角田晃一

日本の調教師、元騎手 (1970-) ウィキペディアから

角田晃一

角田 晃一(つのだ こういち、1970年11月18日[1] - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師で元騎手

概要 角田晃一, 基本情報 ...
角田晃一
2020年名古屋グランプリ表彰式
基本情報
国籍 日本
出身地 鳥取県[1]西伯郡名和町
(現・大山町
生年月日 (1970-11-18) 1970年11月18日(54歳)
身長 164.0cm[1]
体重 51.0kg[1]
血液型 A型[1]
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 栗東・渡辺栄(1989.3.1 - 2004.2.29)
栗東・フリー(2004.3.1 - 引退)
初免許年 1989年
免許区分 平地
騎手引退日 2010年2月28日
重賞勝利 39勝 (中央38勝、地方1勝)
G1級勝利 10勝 (中央10勝、地方0勝)
通算勝利 8332戦713勝 (中央)
調教師情報
初免許年 2010年(2011年開業)
重賞勝利 18勝(中央11勝、地方7勝)
通算勝利 3362戦278勝(中央)
経歴
所属 栗東トレーニングセンター
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来歴

要約
視点

1970年鳥取県西伯郡名和町にて4人兄妹の長男として出生。長兄でありながら体躯が小さかったものの、運動が得意であった角田に父は騎手になることを進路の一つとして提案。競馬とは無縁の環境であった鳥取で生まれ育ち、競馬サークルにも知人のいなかった角田であったが、父の勧め通り競馬学校に進学、1989年栗東・渡辺栄厩舎所属の騎手としてデビュー。同期には田中勝春佐藤哲三らがいる。

デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺は、他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え初年度43勝を挙げ、1989年のJRA賞最多勝利新人騎手として表彰された[2]

師匠の渡辺の縁で、鶴留明雄山本正司といった武田文吾一門の厩舎の馬に騎乗することがあった角田は1991年シスタートウショウに騎乗し桜花賞を制覇、デビュー3年目にしてGIジョッキーとなる。気性難であった同馬を乗りこなせた要因を後に角田は「競馬学校時代に癖馬ばかり乗らされた経験が生きている」と語っている[3]

1994年にはノースフライトとのコンビで安田記念マイルチャンピオンシップを制し、GIを2勝。デビューから5年間での重賞11勝のうち、10勝が牝馬に騎乗してのものであり、牝馬に騎乗しての活躍が目立つことから、この頃より「牝馬の角田」と呼ばれるようになる。さらに翌年ヒシアケボノスプリンターズステークスを制覇。前年ノースフライトのGI2勝と足し当時の古馬短距離GI全制覇という記録を達成。佐山優調教師・ヒシの冠名の競走馬を所有している阿部雅一郎オーナーからの信頼が厚く、この他ヒシミラクルでGI3勝を記録するなど、一時期をのぞいて長く主戦として活躍をした。

2001年は、ジャングルポケット東京優駿を制覇。同馬主・同厩舎・同騎手で、幻の三冠馬と呼ばれたフジキセキ以来の念願を成就している。

角田はその後渡辺栄厩舎の定年解散に伴い2004年3月よりフリーへと転向。これにより後にGI馬となるスイープトウショウフサイチパンドラの主戦を降ろされる不運に見舞われ、勝ち鞍を大幅に減らした時期があったが、2007年サマージョッキーズシリーズ初代チャンピオンを獲得し、第21回ワールドスーパージョッキーズシリーズへの出場を果たすなど徐々に騎乗回数を回復し、勝ち鞍も伸ばしていた。

騎手生活晩年は松永昌博厩舎の主戦騎手として騎乗していた。2010年2月に調教師免許試験に合格し、同年2月28日付で引退することが発表された[4][5][6]。同年3月1日より中竹和也厩舎にて技術調教師として活動。翌2011年3月1日付で調教師として開業した(栗東:馬房数14)[7]2013年11月9日ファンタジーステークスで管理馬のベルカントが優勝、調教師として重賞初制覇となった[8]

長男である角田大和2014年ジョッキーベイビーズ優勝者で、父の日本ダービー優勝を映像で見て騎手に憧れ2017年4月に競馬学校に36期生として入学[9] [10]。2021年2月に騎手免許試験に合格し、同年3月にデビューした[11]

次男・角田大河も騎手を目指し、2019年に競馬学校に38期生として入学[12]、2022年2月に騎手免許を取得[13]、同年3月にデビューしたが、2024年に死去した。

2019年には管理馬のマスターフェンサーで米国クラシック競走のケンタッキーダービー(6着)、ベルモントステークス(5着)に挑戦した[14]

騎手成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1989年3月4日1回阪神3日1R3歳未勝利ミツワシンゲキ9頭23着
初勝利1989年3月18日1回阪神7日8R4歳上400万円下ヤマニントリガー8頭71着
重賞初騎乗1989年6月4日3回阪神6日11R阪急杯ワンモアマイハート18頭1516着
重賞初勝利1990年6月10日3回東京8日11Rエプソムカップサマンサトウショウ14頭31着
GI初騎乗1989年11月12日5回京都4日10Rエリザベス女王杯シンビクトリー20頭143着
GI初勝利1991年4月7日3回京都6日10R桜花賞シスタートウショウ18頭41着
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年度1着 2着 3着 騎乗数勝率連対率 複勝率備考
1989年43 42 30 340.126.250 .338JRA賞最多勝利新人騎手
1990年47 35 54 478.098.172 .285
1991年67 41 60 449.149.241 .374優秀騎手賞(勝率部門)
1992年52 40 23 376.138.245 .306優秀騎手賞(勝率部門)
1993年49 38 45 392.125.222 .337フェアプレー賞
1994年57 48 53 439.130.240 .361
1995年42 34 39 377.111.202 .305
1996年45 31 41 445.102.172 .265フェアプレー賞(関西)
1997年34 26 34 417.083.147 .230フェアプレー賞(関西)
1998年16 22 22 298.055.131 .206
1999年26 28 37 336.078.162 .273
2000年36 28 27 377.095.170 .241フェアプレー賞(関西)
2001年30 39 39 436.069.160 .250フェアプレー賞(関西)
2002年31 15 31 430.074.109 .183
2003年20 26 19 413.049.112 .158
2004年14 26 24 329.043.122 .195
2005年10 17 18 277.036.098 .163
2006年18 22 25 339.054.119 .193
2007年24 39 41 427.056.148 .244サマージョッキーズシリーズ チャンピオン
2008年30 32 35 537.056.116 .181
2009年19 26 14 416.046.109 .143
2010年3 3 2 42.071.143 .190
通算713 658 713 8322.086.164 .250
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主な騎乗馬

代表騎乗馬

太字はGI級競走を示す)

その他

調教師成績

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日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走2011年3月5日1回阪神3日1R3歳未勝利サイキョウファスト15頭1111着
初勝利2011年4月24日1回新潟2日7R4歳上500万下ロックンロール12頭11着
重賞初出走2011年7月17日3回新潟2日11RアイビスSDシャウトライン15頭74着
重賞初勝利2013年11月9日5回京都3日11RファンタジーSベルカント18頭41着
GI初出走2013年12月15日5回中山6日11R朝日杯フューチュリティステークスベルカント16頭310着
GI初勝利
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主な管理馬

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

参考文献

  • 木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)ISBN 4-89691-298-5
  • 小林常浩『騎手という稼業』(アールズ出版、2000年)ISBN 4-901226-13-4
  • 別冊宝島『競馬騎手名鑑'98』宝島社、1998年。ISBN 4-7966-9383-1

脚注

関連項目

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