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日本の内務官僚、政治家 ウィキペディアから
館 哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚・政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓・木津。
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富山県高岡市出身。木津太郎平の二男として生まれ、後に館萩江の入夫となり改姓。富山県立高岡中学校、第一高等学校を経て、1914年(大正3年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、内務省に入り岐阜県属として内務部学務兵事課に配属された。1917年(大正6年)10月、文官高等試験に合格した。
1918年(大正7年)4月、岐阜県警部となる。以後、同県警視・警務課長兼工場課長、同県内務部産業課長、神奈川県外事課長、茨城県知事官房文書課長兼内務部社会課長、内閣書記官、内閣官房記録課長、同総務課長などを歴任。
1931年(昭和6年)12月に 第27代鳥取県知事に任命。以降、第32代石川県知事・神社局長・第31代東京府知事を経て、1938年(昭和13年)に内務次官となる。翌年9月に内務次官を辞任し退官。その後、軍人援護会理事長、同胞援護会副会長兼理事長を務めた。
戦後、1947年(昭和22年)4月に、公選初代の富山県知事に選出。同年10月、富山県に昭和天皇の戦後巡幸があり、随行役を務める[1]が、翌11月に公職追放を受けて富山県知事を辞任。追放解除を経て、1951年(昭和26年)11月の第2回参議院議員通常選挙補欠選挙(富山県選挙区)に出馬。当選して、3期務める。この間、参議院地方行政委員会理事・参議院予算委員長・参議院地方行政委員長・参議院予算委員長・参議院決算委員会委員を務める。
参議院議員在任中の1960年(昭和35年)、その年の4月に独立したばかりのトーゴで開催された独立記念式典に特派大使として参列[2]。
1962年(昭和37年)5月に紺綬褒章を受章し、木杯一組台付(桐紋)を拝受。1965年(昭和40年)11月には銀杯一組(菊紋)を拝受し、1968年(昭和43年)に死去した際に従三位勲一等瑞宝章を受章した。
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