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日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家、アニメ監督 ウィキペディアから
追崎 史敏(おいざき ふみとし、1975年[1]10月15日[2] - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家、アニメ監督。株式会社鵲代表取締役社長[3]。大分県出身[4]
この節の加筆が望まれています。 |
代々木アニメーション学院[2]を卒業後、スタジオジュニオに入社。同スタジオ退社[1]後、長らくフリーランスのアニメーターとしてGONZO作品やサンライズ作品などで活動していたが、2008年8月には池田東陽と共にエンカレッジフィルムズ(後の株式会社鵲)を設立[1][5]し、代表取締役の池田を支える取締役として同社へ籍を置く。
近年は演出業にも進出し、2007年には『ロミオ×ジュリエット』で監督デビューを飾った。[6]その他、キャラクターデザインを務めた『ケロロ軍曹』では、一部楽曲の作詞を担当するなど幅広い活動を行っている。
2013年2月25日には、同年2月17日に急逝した池田の後任としてエンカレッジフィルムズの代表取締役に就任した[3]。
中学時代は美術部に所属。[4]その理由は部活を選ぶ際に運動が苦手なためどうしようかと考えていたところに当該部活が存在したことからである。[4]その当時「キャプテン翼」や、「聖闘士星矢」が人気を誇っており、それについての話題を女子の先輩としていた折、追崎が「将来絵を描く仕事がしたい」と話したところ、その先輩からアニメーターという仕事の存在を教わり、アニメーターを志すきっかけとなった。[4]その後アニメーターになるための方法を調べ、「絵の勉強をしよう」と絵画教室へ通い、美術系高校が地元にあることを知るとその高校へ入学すべく勉学に励んだ。[4]一般的に美術系高校へ進学したあとは美術系の大学を目標にする事が多いが、追崎は周囲から美術系大学への進学を勧められるも専門学校へ進学することを選んだ。[4]その理由はアニメの仕事を早くやりたいことと、美術系大学への進学が目標としているアニメーターになるのに遠回りとなってしまうというものであった。[4]専門学校へ進学することを決めた当時について追崎は、もし美術系大学へ進学した場合違うことができてよかったかもしれないが、アニメの仕事をやりたいという思いがあったと振り返っている。[4]
また、小学校のころは社宅に住んでいたことから、一軒家に住むことに憧れ、理想の自室や、その間取りを妄想してそれを絵にしていた。[4]もし、アニメに出会っていなかったら、建築関係の道を志していたかもしれないとも述べている。[4]
(いずれもおいざきふみとし名義)
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