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日本の女性政治家 (1980-) ウィキペディアから
藤川 優里(ふじかわ ゆり、1980年〈昭和55年〉3月8日 - )は、日本の政治家。青森県八戸市議会議員(5期)。八戸圏域水道企業団議長[2]。自由民主党所属(公認)で、議会では保守系会派「自由民主クラブ」に所属。選挙ポスターや公式サイト等では藤川ゆりと記載されている。「美人すぎる市議」として有名になり、後に、「美人すぎる××」という言葉が生まれたきっかけになった人物でもある[3]。
1980年(昭和55年)、青森県八戸市生まれ。青森県立八戸東高等学校を経て、帝京大学文学部卒業。
2007年(平成19年)4月、父・藤川友信(元八戸市議会副議長・自民党津島雄二系)の青森県議会議員選挙における2度目の落選がきっかけとなり「私を出馬させてください」と、反対されても挫けずに意志を通し[4]、八戸市議会議員選挙の告示5日前に出馬表明。無所属で立候補し、同年4月22日に、八戸市議会議員選挙史上最高の6962票を獲得し、トップ当選した。市議会では、民生常任委員会委員・環境先進都市推進特別委員会委員を務める[5]。以降、父・友信から引き継いだ地盤に加え「美人すぎる市議」としての知名度もあり2011年(平成23年)、2015年の選挙でもいずれもトップで当選しており2位以下に1000票以上の大差を付けて当選。2019年の選挙では新人女性候補にトップの座を譲ったものの定数32(立候補者35名)中2位で再選され、2023年の選挙でも定数28(立候補者35名)中2位で5選を果たした[6]。
1期目には市議会議員としての政治活動と並行して、「美人すぎる市議」のキャッチフレーズで雑誌グラビアなどでモデル活動を行っていた(後述)。
父の友信は2011年4月、自民党公認を得て3たび県議選に立候補し初当選。2015年4月、再選を果たしている。医療法人十和田第一病院理事などを務めている。2019年4月では3選を目指したが落選している。
大学卒業後は政治家の秘書になることを考えていたが、父は専業主婦になることを望んでいたという[7]。2003年、父の選挙において、うぐいす嬢を務めた[8]。 2007年4月8日、県議会議員選挙での父の落選後、八戸市内の選挙事務所を兼ねた自宅において、支持者に礼を述べると共に「(2週間後に控えた)市議会議員選挙に出たい」と表明した。両親共々反対したが、4月10日、土下座しての出馬の訴えに父は容認し、その日の夕方、近くの写真店へ選挙ポスター用の写真を撮りに行ったという[9]。
介護予防事業の推進、介護保険料や介護サービスの利用料金の値下げや見直し働くお母さん達のために病児保育の施設を作ることなどを訴える。投票日は雨であったため浮動票の低下を心配し、テレビのない自分の部屋で結果を待ったという[7]。定数36に対し47人が立候補したこの市会議員選挙において2位当選の前沢時広の3665票の倍近い6962票を獲得し、トップ当選した。八戸市議選史上最多得票であり、20歳代の女性候補者というのも八戸市議選では初めてであった[9]。若年層の投票増加により、12年ぶりに投票率が上昇した(55.95%)[9]。
自民党は2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙に向けて、藤川に参議院の比例区からの立候補を打診し[10]、地元選挙区選出議員である大島理森自民党幹事長も説得に動いたが[11]、藤川が「地方自治に専念したい」としてこれを固辞したため、大島は藤川の国政への擁立を断念した[10][11]。
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