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佐竹 義理(さたけ よしただ/よしさと)は、出羽国岩崎藩の第9代(最後)の藩主。佐竹壱岐守家9代当主。
慶応2年(1866年)2月1日、岩崎藩(秋田新田藩)主・佐竹義諶との養子縁組の話が持ち込まれる。同年2月5日、中村を出発、同年2月13日、江戸の中村藩邸に到着。同年3月2日、義諶の養子となる。義理は義諶の甥に当たる。同年3月28日、江戸の秋田新田藩邸に移る。戊辰戦争では義諶と行動を共にした。そのため、戦後に恩賞として2000両を与えられた。明治2年(1869年)5月25日、義諶の隠居により家督を継ぐ。同年6月に版籍奉還で知藩事となり、居館を岩崎村(湯沢市)に移して藩を岩崎藩と改めた。明治4年(1871年)、廃藩置県で免官された。
明治9年(1876年)9月、司法省から法学生徒を命じられた。明治10年(1877年)1月、病気を理由に法学生徒を辞退する。明治17年(1884年)7月、子爵を授けられた。同年7月、学習院別則研修科を卒業。1890年(明治23年)7月10日、貴族院議員に就任し、1897年(明治30年)7月9日まで1期在任した[1]。また。国光生命保険会社社長となり、実業家として活躍した。大正3年(1914年)4月26日、57歳で死去。墓所は東京都板橋区小豆沢3丁目の総泉寺にある。
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妻
子女
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