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野原 将志(のはら まさし、1988年4月4日 - )は、長崎県南島原市出身の元プロ野球選手(内野手)。
長崎日本大学高等学校で1年春から遊撃手のレギュラーを獲得。高校通算30本塁打。2006年の高校生ドラフトで、堂上直倫(中日)を外した阪神から1巡目指名を受け入団。高い身体能力とパンチ力が評価された。背番号は37。
ルーキーイヤーの2007年から二軍では三塁手のレギュラーとして出場。71試合に出場し打率.236、1本塁打26打点を記録した。2008年も三塁手を中心に二軍のレギュラーとして出場。87試合に出場し、打率.253、1本塁打、31打点の成績だった。2009年には、86試合に出場して打率.282、5本塁打37打点を記録した。同年よりチームには同姓の野原祐也が加入し、スコアボード表記が「野原将」となる。
2010年に二軍で101試合に出場、リーグ最多タイの103安打、打率.303、7本塁打、44打点、OPS.775の成績を残し、ウエスタン・リーグ表彰の優秀選手賞と球団制定のファーム年間MVP(打者部門)を受賞した。また、この年10月に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表にも選ばれた[1]。
2011年8月28日のヤクルト戦で、7回裏に一塁走者桧山進次郎の代走として一軍初出場を果たすが、続く打者が適時安打を放ち、二塁に進塁した時点で野原に代走大和が送られ、球界でも珍しい「代走の代走」となった[2]。この年は2試合に出場した。11月にはオーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーに派遣され、8試合に出場、31打数11安打、打率.355、1本塁打、9打点、2盗塁、OPS.923と派遣期間を終えて帰国するまでは打点王の活躍だった。
2012年9月26日のヤクルト戦で6番・一塁手でプロ初スタメンで試合に出場[3]。この試合の3打席目に赤川克紀から左前打を放ち、プロ初安打を記録した[3]。同年オフ、背番号をFAで阪神に入団する日高剛に譲り、自身の背番号は67に変更になった。
2013年シーズンは、一軍で8試合に出場するも安打を放つことはできなかった。ウエスタン・リーグでは、76試合に出場し打率.267、2本塁打、27打点の成績だった。10月1日に球団から戦力外通告を受けた[4]。11月10日、第1回12球団合同トライアウトに参加した[5]が、獲得球団は現れなかった。
2014年度より、社会人野球の三菱重工長崎に嘱託社員として入社[6]。2016年シーズンをもって現役を引退した。
その後は三菱重工を退社し、建築用可搬式作業台のレンタルを行う会社に勤務している[7]。
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