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金田 邦夫(かねだ くにお、1911年(明治44年)12月15日 - 1962年(昭和37年)10月6日)は、日本の実業家、サンスターの創業者。広島県安芸郡坂町出身。
大阪に出て1932年、金田兄弟商会を設立し自転車や履物用ゴム糊の製造を開始。1941年、4社のゴム製造業者統合により帝国合同護謨工業が設立され翌年社長に就任。太平洋戦争期の空襲で工場の大半を焼失したが戦後1946年、金田軽金属チューブ工業所(同年改組し金田金属工業)を設立し、焼け残ったゴム糊を金属チューブに充填する機械を活かし、金属チューブ容器の開発に成功。その後取引先であった星光社からの相談によりチューブに歯磨剤を充填し、金属チューブ入り練歯磨剤を開発し発売した。商品名は、朝に磨き(サン=太陽)夜に磨く(スター=星)という意味で「サンスター歯磨き」として売り出した。
1948年、物価統制令により錫製チューブの充填原料は薬用品以外には使用が禁じられたため、歯磨きに抗菌剤を配合して『薬用歯磨』とし、星光社を介して塩野義製薬と販売提携を行い、製造元を金田金属工業、販売元を塩野義製薬とした。粉末歯磨剤が主流の時代、戦後初めての練歯磨きだったこと、また品質の良さも手伝い、キャラクターにペンギンを登場させた製品は人気を集めた。同年、硝化綿レザーの企業化を目指し極東化工を設立。
1950年、金田の設立した帝国合同護謨工業、金田金属工業、極東化工の三社と、取引先の星光社の四社を合併させサンスター株式会社を設立させた。1952年、葉緑素入り『グリーンサンスター』を発売し人気を呼ぶ。
1953年、自転車用部品を製造する巴産業、金属容器を製造する太陽チューブ工業所を吸収合併。しかしサンスター歯磨きを純然たる専業歯磨きメーカーとして発展させるため、1954年、歯磨き製造以外の会社を分離させた。この時分離した会社は、のちサンスター技研に統合している。
金田はサンスター歯磨を業界のトップシェアに押し上げたが、1962年9月にくも膜下出血で倒れ10月に死去した。享年50。
その後1969年の長男・博夫の社長就任以降、同社及びグループは、積極的に事業の多角化を進め、VO5などのヘアケア事業、化粧品事業、物流事業や歯科技工分野などにも進出し現在に至っている。
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