『BIG WAVE』以来、オリジナル・アルバムとしては『MELODIES』以来約3年ぶりとなるスタジオ・アルバムで、『MELODIES』以来となるオリコンチャート1位も獲得した(当時のLP・CT・CDチャート全て)。
このアルバムからデジタル機材を導入して制作が行なわれている。制作当時はアナログ機材からデジタル機材に向かう過渡期であった。1980年代中盤のレコーディング環境は、従来の2インチ幅テープを使用するアナログ24トラックMTRから、デジタルマルチチャンネルレコーダーを用いたものに移行つつあった。また、シーケンサーが、SMPTEタイムコードによる同期の下、MIDIのコントロールによるポリフォニックな自動演奏が可能なものに進化し、商業音楽制作の現場において使用され始めていた。
山下の周辺でも、DASHフォーマット準拠の24チャンネルデジタルマルチであるSONY PCM-3324を核とするデジタルレコーディングシステムが導入されていた。しかし、当時はデジタル録音の広いダイナミックレンジを最大限活用することに最も重きが置かれた時代で、その結果、いわゆる「音圧」が低い、ガッツに欠けた音となり、多くのミュージシャンが、従来のアナログレコーディングとの間の違和感に悩んでいた。アナログテープでは録音時に暗黙の内にダイナミックレンジが圧縮されて太い音に変化していたが、デジタルテープになってダイナミックレンジが圧縮されなくなった(そもそも圧縮しなくても記録できてしまう程にデジタル記録方式の性能が高かった)結果として音のにじみや歪みが無くなった事が最大の原因だったが、この当時にはデジタル録音についてのノウハウが全く無く、その原因すら分かっていなかった。また、当時のデジタル機材に搭載されていたADCやDACのフィルタの性能が悪く、リンギング(元の波形には存在しない高調波)の発生により、収録した音が極めて硬質な音に変貌してしまう現象も起きていた。この当時、苦肉の策として、デジタルテープに欠けた音圧を上げるために、デジタルテープレコーダで収録した音声トラックをアナログテープレコーダで録音してからデジタルテープレコーダで再録音するテープコンプ等といった技が考案されたが、急速なデジタルへの移行により、次々と業務用のアナログテープレコーダーのメーカーサポートが無くなるなど、テープコンプの将来性も不透明な状況となっていた。
その状況下で、デジタル機材を活用することで大きく成功していた音楽は、硬質なシンセサイザーの音を前面に押し出したヒップホップや、デジタルシンセやサンプラーの音を点音源のように音像内に配置した音楽(当時の山下は例としてスクリッティ・ポリッティの名をよく挙げていた)だったが、いずれもそれまで山下が制作してきた音楽とは趣を異にするものであり、山下自身も「ヒップホップなどの『いかにもデジタルな楽曲』を作れば、それまでやってきた人達にかなわない」と考えていたようである。
山下自身は音を飽和させてガッツのある音を目指す従来の音楽制作スタイルが全く通用しなくなった事を感じ、一時はデジタル機材への移行を諦め、市場に出回り続けるであろうアナログ機材を可能な限り買い集めて温存することを検討していた。しかし、音楽市場が全面的にデジタル前提のシステムに移り始めたことを考慮し、山下も時代の流れに逆らわず、デジタル機材への移行を決めた。
その結果、本作は山下のディスコグラフィーにおいてもきわめて実験的な色彩の強いものとして制作され、人間的なノリについての相次ぐ違和感から発売は延期を繰り返し、結果として完成した作品は小編成感の強い(本人は「コンボ感の強い」と表現)作風となった。山下は当時「これは試作品である」と発言しており、デジタルな環境と自らの音楽の間の違和感に対して、山下は次作『僕の中の少年』まで試行錯誤を重ねることになった。実際、最初にリリースされたCDである32XM-15の音質は全体的に薄くシャカシャカしており、各パートの音が横並びでごちゃごちゃし、エコーの掛かり方が不自然であるため、まとまりに欠けた出来となっている。これは、デジタルゆえの音のにじみの無さや、初期のAD変換器の大きなリンギング成分(記録した音に付帯する本来存在しない高周波数成分で音がシャカシャカする最大の原因)が空間表現において悪く作用した例である。山下本人もこのバランスが悪い出来には非常に不満があったため、後に吉田保によりトラックダウンからやり直すことになり、『POCKET MUSIC ('91 REMIX)』として1991年 (1991)にリリースされた。
また、起用するミュージシャンがキャリアを重ね、他のミュージシャンのレコーディングやライブ・ツアー等に起用される機会が増えたため、それまでの“練習スタジオに演奏者を集めてリズムパターンを練り上げ、レコーディングスタジオに持ち込んで録音する”という制作方法が困難になり始めてきたことも障害となった。このアルバム以降、山下は自らの演奏と打ち込みによる多重録音を音楽制作の核に据えるようになっていった。
本アルバムは当初、1985年 (1985)に発売が予定されていたが、山下自身の制作環境としても、Roland MC-4(『風の回廊』のシーケンスは当初これで行われている)から、 NEC PC-8801+Roland MPU-401+Roland MIF-PC8+Roland MCP-PC8 / MRC-PC8 のシステムを経て、PC-9801+カモンミュージックRCP-PC98へと至る過渡期にあり、膨大な試行錯誤が要求された。このアルバムの制作以前に使用していたPC-8801ベースのシステムでは発音のタイミングに関する十分な精度が得られず、発音タイミングの微妙な揺らぎにより生じる人間的なノリが再現できなかったため、発売が延期されることになった。その結果、アルバム・リリースにあわせて予定されていたコンサート・ツアー『PERFORMANCE'85-'86』も延期となり、翌年ツアー・タイトルを『PERFORMANCE '86』と改められ、1986年5月 (1986-05)から行われた。
デジタル化以降は、アナログテープの時のように音を増やし過ぎると音同士が融け合わずにケンカする事から、演奏楽器を減らす編曲に変化して行った。この変化はデジタルマルチトラックテープレコーダーの業界標準となったSONY PCM-3348より更に解像度が高いPro Toolsへの移行でも同様となった。
2020年 (2020)には山下監修による最新リマスター盤『POCKET MUSIC (2020 Remaster)』が『僕の中の少年 (2020 Remaster)』と同時発売された[1]。