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大韓民国の準大手自動車メーカー ウィキペディアから
KGモビリティ(ケージーモビリティ、朝: KG모빌리티、英: KG Mobility Company)は、韓国の自動車メーカー。京畿道平沢市に本社を置く。略称はKGM。旧社名は雙龍(サンヨン)自動車(Ssangyong Motor)。
旧社名の漢字表記は「雙龍自動車」(「雙」は日本語の「双」に相当)で、日本語では「雙龍」の他、「双龍」とも表記されていた。
国内向けも輸出向けも「サンヨン」ブランドを名乗るが、韓国国内では「S」をモチーフにしたCIマークを採用するのに対し、輸出向けは鹿やトナカイの角を連想させるCIマークを採用する[注釈 1]。
社名改称に伴い、今後はSマークを廃止し、輸出向けのCIに統一する。
1954年 河東煥(ハ・ドンファン、하동환、1930年7月29日 - )が、ソウル特別市麻浦区で『河東煥自動車製作所』(하동환자동차제작소、トラック・バス架装工場)を創立。朝鮮戦争停戦後の復興で盛業になる。
1963年 東方自動車工業(동방자동차공업)を吸収合併し、河東煥自動車工業株式会社として改組。UDトラックス(旧日産ディーゼル工業)製リアエンジンバスのノックダウン生産を手掛け、1966年頃からブルネイ、南ベトナム等へ輸出開始。
1967年 新進自動車工業(신진자동차공업、後のGM大宇)と業務提携し、乗用車市場にも参入。
1974年 AMCと提携し、在韓米軍・韓国軍向けジープのライセンス生産に着手。
1983年 KH-7, CJ-7 型ジープや、乗用車コランド(코란도)を生産していた釜山市の巨和(거화)を吸収合併し、業務を拡大した。
1988年 サンヨングループに買収され、社名がサンヨン自動車となる。
1993年 『イノベーション宣言』の下、ムッソー(무쏘、1993年)、イスタナ(이스타나、1995年)、新型コランド(1996年)、チェアマン (체어맨、1997年)と、矢継ぎ早に新車を投入。しかし、過剰投資とグループ内部の対立から、急速に経営状態が悪化した。
1997年 乗用車部門と大型車両部門を分離。前者は大宇グループ(대우그룹)に経営権が譲渡され、大宇自動車の一部門になった結果、2000年に大宇グループが経営破綻するまで、一時的にサンヨンブランドが消滅する。労働争議も多発し、1999年にはロックアウトも実施された。
その後しばらくメインバンクの管理下に置かれていたが、2004年に中国の上海汽車 (SAIC) が株式の49%を取得し、傘下に収めた。しかし主力の北米向けSUV輸出の急激な縮小から、経営が再び悪化。
2009年 1月9日、自主再建を断念し、ソウル中央地裁に法定管理[注釈 2]を申請[1]。民主労働党、進歩新党の支援を受けた労組側約500名は、政府に対して直接交渉と従業員の地位保全等を求め5月29日から平沢工場に立てこもったが、李明博政権はストライキの強制鎮圧を決定[2]。8月4日に機動隊が突入し強制排除された[3]。
2010年 11月23日、インドの自動車メーカーマヒンドラ&マヒンドラ社が、5225億ウォンでサンヨン自動車を買収する契約を締結。これによりマヒンドラはサンヨン自動車の株式の70%を保有することになった [4]。サンヨン自動車には債務があり、売却代金だけでは債務返済を賄えないが、不足分の約700億ウォンについて債権団は、2011年1月に債務免除に応じるか否かを決定する予定[4]。
2012年 10月3日、マヒンドラ&マヒンドラは10月17日にレクストンをインドでデビューさせると発表した。製造はマハーラーシュトラ州チャカンにあるマヒンドラの工場にて行われる[5]。これにより、サンヨンブランドがインド市場に上陸を果たすことになる。
2019年 12月、サンヨン自動車は韓国政府と産業銀行に借入金の返済延長と新規資金支援を要請。これは、11四半期連続で赤字を計上している中で、2020年上半期に満期を迎える借入金の償還に充てることが目的。なお、政府側は株主であるマヒンドラグループの追加増資と構造調整が行われてこそ支援の議論できるとして結論を先延ばした[6]。
2020年 12月21日、企業再生を扱うソウル回生裁判所に2度目となる更生手続きの開始を申請したと発表[7]。2021年にかけて、自動車流通会社の米国・HAAHオートモーティブ社がマヒンドラに対して買収交渉を行ったが、同年4月に交渉は決裂[8]。
2021年 10月、韓国の新興電気自動車メーカーのエジソン・モーターズがサンヨン自動車買収の優先交渉権を得た[9]。
2022年 3月、エジソン・モーターズによるサンヨン自動車買収の買収が白紙になったが[注釈 3][10]、同年8月には裁判所の認可を受けて化学事業などを手がけるKGコンソーシアムが買収者となることが決定した。2022年11月、サンヨンが債務の大半を弁済し業績回復が見込めることから、更生手続きが終了することをソウル回生裁判所が決定した[11]。
2023年 3月22日、株主総会で社名の変更が可決され、名称が「サンヨン自動車」からKGグループ傘下を意味する「KGモビリティ」に変更となった。
米国・AMC、後にドイツのメルセデスからエンジン等の技術供与を受け、SUVを中心に製造・販売していた。
1990年には英国・パンサーを買収してスポーツカーにも進出したが、ごく少数に留まった。
韓国国内では他の旧大宇系自動車メーカー同様、大宇自動車販売が流通を担当した。日本では2007年頃までGM大宇・マティスの代理店オートレックス(本社:福岡市)が輸入していたが、ほどなく中止された模様。
SUVを主力とすることもあって、世界で最も過酷な自動車レースとして知られる「ダカール・ラリー」には古くから参戦の記録がある。イタリア人でトラック部門を制した経験を持つジャコモ・ビスマラのドライブで1994-96年に参戦し、3年連続で総合8位完走を果たした。2009年には事故で車椅子となったスペイン人二輪ライダーのイシドル・エステべ・プジョルをドライバーに据えて完走を果たした[12]。その後スペイン法人がチボリのグループT1.2マシン(四輪駆動ディーゼルエンジン車)を開発し、2017年バハ・アラゴンに参戦[13]。総合20位完走で、欧州ダカール・チャレンジクラスでの優勝を果たし、翌年のダカールに無料で出場できる権利を獲得した[14][15][16]。
2018年からは仏ソディカーズ・レーシングとの提携により、シボレー製V8エンジンを搭載した既存の二輪駆動バギー「BV2」を、市販車のデザインに架装してダカールに参戦[注釈 4][17]。2018年はチボリ(二輪駆動ガソリン車クラス4位)、2019年はレクストン(同クラス3位)、2020年はコランド(同クラス10位)でそれぞれ完走した[18][19]。
サーキットレースでは、1996年のル・マン24時間レースにパンサーの軽量ミッドシップスポーツカーであるソロの名が与えられたLMP2マシン[注釈 5]を投入し、ベルトラン・ガショーがドライブ。しかし結果は予備予選落ちだった。
車種 | 初登場年 | 現行型 | 現行車種の概要 | 生産工場 | ||
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発表 | 最新の改良 | |||||
SUV | ||||||
Tivoli |
チボリ | 2015年 | 2015年 1月13日 (初代) |
小型SUV。後部を延長した「チボリ エア」(XLV)も用意されている。 | ||
Korando |
コランド | 1983年 | 2019年2月 2月 (4代目) |
準中型SUVであり、現存する大韓民国最長寿ブランド[注釈 6]。2022年にはブランド初の電気自動車である「コランド E-モーション」も追加された。 | ||
Torres |
トーレス | 2022年 | 2022年 7月6日 (初代) |
チボリ以来となる新規開発車両で、同社ラインナップ中で最も新しく、コランドとレクストンの中間に位置する中型SUV。 | ||
Actyon |
アクティオン | 2005年 | 2024年 6月20日 (2代目) |
トーレスをベースに開発・販売する中型クーペSUV。 | ||
REXTON |
レクストン | 2001年 | 2017年 5月1日 (2代目) |
大型SUV。韓国では2017年-2020年11月まで「G4レクストン」を名乗っていた。 | ||
ピックアップトラック | ||||||
Rexton Sports/Rexton Sports KHAN |
レクストンスポーツ/レクストンスポーツ カーン | 2006年 | 2018年 (2代目) |
大型ピックアップトラックで、コランドスポーツの後継モデル。 | ||
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