鳥取市立千代水小学校
鳥取県鳥取市にあった小学校 ウィキペディアから
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鳥取市立千代水小学校(とっとりしりつ ちよみしょうがっこう)は、かつて鳥取県鳥取市秋里(当時)にあった公立小学校である。
鳥取市立千代水小学校 | |
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千代水小学校跡 | |
北緯35度31分00秒 東経134度12分30秒 | |
過去の名称 |
安長尋常小学校 秋里尋常小学校 千代水尋常小学校 千代水尋常高等小学校 千代水国民学校 千代水村立千代水小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鳥取市 |
設立年月日 | 1884年3月18日 |
開校記念日 | 3月18日 |
閉校年月日 | 1960年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 江津分校(-1884年) |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒なし(廃校当時は未導入) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鳥取市安長544番地の東円寺の寄付により、本堂を学校として設置したのが始まりである。校区としていた6集落で最も大きな建物であることから選ばれたものと思われる[1]。
その後、秋里字下八本松へ移転したが、この場所には松の大木が20本くらいあったといい、学校の前には賀露街道という鳥取市街地と賀露村を結ぶ道路が通っていた。また1889年(明治22年)に千代水村が発足すると、東隣に役場が置かれていた[1]。
昭和初期に千代川を日本海へ直流させる改修工事が完了すると、河道が千代水村域の東側を貫くことになった。このため川の東岸となった生徒は、それまで田圃道を一直線に行けたのが、八千代橋(現在の県道318号)へ回り道する必要があった[1]。
1960年(昭和35年)4月1日、鳥取市立中ノ郷小学校(旧)と統合し、鳥取市立城北小学校となった[1]。
(参考文献:[1])
旧千代水村域(安長・秋里・徳吉・江津・晩稲・南隈)を学区とし、城北小学校開校後も引き継がれた。その後、1968年(昭和43年)4月1日に徳吉が世紀小学校区、また晩稲・南隈が賀露小学校区に、1973年(昭和48年)4月1日に江津が浜坂小学校区に変更となった[1]。
1963年(昭和38年)1月21日より日本事務用品工業株式会社(株式会社コクヨMVPの前身)の仮工場として11月に湖山に新工場が完成するまで使用[6][7]、また4月より鳥取北高等学校の仮校舎として使用された[8]。
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