西島 義則(にしじま よしのり、1961年10月30日[1] - )は、日本の競艇選手。49期で、選手登録番号は3024。同期には若女井正、大嶋一也、山口哲治らがいる。
身長166cm、血液型はAB型。島根県鹿足郡柿木村(現在の吉賀町)出身。現在は福岡県在住であるが、所属は広島支部所属。
叔父に競艇選手がいた影響で競艇選手を志す。島根県立益田農林高等学校3年時に競艇選手養成所の試験を受けたものの身体検査の血圧で不合格となり[2]、他に就職先も決めていなかったことから高校卒業後は当時広島市内の大学に通っていた姉を頼って広島に出て、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら養成所の再受験を目指し、競艇選手となった。
1997・1998年の総理大臣杯競走をともにイン逃げで連覇、2000年には6月グランドチャンピオン決定戦競走・7月オーシャンカップ競走・8月モーターボート記念と1974年の野中和夫以来26年ぶり史上2人目となるSG3連覇を達成し、同年の最優秀選手として表彰された。
2011年前期まではA1級をほぼ維持していたが、当期に事故率オーバーとなり同年後期には一気にB2級に降格となった。しかし2012年前期には再びA1級に復帰している。
- 「イン逃げの西島」「インの鬼」の異名を持ち、たとえ6号艇でも、スタートまでの助走距離がどれだけ短くなっても、前付けでインコースを狙うイン屋の選手として知られる。
- デビュー当初は積極的なコース取りはしておらず、まくり一撃を得意とする現在とは真逆のレーススタイルだったが、1993年に植木通彦の総理大臣杯でのレースに影響を受けて独自にモンキーターンの練習をするうちに、「インコースで全速モンキーターンができたら捲られることも差されることもないだろう」と考えたことがイン屋になるきっかけだったという[2]。
- また本人は「自分の舟券を買ってくれる人がいる以上、勝つためには最善を尽くすし、勝てるコースを選ぶのがプロだと思っている」という趣旨の発言もしている[2]。
- 西島のモンキーターンは頭が水面に突っ込みそうなほどの深い前傾姿勢であり、それをペリカンになぞらえて「ペリカンモンキー(ターン)」と呼ばれており、「ペリ(カン)」が西島のニックネームにもなっている。
- 西島の母と元競馬騎手・調教師の田原成貴の父が兄妹で、西島と田原は従兄弟の関係に当たる。
- 2000年のオーシャンカップは地元の宮島競艇場での開催となったことから、本人は「絶対にここで後悔しないレースをする」と心に決め[2]、前年の若松での同レースで優勝した田頭実と同様に極限まで減量してレースに臨み、優勝を果たした。
- SG出場の際には「柿木村のジィちゃん」にメッセージを送っていた。2000年のオーシャンカップ(前出)では優勝戦を観戦に訪れており、表彰式で西島と対面した際には西島が人目をはばからずに涙を流した[2]。
- 2002年、宮島で開催されたグランドチャンピオン決定戦の優勝戦で熊谷直樹と共にフライングを喫し、1レース当たり最高額となる24億3513万3800円の返還(返還率92.8%)の原因となった。
- 2006年全日本選手権競走の初日ドリーム戦を制した西島は、ゴールと同時にガッツポーズをした。これはレース前に山室展弘に「1等取ったらガッツポーズしろ」と唆されてやったものである。
- レースに出場していない時は「毎朝6時に起きて、子供たちに持たせる弁当を作っている」という[3]。得意料理は卵焼きで[3]、広島支部の後輩でyoutuberとしても活動する上平真二からは「この前、『弁当を作ってる動画を撮影してyoutubeにアップしてください』と言われた(笑)」と話す[3]。
GI
- 第3回新鋭王座決定戦
- 宮島36周年記念
- 蒲郡37周年記念
- 蒲郡1996年施設改善記念
- 津41周年記念
- 徳山41周年記念
- 芦屋45周年記念
- 津47周年記念
- 蒲郡ダイヤモンドカップ(2000年)
- 三国47周年記念
- 丸亀49周年記念
- 宮島47周年記念
- 三国48周年記念
- 戸田50周年記念
- 第11回競艇名人戦(名人戦1年目=48歳)
- 住之江第9回GI 賞金王シリーズ戦
蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P162。