Loading AI tools
ジョン・ブローニングが第一次世界大戦末期に開発した重機関銃 ウィキペディアから
ブローニングM2重機関銃(ブローニングエムツーじゅうきかんじゅう, 英語: Browning Machine gun, caliber.50, M2)は、アメリカ合衆国で20世紀の戦間期に開発された重機関銃である。
M2 HB(画像上) 近代化改修モデルのM2E2(画像下) | |
ブローニング M2 .50口径重機関銃 | |
---|---|
種類 | 機関銃 |
製造国 | アメリカ合衆国他 |
設計・製造 |
|
仕様 | |
種別 | 重機関銃 |
口径 | 12.7 mm |
銃身長 | 1,143 mm |
ライフリング | 8条右回り |
使用弾薬 | 12.7x99mm NATO弾(通常弾、焼夷弾、徹甲弾など) |
装弾数 | ベルト給弾(1帯110発) |
作動方式 | ショートリコイル |
全長 | 1,645 mm |
重量 |
|
発射速度 |
|
銃口初速 | 887.1 m/s(M33) |
射程 |
|
歴史 |
原型である水冷式機関銃をジョン・ブローニングが開発したのが第一次世界大戦末期にあたる1917年~1918年、前身のM1921がアメリカ軍に制式採用されたのは1921年、それを改良したM2の採用が1933年であるが、信頼性や完成度の高さから21世紀に入っても世界各国で生産と配備が継続されている[注釈 1]。
第二次世界大戦中アメリカで200万挺以上が生産され、大戦以来、現在でも各国の軍隊で使用されている著名な重機関銃である。高い信頼性、ストッピングパワーを持つことで知られる。口径が0.50インチであることから別名“キャリバー50” (Caliber .50) や“フィフティーキャル” (.50 Cal) と呼ばれる。またM2を読み換えたマ・デュース (Ma Deuce) というあだ名もある。
M2は戦車や装甲車、トラックやジープなどの車載用銃架、地上戦闘用の三脚架、対空用の高架三脚銃架、連装、または四連装の動力付き対空銃架、艦船用対空銃架といった様々な銃架に搭載されて用いられ、また、全体を軽量化して発射速度を高める等の改良を施された発展型が航空機用固定機銃、航空機用の手動 / 動力付き旋回機銃架として用いられ、陸・海・空軍を問わず広く配備された。簡単な部品交換だけで左右どちらからでも給弾できることも柔軟な運用を可能にした。
アメリカでは、M2の後継として1950年代後半に車両搭載用途を更新するものとしてM85機関銃が開発されたが、問題が多く、M2の後継とはならないままに終わった。1990年代後半より再び後継用機関銃の開発が進められ、XM312・XM806といった新型機関銃の開発が進んでいたが、2012年に開発が中止された。
結果、設計されて90年以上も経つが、費用を考慮しての基本構造・性能トータル面でこの重機関銃を凌駕するものは、現在においても現れていない。FNハースタル社が代表的な改良型として、銃身交換を容易にしたFN M2HB-QCB (M2 Heavy Barrel-Quick Change Barrel) を開発し、先進諸国を中心に現有M2重機関銃のQCB改修、生産の切り替えが進んでいる。
第一次世界大戦への参戦の結果、装甲戦闘車両(戦車)や金属製外皮を持つ全金属製航空機の登場を鑑みて、より大威力の機関銃が必要だと考えたアメリカ外征軍総司令官ジョン・パーシング将軍は、当時のアメリカ軍の標準弾薬であった.30-06スプリングフィールド弾(.30口径7.62mm)を上回る口径・威力の弾薬とそれを用いる火器の開発を要求した[2]。パーシングからの要求の他にも、前線からは砲兵戦闘において大きな脅威となる敵の砲兵用観測気球を射撃できる歩兵部隊用の高精度かつ長射程・大威力の火器が求められていたこともあり、これらの要求を包括できる銃と新弾薬の実用化が急がれた。
この要求に対し、観測気球を射撃することを目的に進められていた弾薬の研究から、まずはフランスおよびイギリスで対気球攻撃に用いられていた11×59mmR Gras弾の導入が検討されたが[3]、これは性能の面でパーシングの要求を満たせず[3]、次いで.30-06スプリングフィールド弾を基に拡大化した.50口径 (12.7mm) の弾薬が開発され、最終的には.30-06弾の拡大形を基本としてドイツの対戦車・対航空機用弾薬である13.2x92mm TuF弾を参考にしたものがウィンチェスター社により.50 BMG弾として完成した[4]。この弾薬を用いる機関銃として1918年にジョン・ブローニングが完成させたものが、水冷式のブローニングM1917重機関銃を拡大改設計した“ブローニング・ウィンチェスター.50口径重機関銃 (Browning Winchester Cal.50 Heavy Machine Gun) ”で、この機関銃はアメリカ軍に採用されて“Model 1918”の仮制式名が与えられたものの、同年に戦争が終結したため、量産と配備は行われなかった。
大戦後の1921年になり改めて制式化されたブローニング・ウィンチェスター.50口径重機関銃には「M1921」の制式名が与えられ、アメリカ軍への導入が進められた。戦間期の軍縮による予算の縮小により当初の予定ほどには装備されなかったものの、その威力と射程は様々な標的に対し大いに有効であった。しかし、M1921には連続射撃を繰り返すと水冷式にもかかわらず銃口部が加熱して暴発が多発するという問題点があり[5]、改良型の「M1921A1」が開発されたものの、なおも“給弾方向が一方に限られる(機関部左側からのみ可能)”ことによる運用上の不満点が多く挙げられた。また、M1921の装備を希望する部隊・部署によって重視する点が異なっているため[注釈 2]それらに対処するためには派生型を多数開発せねばならず、戦間期の限られた予算規模ではいずれにも十分な数が揃えられない、という問題もあった。
上述の問題に対処するため、陸軍省兵器部長室産業部門小火器部門技術課主任( chief of the Engineering Section, Small Arms Branch, Industrial Division of the Office of the Chief of Ordnance, Department of the Army)であるグリーン博士(Dr. S. G. Green)により、1933年にはM1921A1のさらなる改良型が開発された。この新しい.50口径機関銃はM1921の構造を基本的に踏襲しつつ、共通の機関部を基礎として給弾方向と銃身および撃発装置を用途に合わせて容易に変更できるようにしたもので、これがCal.50 M2である[注釈 3]。
M2では肉厚の銃身とすることで銃身の過熱に対する耐久性を向上させた空冷型も開発され、「M2 HB」(Heavy Barrel:重量型銃身の意)の制式名が与えられた。1938年の本格調達開始以後、水冷型に替わって地上部隊向けの標準的なモデルとなり、HB型は単に"M2"と呼ばれるようになり、"Cal.50 M2"といえばこのモデルを指すようになっている。
M2よりの直接の派生型としてではないが航空機搭載型も開発され、「Cal.50 AN/M2」の制式名が与えられてアメリカ軍の主力航空機関銃となった。AN/M2は発射速度と信頼性を向上させた改良型の「Cal.50 AN/M3」に発展し、M3の更なる発展型として「GAU-15/A(XM218)」「GAU-16/A」「GAU-18/A」「M3M/P」といった各種改良型が開発されている。
(「ブローニングM2重機関銃#AN/M2」および「ブローニングM2重機関銃#AN/M3の節参照)
M2重機関銃はクローズドボルト形式の閉鎖機構を持ち、ショートリコイル方式で作動する弾帯給弾式機関銃で、その設計は基本的に原型のM1917機関銃と同様であり、作動部品の各部構成もほぼM1917と同一であるが、使用弾薬の大口径化に伴って“リコイルバッファー(英語: Recoil Buffer)”と呼ばれる油圧式の緩衝装置が追加されている点が異なる[6]。
装填は銃本体のフィードカバーを前方へ押し上げて弾帯の第1弾を給弾口に差し入れた後、フィードカバーを閉じ、機関部側面にあるコッキングレバーを後方へ引く必要がある。カバーを開けずに装填することも可能であるが、この場合は第1弾を給弾口に差し込んだ後にコッキングレバーを二度引かないと薬室に初弾が入らない。なお、給弾方向(弾帯の挿入方向)は簡単な部品の変更と組み換えで左右どちら側にも任意に変更することが可能で、コッキングレバーも簡単な作業で左右任意の位置に変更することができる。発砲後の排莢は機関部の下方に行われ、弾帯の金属製分離式リンクは給弾口の反対側に排出される。銃身は銃の前方からねじ込まれており、ボルトを手動で約16分の1インチ後退させると手で回せる状態になり、抜き取り・装着、さらに後述の頭部間隙調整を行える。
発射は後部に露出する逆Y字型のトリガー("butterfly trigger"と呼ばれる)を親指で押す押金式となっている。M2には連 / 単射の切り替え機能はないが、連射はトリガー下のボルト・ラッチ・リリースを解放状態で固定することで可能とする方式で、ボルト・ラッチ・リリースを解放状態にしなければ作動は1発のみで停止し、ボルトが後退位置で止まる。再度の発砲にはボルト・ラッチ・リリースを改めて解放してボルトを前進させる必要がある。これにより実質的にセミ/フルオートの選択が可能である[7]。この機能を活用して、弾薬を浪費せずに照準調整(零点規制もしくはゼロイン)を行える。射撃時にはトリガー両脇にあるハンドルを握って保持するが、トリガーを押し込むこと自体は片手だけでも可能である。なお、M2には元来はトリガーや発射機構を固定する安全装置(セイフティ)は備えられていないが、近年の改修型(M2A1)では安全装置が追加されている。
設計上の射撃速度は450-600発 / 分だが、連続射撃に伴う機関部と銃身の過熱から持続発射可能数は40発程度で、銃身は100発程度の発砲で温度が約130-230 ℃に達する。これにより、銃身底部と機関部の間隔を調整する頭部間隙(ヘッドスペース、head space)の調整と、撃発と排莢のタイミングを最適化するタイミング調整という作業が必須となる。これを怠ると命中精度が著しく損なわれる他、排莢不良や過大な発射ガス漏れによる射手の負傷など、事故へとつながる。調整にはそれぞれ専用のシックネスゲージを用いて行われる。本稿冒頭で紹介したFNハースタル社のFN M2HB-QCBは、この調整作業を省略できるようにした改良である。通常は5-7発程度の弾数を断続的に射撃する(バースト射撃)ことを繰り返す形で運用される。
歩兵の場合、M2は3名のチームで運用するためEn:Crew-served weapon(CSW)の一種である。基本的構成として用いられる三脚は対地攻撃用のM3三脚架(現在はM205三脚へ代替中)で、この他、対空機銃として用いるための地上設置型マウントが各種ある(後述「銃架」の節参照)。
なお、軽機関銃や分隊支援火器のもののように銃自体の付属品として装備される二脚とは異なり、M2用の三脚架はそれ自体に個別に制式番号のつけられる、独立した装備品である。ただし、M2を三脚架を用いずに本体を直接射手がハンドルを保持する等の運用法で射撃することは、重量・発射反動の点から実際には不可能であるため[注釈 4]、M2が本体のみで銃架を用いずに運用されることはない。
M2は装甲車両に装備される機関銃としても標準的な存在であり、M60パットン・M1エイブラムスなどの戦車やM113・M109といった装甲戦闘車両では主に車長用武装として車長用展望塔(司令塔)に、ソフトスキン車輌ではキャビン上にマウントリングを追加して自由に旋回させられるようにして装備している。さらに、近年はM2を搭載した遠隔操作銃座(RWS)が複数種開発され、ストライカーICVなどの車輌に搭載されている。
M2の航空機搭載型としての派生型であるCal.50 AN/M2(後述)は、第二次世界大戦中に使われたアメリカ軍航空機の代表的な武装でもあった。AN/M2は弾道特性の良好さと開戦当初はまだ主流であった7mmクラスの航空機銃と比較して大口径大威力であったことから大きな効果を示したが、航空機銃として見ると列国のものの中では使用弾薬の口径と発射速度に比して銃本体が大柄で重く、弾薬給弾方式を銃本体の給弾機構にのみ依存しているため、高いGのかかる空中戦では空戦機動時にベルトリンクが捩れることによる装弾不良が頻発、ベルトリンクや装備方法に改良が加えられたが、完全とはいえなかった。アメリカ陸海軍では20mm口径の航空機関砲への移行を計画したが、十分な性能と信頼性を持ったものが導入できず、大戦を通じてAN/M2が主力航空機関銃として用いられることになる。
このため、航空機には1機当たり多数を搭載することで火力を補い、装弾不良の発生で火力を失う事態を避ける工夫が成された。中でもA-26は、前方固定のM2を14門(加えて旋回機銃として連装機銃2基、合計18門)装備することにより機体性能も相まって圧倒的な攻撃力を得た。アメリカの開発した初期のジェット戦闘機においてもAN/M2、およびその改良型のAN/M3が多連装で搭載されている。しかし、炸裂弾頭を用いることのできない12.7mm機銃弾では同時発射数で補ったとしても口径20mm以上の機関砲に火力で劣るため[注釈 5]、第二次世界大戦後は20mm口径の航空機関砲への移行が本格的に進められ、ポンティアック M39リヴォルヴァーカノン、そしてM61 モーターガトリング砲といった20mmクラスの航空機関砲に取って代わられていった。
第2次世界大戦 / 朝鮮戦争の後においても一部の大型爆撃機は防御武装として機銃を搭載しており、ベトナム戦争に際しては北ベトナム領内への戦略爆撃(北爆)に参加したB-52D爆撃機が機尾に装備したAN/M3の4連装銃座でMiG-21戦闘機を撃墜する戦果を挙げている[9][10][注釈 6]。
現在ではアメリカ軍の固定翼機でこの銃を搭載する機種は運用されていないが、アメリカ海兵隊ではUH-1N、CH-46E、CH-53Eなどのヘリコプターにドアガンとしてキャビン内から乗員が対地射撃をする際に使用している。他にブラジル製軽攻撃機A-29スーパーツカノはM3P 12.7mm機銃を固定機銃として運用している。
M2は制式化当初より水冷銃身型が艦艇に搭載する対空機銃として用いられた。航空機銃同様、第2次世界大戦とそれ以後は20mm口径の機関砲に代換されていったが、小型艦艇に対する近距離攻撃兵器としては艦載兵装として運用され続け、哨戒艇の主武装としても用いられた。
艦艇に装備されたM2は単装もしくは連装の銃架に搭載して用いられたが、1960年代に開発されたものに小型艦艇用として反動緩和装置付きの銃架に81mm後装式迫撃砲と縦列連装でM2を搭載した"Mk.2 Mod 0/1 mortar/gun mount"があり[11]、ベトナム戦争において主に哨戒艇に搭載されて近距離兵装として用いられた。
M2は現在でもアメリカ海軍の一部艦艇に個艦防衛の最終防衛ラインの一翼を担う兵器として装備されている他、アメリカ沿岸警備隊も使用している。巡視艇などの小型艦艇の装備には遠隔操作式銃座(RWS)のものもある。
ベトナム戦争において、後に確認殺害戦果93を挙げたアメリカ海兵隊のトップ・スカウト・スナイパーであるカルロス・ハスコックが、この重機関銃の射程の長さと威力に注目して前線基地で単発狙撃に使用し、7.62mm弾よりも弾道特性が良好で射程も威力も充分であると報告している。
実際に、この時の狙撃は当時の最長距離の狙撃記録を大きく上回り(約2,300m)、その35年後に元から狙撃用として作られた対物ライフルによって、やっとこの記録は破られた。この銃は長時間の射撃に耐えるために長く重い銃身(ブルバレル)を持ち、三脚による固定と本体重量の恩恵で単発射撃では反動の問題もほとんどなく、発射速度が機関銃としては比較的遅いことから、トリガーでセミオート、フルオートのコントロールをするのが容易であったという。銃身・弾薬の精度は比較的高く、構造上も他の機関銃に比べれば狙撃に向いている。これは、ハスコックのオリジナルではなく、古くは朝鮮戦争の長期に亘る山岳戦において、長距離での狙撃に使われている[13]。そこではブリーチをロックしてセミオート化し、上部にテレスコピックサイトを追加する事で、据付の長距離狙撃銃として使用したという記録が残されている。
本銃が活躍した例としてフォークランド紛争でのアルゼンチン軍の防衛戦術がある。1982年6月11日にイギリス軍第3空挺大隊は夜陰に紛れてロングドン山地へ進軍し、西側の山頂”フライハーフ”に到達したものの、21:30ごろ周囲のアルゼンチン軍陣地に捕捉され、105mm無反動砲や迫撃砲による砲撃に加え、暗視装置を装備した狙撃兵による狙撃とともに遮蔽壕からM2重機関銃による猛射を浴び、狭い稜線上でほとんど身動きができない状態に陥った[14]。これに対しイギリス軍は砲兵に支援を要請したが、強固な天然岩盤に囲まれたアルゼンチン軍陣地にはあまり効果がなく、最終的に7.62mm汎用機関銃で支援された歩兵がアルゼンチン軍火点に対戦車兵器や手榴弾と銃剣突撃による直接攻撃を敢行し、これを攻略した[15]。イギリス軍は18人の戦死者と約40名の負傷者を出すなど、出血を強いられた [16]。
上記のアルゼンチン軍の重機関銃運用を、通常の射撃ではなく「単発狙撃」であったとする記述が、一部の日本語文献には見受けられる[注釈 7]。しかしフォークランド紛争、重機関銃、狙撃銃、狙撃手などに関する英文書籍やその日本語訳書籍[注釈 8]には、「フォークランド紛争での重機関銃による単発狙撃」についての言及が見当たらない。上述したように朝鮮戦争やベトナム戦争でM2を単発狙撃に用いたことは知られているが[13]、フォークランド紛争でM2を狙撃に用いたと述べている英文文献はない。
また「フォークランド紛争での重機関銃の狙撃運用がきっかけとなって対物ライフルが開発された」とする説も、一部の日本語文献[注釈 9]には見受けられるが、これも英文文献やその和訳書[注釈 10]では言及されていない。
太平洋戦争ではアメリカ合衆国と干戈を交えることになった大日本帝国だったが、陸軍航空部隊を中心に、旧日本軍でも航空機関砲(固定式・旋回式)としてブローニング系機関銃やその改良型が大々的に使用された。
この節の加筆が望まれています。 |
第二次世界大戦後、日本が再軍備を進めるとM2もまずはアメリカ軍よりの供与品として装備された。供与品の他、住友重機械工業の田無製造所で1984年からライセンス生産が行われている。
陸上自衛隊では主に戦車・自走砲・装甲車などの車載機関銃や対空用として「12.7mm重機関銃M2」という名称で採用して各部隊が装備しており、年間80挺を新規調達している。M3銃架は96式40mm自動てき弾銃と互換性がある。対空兵器として地上設置する場合はM63対空銃架を使用する。現在では前述のQCB仕様のものが調達されている。調達価格は約530万円である[要出典]。
海上自衛隊では創設間もない時期の護衛艦や哨戒艇などに数挺搭載していたが、威力不足と短射程を理由に一時期搭載する艦艇はなくなった。しかし、北朝鮮の不審船事件などを受けて、皮肉なことに現役艦載武器の威力過剰[注釈 11] が問題とされて、小目標に対する適切な火力を有する本銃が再び搭載されるようになった。なお、M2は艦艇固有の装備ではなく搭載品として扱われている。航空自衛隊でも本機関銃を四連装としたM55機関銃トレーラーを基地防空用として採用した[注釈 12]。
海上保安庁でも創設当時から運用しており、「13ミリ機銃」と呼称され、多くの巡視艇に装備された。現在でも13mm単銃身機関銃として巡視船や巡視艇に搭載されている。
2013年(平成25年)12月18日、メーカーの住友重機械工業において、5.56mm機関銃(ミニミ軽機関銃)・74式車載7.62mm機関銃・12.7mm重機関銃(ブローニングM2重機関銃)の3種で少なくとも合計5,000丁にものぼる試験データ改竄が発覚。同社は5ヶ月の指名停止処分となった。
2021年4月、住友重機械工業が機関銃の生産から撤退することが公表された[25][26][27]。機関銃のメンテナンスや整備用の部品の生産は続ける方針。
アメリカ軍において航空機搭載機関銃としての.50口径機関銃は、ブローニングM1917重機関銃の口径拡大型としてブローニング・ウィンチェスター.50口径重機関銃が開発された際に、同様にM1917の航空機搭載型であるM1918M1を.50口径に拡大改設計したものとして、"Aircraft Machine Gun, Model 1918, Cal.50"の仮名称で開発されていた。この空冷式機関銃は地上型のCal.50 M1918と同様、戦争の終結により本格採用も量産・配備もなされなかったが、地上型M1918が戦後に改修を加えて改めてM1921として制式採用された際に航空型M1918もM1921同様の改修が加えられ、「Cal.50 M1921E1」として制式採用された。
M1921E1は遠隔操作式の固定武装型(Fixed)と手動操作式の旋回機銃型(Flexible)が開発され、.30口径の航空機関銃と並んで戦間期のアメリカ製軍用機の武装として用いられたが、航空用としては重量があること、給弾方向が一方に限られること(機首に並列に搭載できず、翼内搭載も難しくなる)、弾薬が重くかさばること、発射速度の低さや射程距離の短さなどへの不満もあり、予算の問題もあって1923年から1933年の間に990丁しか調達されなかった[34]。
1930年代に入り、地上型のM1921とその改良型であるM1921A1がM2に発展するにあたって、M1921E1からは地上 / 艦載型との互換性をある程度断念し部品の共通性が低いが大幅に軽量化して発射速度も向上させた航空機搭載専用のものが開発されることになった。これがM2の航空機搭載型であるCal.50 AN/M2で、"AN"とは"Army / Navy"、“陸海軍共通”を示す[注釈 14]。
このような経緯から、AN/M2は地上型のM2から直接開発されたわけではなく、M2の派生型ではあるが開発系統は別個のものである。作動機構や基本的な内部構造は地上型のM2とほぼ同様だが、部品には完全な共通性はなく、発射速度は毎分600-800発、もしくは毎分700-850発に向上されている。地上型に比べレシーバーの板厚を薄くするなどして全体的に軽量化されており(M2の38kgに対しAN/M2は28kg)、機関部前端の形状が異なることと、バレルジャケットが銃口部まであることが外見上の識別点である。
AN/M2には銃架に架載されて地上型のM2と同様のスペードグリップ/手動トリガーを用いて射手が操作する手動操作型と、電磁式トリガーに対応した撃発システムを用いて戦闘機の主翼や機首に装備され、コックピットからの遠隔操作で発射できるようになっている固定搭載型の2種類があり、P-47 サンダーボルトやB-17といったアメリカ軍戦闘機や爆撃機などに広く搭載された他、ベトナム戦争においてはヘリコプターなどにも搭載された。
AN/M2の発展型[注釈 15]。給弾速度および給弾信頼性の向上を図ったもので、内部構造の見直しと給弾機構の改良が図られ、電気モーターを用いた補助機構により発射速度を1,200発/分に強化しており、外観はAN/M2とはほぼ同型だが全面的な設計の見直しにより部品の共通性はわずかになっている。外観としては機関部後面のバッファーチューブがAN/M2に比べて大型化されている点が顕著に異なる。
AN/M3はF-86 セイバー他初期のジェット戦闘機の搭載武装として用いられた他、XM14/SUU-12 ガンポッドとしても使用された。また、AN/M3はM24 20mm機関砲[注釈 16]と並んで大型爆撃機に防御機銃として装備された最後のものの一つでもある。後にはヘリコプターに搭載する“ドアガン”として有人で操作するものや、自走対空システム車両の副武装としても使用された。
各種銃架が制式化されている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.