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鵜飼菜穂子(うかい なほこ、1959年10月4日[1][2] - )は、愛知県名古屋市出身[2]、岐阜県立長良高等学校卒業の元ボートレーサー。登録第2983号。血液型O型。48期。愛知支部所属。師匠は沢田菊司。公営競技女子最高齢勝利の記録の保持者の一人であった[3]。
父親は銀行員で転勤が多く、宇都宮市や岐阜市、高山市、豊橋市など中部地方を転々とした[4]。岐阜県立長良高等学校を在学中に奈良女子大学を受験したが不合格となり、卒業後は名古屋市で浪人生活を送るがまたも奈良女子大学の受験に失敗する[5]。2年目の浪人生活中に父親に誘われて訪れた蒲郡競艇場で「男女募集」「平均年収1200万円」と書かれた競艇選手募集のポスターを目にし、生来のスピードへの憧れと「女子大を出ても社会で役に立たない」という思いも手伝い、またこれと相前後して当時9年ぶりの女性選手としてデビューしていた田中弓子に憧れたこともあり、競艇選手を志すようになり、本栖研修所に入所した[6]。
研修所を卒業し、デビュー前に蒲郡競艇場で練習している際に大時計に激突する事故を起こし[7][8]、他の同期よりも半年遅れてのデビュー戦を迎えることとなった。
1989年に、優勝回数・勝率・獲得賞金の3部門で女子選手最高の成績を収め[9]、1990年代は 1990年から1992年にかけて女子王座決定戦を3連覇、ファンの人気投票によって選出されるSG笹川賞にも1990年以降通算9回出場。施行者による推薦による出場するSGモーターボート記念や勝率上位選手が出場するSG全日本選手権など、当時女子選手がSGに出る機会が少なかった頃から女子選手のパイオニアとしてSGに出場しており、強豪相手に2度の準優進出を果たしている。
2010年10月の選手登録更新時に視力検査をクリアできず、選手登録を抹消される。この時は引退することを考えたというが[8]、同期の今村豊から「(選手辞めても)何もすることないじゃないか。選手やっとけ」と叱咤され[8]、レーシック手術を受け視力検査をクリアし、翌月に再登録された[10]。
2015年頃から父親の介護のため出走回数の減少を余儀なくされ、4期連続で規定勝率を達成することができずに2020年10月29日限りで引退した。通算成績7077戦1692勝[11]。今村も同年10月8日に引退しており、男女のレジェンドレーサーが同時期に去ることとなった。
2022年2月20日より、ボートレースとこなめ公式Youtubeチャンネル「にゃんこの目」において、講談師の旭堂南鷹と番組の司会進行を務める[12]。
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