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日本の政治家 ウィキペディアから
蜂須賀 正韶(はちすか まさあき、明治4年3月8日(1871年4月27日) - 昭和7年(1932年)12月31日[1])は、日本の政治家、侯爵。阿波蜂須賀家第17代当主。
蜂須賀 正韶 はちすか まさあき | |
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生年月日 |
1871年4月27日 (明治4年3月8日) |
出生地 |
日本 阿波国徳島 (現徳島県徳島市) |
没年月日 | 1932年12月31日(61歳没) |
出身校 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ |
称号 | 正二位・勲二等旭日重光章 |
配偶者 | 蜂須賀筆子 |
子女 |
長女・蜂須賀年子 次女・蜂須賀笛子 長男・蜂須賀正氏 |
親族 |
父・蜂須賀茂韶(貴族院議長) 義父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員) 義兄・徳川達孝(貴族院議員) 義弟・徳川圀順(貴族院議長) 義弟・大河内輝耕(貴族院議員) 義弟・四条隆愛(貴族院議員) 義弟・徳川慶久(貴族院議員) 娘婿・松平康春(貴族院議員) 娘婿・松田正之(貴族院議員) |
第9代 貴族院副議長 | |
在任期間 | 1924年1月16日 - 1931年1月16日 |
貴院議長 | 徳川家達 |
在任期間 | 1918年3月20日 - 1932年12月31日 |
徳川家斉の曾孫。
阿波徳島藩最後の藩主(第14代)・蜂須賀茂韶の長男として徳島南浜邸に生まれる。幼名は鶴松。
1886年渡英。1890年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ入学、1895年学士号(普通学位)を取得し卒業した[2]。 帰国後、宮内省の式部官兼主猟官、皇后主事などを歴任。
1885年、徳川慶喜四女の筆子と結婚。婚礼や披露宴は礼法の宗家である小笠原家監修のもと、三日間にわたり何千人もの招待客を迎える大規模なものとなった[3]。 1896年、年子が誕生。年子のほかには笛子、小枝子がいる。1903年、長男・正氏誕生。
1918年、父茂韶の死去により、同年3月20日に家督を相続して侯爵を襲爵し[4]、それにともない同日付で貴族院侯爵議員になった[4][5]。1924年1月16日、前任の侯爵黒田長成の勇退を受け、貴族院副議長に就任する。1931年1月15日、麝香間祗候を仰せ付けられた[6]。
息子の正氏を大政治家に育てようと夢見ていたが、実現することなく、脳溢血で死去。享年62。死後には約100万円の負債が残された。
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