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サッカーの勝敗決定方法のひとつ ウィキペディアから
PK戦(ピーケーせん / ペナルティー・キックせん、英語: penalty shoot-out)とは、サッカーにおけるタイブレーク方式の一つで、サッカー競技規則第10条第2項に定められた、試合またはホーム・アンド・アウェーの対戦が終了し、大会規定で勝者を決めなければいけない場合に認められている3つの方式のうちの一つ(残りの2つは「アウェーゴールルール」と「(15分以内で同じ時間の前半と後半からなる)延長戦」)[1]。サッカーのペナルティーエリア内での反則に対する直接フリーキックであるペナルティーキック (PK) に準じた方式で行われるため、「PK戦」と称される。
同点で試合が終了した後に、両軍の選手が5本ずつの「ペナルティーマークからのキック」を行い、その得点の多い方を勝者とする方式である。前述のとおり、大会規定で勝者を決めなければいけない場合に認められている方式の一つであり、これらは組み合わせることが出来る。
また、リーグ戦の結果で上位ラウンドに進出するチームを決定する場合に採用される場合があるが、PK戦の適用条件が「順位が同じチームが最終節で同じ会場にいる場合」(すなわち、試合終了直後にPK戦が実施できる場合)と定められていることが多く[注釈 1]、適用例は少ない。
PK戦はあくまでも「大会規定で勝者を決めなければいけない場合に認められている方式」であり、両チームが無得点又は同点の場合(すなわち、PK戦を実施する試合)は、PK戦の結果にかかわらず、試合結果は記録上「引き分け」扱いとなる(競技規則第10条第2項)[1][注釈 2]。。
英語圏では "kicks from the penalty mark" (KFPM)、または "penalty shoot-out" (PSO) と呼ばれていた。元々サッカー競技規則においては、"kicks from the penalty mark" (KFPM) の呼称が採用されており、日本サッカー協会 (JFA) が翻訳監修したサッカー競技規則日本語版でもKFPMの訳語に相当する「ペナルティーマークからのキック」の表現が用いられ[1]、「PK戦」は正式な表現ではなかった。しかし、JFA自身も「PK戦」の表現を用いる[5]など、昔から一般的な用語として定着していた。
サッカー競技規則を策定する国際サッカー評議会 (IFAB) が2023-24競技規則から "penalties (penalty shoot-out)"の呼称を採用することになったことを受け、JFAにおいても競技規則上の表現が「PK戦(ペナルティーシュートアウト)」に改められることになった[6]。
競技規則第10条第3項に定めがある[7]。なお、本節では便宜上、「ペナルティーマークからのキック」のことを「PK」と称することとする。
試合中に与えられた注意や警告は、PK戦には繰り越されない(すなわち、試合中に警告を受けていた選手が、PK戦中に警告を1回受けたとしても退場とはならない。また、試合中のペナルティーキックで反則を犯し注意を受けていたゴールキーパーが、PK戦中に反則を犯してキックのやり直しとなった場合も1回目のときは警告ではなく注意となる。)[注釈 4]。
なお、かつては1人目からサドンデス方式のPK戦を行った大会もある(1991年のコニカカップや1992年のヤマザキナビスコカップなど)。またビーチサッカーのPK戦はしばしば「1人目からサドンデス方式」で行われる(FIFAビーチサッカーワールドカップなど)。フットサルでは「3人ずつのシュート」で決着を付けていた(同点の場合は4人目からのサドンデス)が、2020-21年の競技規則で改正され、サッカーと同じ5人制となった。
黎明期から1970年まで、サッカー競技規則に於いては試合結果の決定に関する規定が存在しなかった。このため、試合結果の決定には、延長戦と再試合が行われるのが一般的であった[注釈 5]。主要な試合では勝者決定方法として抽選が行われており、UEFA欧州選手権1968の準決勝でソビエトとイタリアの試合がスコアレスドローに終わり、決勝進出チームを決めるのに抽選が行われイタリアが決勝進出を決めたことが知られている[10]。
その一方、1950年代以降、同点で試合終了した場合にペナルティーマークからのキック合戦が行われるようになり、1952年のユーゴスラビアカップ[11]、1958-59年シーズンのコッパ・イタリア[12]などにその記録が残されている。
国際的なルールとしてPK戦の導入を提案したのはイスラエルのヨセフ・ダガンだと言われている[13]。1968年メキシコシティーオリンピックのサッカー競技準々決勝でイスラエルがブルガリアに抽選で敗れたことを受けて[14]イスラエルからFIFAに提案[14]。1970年2月20日に、国際サッカー評議会 (IFAB) は、「完全には満足していない」ものの、その受け入れを推奨した。
主要な国際大会の決勝戦で優勝チームを決めるために、PK戦が初めて導入されたのは、1976年のUEFA欧州選手権1976決勝におけるチェコスロバキアと西ドイツの試合であった。元々は2日後に再試合を行う予定であった[15]が、PK戦が実施され5-3でチェコスロバキアが勝利した。
FIFAワールドカップでは1978年大会からPK戦が導入された[16][17]。1978年大会ではPK戦の機会がなく、初めてのPK戦は1982年大会準決勝の西ドイツ対フランス(西ドイツの勝利)だった[16]。なお地区予選では1978年大会アフリカ予選のチュニジア対モロッコ(チュニジアの勝利)が初めてのPK戦だった。
イギリスの教育・研究機関ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス (LSE) により、以下のような研究結果が発表されている。
研究を主導した教授のイグナシオ・パラシオス・ウエルタは「ポイントを先行されることからくる精神的なプレッシャーが、後に蹴るチームのパフォーマンスに明らかに影響をおよぼしている」と分析している[18]。
先攻有利を解消するため、従来の先攻後攻が交互に蹴る方式ではなく、先攻→後攻→後攻→先攻の順番でキックを行う「ABBA方式」でPK戦を行う方法もテストされ[19]、日本では2018年度のスーパーカップ、ルヴァンカップ決勝トーナメント、天皇杯でABBA方式によるPK戦が実施されたが、主要な国際大会では採用されなかったため、2020年には従来の方式に戻された[20]。
実力以上に運が勝敗を左右するため、欧州では「ルーレットだ」とさえ言われており、PK戦を嫌う傾向がある。廃止を望む声も多く、様々な代案が議論された時期もあったが、「クジ引きよりはサッカーらしい」「PK戦以上の良案がない」として続けられている[21]。なおゴールデンゴールやアウェーゴールなどのルールも、「PK戦まで縺れ込むケースそのものを減らすため」というのが導入理由のひとつであった。
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