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CH-53 シースタリオン(CH-53 Sea Stallion)は、アメリカ海兵隊の強襲作戦用に開発されたシコルスキー・エアクラフト社製の重量物輸送ヘリコプター(heavy lift transport helicopter)。愛称のスタリオンは、成長し去勢されていないオス馬の意。社内・輸出・民間型などの呼称はS-65。
CH-53 シースタリオン
原型は、当時西側諸国最大のヘリコプターとして初飛行し、アメリカ海兵隊への引渡しは1966年より開始されている。以来改良、強化、多用途化が続けられ、アメリカ海軍、アメリカ空軍はもとより、ドイツ、イスラエルなどにも輸出されている。
アメリカ海兵隊は、1960年より、HR2S(シコルスキーS-56)の後継となる輸送ヘリコプターの検討を開始した[1]。当初は陸・海・空3軍と共同でXC-142の開発に参加していたが、開発の遅延と構造の複雑化を危惧して、海兵隊は離脱を決定した[1]。
1962年3月、海軍兵器局 (BuWeps) は、海兵隊のための「次期重ヘリコプター」(Heavy Helicopter Experimental , HH(X))の要求仕様を提示した[1]。HH(X)計画に対し、ボーイング・バートル社はチヌークの改良型を、カマン社はフェアリー ロートダイン複合ヘリコプターの発展型を、そしてシコルスキー社はS-61のスケールアップ版を提示したが、イギリス政府がロートダイン計画への支援を打ち切ったためにまもなくカマン社は撤退し、ボーイング・バートル社とシコルスキー社の一騎打ちとなった[1]。既にチヌークは陸軍で採用されていたことから優位に立っていたが、シコルスキー社はこの競争に全力を投入し、1962年7月に契約を獲得した[1]。
当初計画ではプロトタイプ4機が製作されることになっていたが、海兵隊の予算不足のため半減することになり、1962年9月、シコルスキーは2機のYCH-53A試作機とモックアップ、地上試験用機体を1000万ドル弱で受注した[1]。当時国防長官を務めていたロバート・マクナマラは軍種間の「共通化」を推し進めており、海兵隊にも陸軍と同じくチヌークを導入するよう働きかけていたものの、海兵隊は、チヌークを導入する場合にはかなりの変更を加える必要があり、かえって高くつくとして、説得に成功した[1]。YCH-53Aは計画より4ヶ月遅れの1964年10月14日に初飛行している[2]。続いて、16機の量産型CH-53Aの発注がなされている。量産機の引渡しは1966年9月から開始された[3]。
輸送型 | 掃海型 | 戦闘捜索救難型 | |
---|---|---|---|
エンジン2基 | CH-53A CH-53D VH-53D CH-53G | RH-53A RH-53D | HH-53B HH-53C HH-53H MH-53H MH-53J MH-53M |
エンジン3基 | CH-53E CH-53K | MH-53E |
HH(X)計画では、8,000ポンド(3.6 t)のペイロードを搭載し、150ノット(280 km/h)の速度で、100海里(190 km)の行動半径を有することが求められていた[1]。人員輸送のみならず、航空救難、航空機回収をも任務とするなど重物資輸送にも重点が置く機体とされた[1]。この要求事項を満たすため、CH-53A(S-65)は、シコルスキー S-61R(CH-3)を参考にした胴体に、シコルスキー S-64の動力系統を組み合わせ、エンジンをゼネラル・エレクトリック T64に換装した機体となった[1][4][5]。
CH-53Aは、機内に38名の完全武装兵、または担架に乗せた42名の負傷兵と4名の看護員を乗せることができた。貨物の積載量は3,600 kgで、5,900 kgまでの大型機材を吊り下げ輸送することもできた。
1967年1月には海兵隊の第463海兵重ヘリコプター飛行隊(HMH-463)の機体がベトナム戦争に投入され[2]、CH-54とともに物資輸送に用いられた。CH-53Aは総計139機が製造されている[2]。
エンジンをT64-GE-6(2,850 shp)からT64-GE-413(3,925 shp)に換装したCH-53Dは、1969年1月27日に初飛行している。同年3月より引渡しが開始され、126機が製造されている。トランスミッションなども改良されたことにより、兵員も55名の輸送が可能となった[1]。なお兵員輸送用のほか、CH-53Dを元にした要人輸送型としてVH-53Dがあり、さらにマリーンワン向けとしてVH-53Fが6機発注されたものの、こちらはキャンセルされた[3]。
アメリカ海軍は1971年に、海兵隊よりCH-53Aを15機取得し、掃海ヘリコプターRH-53Aとして運用した。これは、エンジンがT64-GE-413に換装されている。この機体は後にCH-53Aとして海兵隊に返却された[2]。続いてCH-53Dを原型としたRH-53Dが製造され、海軍は30機を取得している。
航空掃海具の曳航の他、機雷処分用にブローニングAN/M2機関銃(航空機搭載型)を装備している。RH-53Dはイーグルクロー作戦にて長い航続距離と艦載機としての運用能力を買われてデルタフォースを輸送するヘリコプターに選ばれ、砂漠地帯の飛行のため砂漠迷彩に塗り直されて使用されたが、元々この用途に適した機体ではなく、作戦は失敗に終わっている。
アメリカ空軍は、CH-53Aの発展型として機体側面に増槽を装備したCH-53Cを取得したほか、CH-53AをもとにHH-3Eと同じ装備を施した戦闘捜索救難機としてHH-53B スーパージョリーグリーン(Super Jolly Green)を運用しベトナム戦争に投入した。
その後、ドップラー・レーダーなどを含むペイブロウIIIシステムを搭載したHH-53H、特殊作戦も考慮した強化型のMH-53Jへと発展していった。
アメリカ国外には、下記のようなモデルが輸出されている。このほか、イラン海軍はRH-53Dを取得したが、イラン・イラク戦争後はもっぱら輸送任務に使用していると見られている。
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