高田潤

日本中央競馬会 (JRA) の騎手 ウィキペディアから

高田潤

高田 潤(たかだ じゅん、1980年11月3日 - )は、JRA所属の騎手。兄は辻野泰之厩舎の調教助手である高田建吾[3]競馬学校騎手課程15期生。

概要 高田潤, 基本情報 ...
高田潤
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第10回京都ハイジャンプ表彰式(2008年11月15日)
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府堺市
生年月日 (1980-11-03) 1980年11月3日(44歳)
身長 165cm
体重 52kg
血液型 B型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 栗東・松田博資(1999.3.1 - 2009.11.20)
栗東・フリー(2009.11.21 -)[1]
初免許年 1999年
免許区分 平地・障害[2]
経歴
所属 栗東T.C
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愛称は「ズン坊」。これは藤田伸二が名付けた(藤田伸二オフィシャルブログ「藤田伸二の男道」より)。

来歴

要約
視点

1999年3月6日中京競馬第1競走でデビュー(ヤマカツロバリーに騎乗し14頭立ての7着)。この年の6月5日中京競馬第5競走でブイクリッパーに騎乗した際に1レースで2度落馬しながら再騎乗して完走と言う珍しい記録を樹立した。初勝利は同年6月12日中京競馬第1競走のエアウィンスレット。

デビュー2年目より障害競走にも騎乗を開始し、2001年小倉サマージャンプをヒサコーボンバーで制して障害重賞を初騎乗で初制覇。近年は障害レースでの活躍が目立っている。平地重賞は、2006年神戸新聞杯ドリームパスポートに騎乗して初勝利を挙げた[4]。同馬には2006年の皐月賞でも騎乗し、2着に好走している(この時はミルコ・デムーロ騎乗停止処分による乗り替わりであった)。

同一週に行われる平地と障害のGI(2006年4月15日中山グランドジャンプアズマビヨンド騎乗、4月16日皐月賞・ドリームパスポート騎乗)に両方騎乗した騎手は高田が初めてである。

2007年にも12月22日中山大障害キングジョイと、12月23日有馬記念・ドリームパスポートに騎乗。この年高田はまだ勝利がなかったが、有馬記念に騎乗する騎手が未勝利であったというのは例がなく、当時のスポーツ新聞などで話題になり、12月21日の日刊スポーツでは一面で取り上げられた[5][6]ものの、中山大障害2着・有馬記念6着と共に敗れ、結局2007年は未勝利に終わった。

2007年2月11日の京都競馬第4競走の障害戦で落馬し、両側挫傷、左眼瞼挫傷、外傷性血気胸頭部外傷の重傷を負う。療養後、5月6日に復帰した。

2008年12月27日、中山大障害をキングジョイで制し、悲願のJ・GI初勝利となった。

2010年8月21日新潟ジャンプステークスコウエイトライで制し、JRAの障害重賞競走が行われる6つの競馬場すべてで障害重賞競走に勝利したことになったが、これは1999年に障害競走にグレード制が導入されて以降、史上初の記録である[7]。なお、コウエイトライにとってもグランドマーチスバローネターフに並ぶ障害重賞競走での勝利数レコード7勝という記録を達成することになった。

2012年4月1日、阪神競馬第4競走をナリタシャトルで勝利し、JRA通算100勝を達成。

2013年は障害競走で14勝を挙げ、初のJRA賞最多勝利障害騎手を獲得した。

2011年から2014年にかけて小倉サマージャンプを4連覇しており、そのすべてを違う馬で勝利している[8]

2015年5月17日、フランスオートゥイユ競馬場で障害競走に騎乗(8着)[9]

2016年9月17日、阪神ジャンプステークスをニホンピロバロンで優勝し、自身2度目となる同一重賞4連覇と史上初の同一重賞7年連続連対の記録を達成[10]

2021年9月20日の中山競馬第1競走騎乗後に激しい頭痛を訴え、病院に搬送された。検査の結果くも膜下出血を発症していることが判明し、そのまま入院加療となった[11]。同年11月14日に戦列復帰し、初戦となった福島第5競走をジンゴイストで勝利した[12]

2022年12月3日、中山競馬場の第8競走・イルミネーションジャンプステークスで、メイショウアルトに騎乗していたが2周目4号障害(生垣障害)着地時に人馬ともに転倒し、病院に搬送された。当初の診断は「頭部全身打撲、脳震盪[13]」であったが、翌4日の自身のTwitter投稿ではその後の診断で第二頸椎を骨折しており「折れた骨が大きくズレており、これ以上あとちょっとでもズレていれば命は無かった」「手術が終わるまで頭をネジでとめて首を固定している」ことを明らかにしている[14]

長期の療養とリハビリを経て、2023年10月下旬に調教に復帰、その後同年11月7日の京都ハイジャンプで実戦復帰を果たした[15]

2024年6月22日、東京ジャンプステークスジューンベロシティで制し、自身7年9か月ぶりの重賞勝利で、史上4人目の障害重賞20勝目を達成したが、最後の直線で外側に斜行し2着のロスコフの進路を妨害したとして、順位変更はなかったが同年7月6・7日の2日間の騎乗停止処分となった[16][17]。同年7月13日、福島4R・障害3歳上オープンでグレートバローズに騎乗して1着となり、初騎乗から2377戦目で現役56人目となるJRA通算200勝を達成した[18]

2025年2月15日、小倉ジャンプステークスをスマイルスルーに騎乗し1着となり、JRA障害887戦目で障害通算151勝目を挙げ、師匠の松田博資の150勝を超えて障害勝利数単独9位となった。また、障害重賞も23勝目となり、22勝タイであった西谷誠を上回って歴代単独2位となった[19]

人物

おもな騎乗馬

騎乗成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順

初騎乗1999年3月6日1回中京7日1R4歳未勝利ヤマカツロバリー14頭87着
初勝利1999年6月12日3回中京7日1R4歳未勝利エアウィンスレット16頭51着
重賞初騎乗1999年3月14日1回阪神6日11R4歳牝馬特別ブゼンキャンドル16頭149着
重賞初勝利2006年9月24日3回中京6日11R神戸新聞杯ドリームパスポート16頭31着
GI初騎乗2004年10月17日4回京都4日11R秋華賞ドルチェリモーネ18頭1213着

初騎乗2000年1月9日1回京都4日5R障害5歳上未勝利イセノダイチ14頭138着
初勝利2000年1月29日2回京都1日5R障害5歳上オープンマキシマムプレイズ11頭71着
重賞初騎乗・初勝利2001年7月22日2回小倉4日10R小倉サマージャンプヒサコーボンバー10頭61着
JGI初騎乗2001年12月22日5回中山7日10R中山大障害カネトシガバナー10頭2中止
JGI初勝利2008年12月27日5回中山7日10R中山大障害キングジョイ16頭21着
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通算成績

  • JRA騎手名鑑より
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年度平地競走障害競走
1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
1999年597160.031.088.131-
2000年406164.024.024.06121019.105.158.158
2001年131412315.041.086.12492136.250.306.333
2002年635105.057.086.13375334.206.353.441
2003年956115.078.122.17432225.120.200.280
2004年24672.028.083.16724017.118.353.353
2005年03440.000.075.17532227.111.185.259
2006年54163.079.143.15944433.121.242.364
2007年01128.000.036.07102120.000.100.150
2008年01117.000.059.11851236.139.167.222
2009年00011.000.000.00013336.028.111.194
2010年01238.000.026.079115453.208.302.377
2011年00140.000.000.02577243.163.326.372
2012年13037.027.108.10845230.133.300.367
2013年27358.034.155.207146239.359.513.564
2014年11031.032.065.06567434.176.382.500
2015年11126.038.077.115118946.239.413.609
2016年32449.061.102.184106436.278.444.556
2017年23336.056.139.22242429.138.207.345
2018年10052.019.019.01956547.106.234.340
2019年01238.000.026.07977641.171.341.488
中央5563651495.037.079.1221158560681.169.294.382
地方32330.100.167.267
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表彰

  • JRA賞(最多勝利障害騎手) 2013年
  • 優秀障害騎手賞1位 2013年

脚注

関連項目

外部リンク

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