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Lady oh!(レディ オー)は、日本の女性アイドルグループ。
1981年10月、ニッポン放送の下半期番組編成にて、土曜のナイターオフ枠にて若年層向けの番組編成を前提に、アミューズに所属していた若手女優やタレントを起用。
当初はユニット名を命名しておらず、番組タイトルである「ラジオッコ[1]」から捩り「ラジオっ娘」(ラジオっこ)のユニット名としてメジャーデビュー。その後、番組を通して人気が出た事で、テレビ番組や雑誌「週刊プレイボーイ」のグラビアにも進出した。
1982年6月11日放送の『ラジオっ娘のオールナイトニッポン』の番組内で、ユニット名をリスナーから公募し、約9千通の案の中から『アバンギャルズ』『チャター・キャッツ』『レディ・オー』の3点に絞って最終選考に回し、同年7月2日の同番組の生放送中にこの3点で電話によるリスナー投票を行い、その結果「Lady oh!」に改名[2]。所属していたアミューズ会長の大里洋吉はこの3人について「これで売れないのはおかしい。しっかり育てれば第2のキャンディーズになれる」と話していたことがある[3]。1982年8月1日、西武球場で開催された『'82パルサージャム』でLady oh!に改名後初めてのステージに立った[3]。
同年11月にリリースしたシングルを最後に『電話好きッコラジオッコ』の2シーズン目放送終了と共にユニットとしての活動も終了。
メンバーのその後の活動状況は、メンバー各々の頁を参照。
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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ラジオっ娘 名義 | |||||||
1 | 1982年 2月21日 | A面 | やったね MARIKO! | 実川俊 | Lucky Jets | 伊賀焼丸 | 7A-0152 |
B面 | さよならのソネット | 高田ひろお | 鈴木邦彦 | 松井忠重 | |||
2 | 1982年 4月21日 | A面 | 恐れちゃいけない | 近田春夫 | 後藤次利 | 7A-0172 | |
B面 | ひとつになりましょ | ||||||
3 | 1982年 8月5日 | A面 | 茅ヶ崎サンライズ[注釈 1] | 宮下康仁 | 新田一郎 | 7A-0204 | |
B面 | デートとは何か? | 近田春夫 | 後藤次利 | ||||
Lady oh! 名義 | |||||||
4 | 1982年 11月5日 | A面 | あいつBye Bye | 三浦徳子 | 馬飼野康二 | 7A-0231 | |
B面 | 東京ジャズクラブ | 宮下康仁 | 新田一郎 | 鈴木慶一 | |||
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