後、より発展したSu-30MK系列が開発されている。特にインド空軍に配備されているSu-30MKIは推力偏向システムを備えた初めての実用量産機として知られており、派生型がマレーシア(Su-30MKM)やアルジェリア(Su-30MKA)にも販売されたうえ、ロシア連邦軍でもSu-30SMとして採用されるなど、最も販売が順調なロシア製戦闘機となっている。このほか中国向けにSu-30MKIとSu-35の一部の機能(垂直尾翼等)を組み合わせたSu-30MKKとその発展型のMK2が開発されている[6]。
戦闘爆撃機型としてはSu-34が開発された。これは中止となったT-10KM-2艦載練習機の配置をベースとした並列複座となっており[7]、各パイロットに重複した計器が必要ないことが利点となっている。また、Su-24の実戦経験で確認された欠点を考慮に入れ17mmの厚さの装甲版でコックピットを保護している[8]。1990年に初飛行したが開発は繰り返し停止し、2004年に最初の試作機が完成し[9]、受領が開始されている。
小規模な近代化改修はウクライナやベラルーシでも行われており、ベラルーシではバラーナヴィチの第558航空機修理工場によって開発されたSu-27UBM1、ウクライナではザポリージャ航空機修理工場MiGremontによって開発されたSu-27-1Mがある。
Su-27をライセンス生産したJ-11Aや独自改良を行ったJ-11B、その発展型のJ-16、J-11Bをベースにウクライナから導入したSu-33の試作機を参考に艦載化したJ-15が開発されている。2014年現在、J-11だけは253機以上が配備されている[10]。
Su-27は艦上機型であるSu-33や戦闘爆撃機型であるSu-34など多数の発展型が開発されている。
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