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茅野 蕭々(ちの しょうしょう、1883年3月18日 - 1946年8月29日[1])は、日本のドイツ文学者、詩人、翻訳家。本名は茅野 儀太郎[1]、号は暮雨。妻は歌人の茅野雅子(旧姓:増田)。
長野県諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)出身。諏訪郡立実科中学校、第一高等学校を経て、1908年東京帝国大学独文科卒業[1]。同科の同級生に小宮豊隆、小牧健夫、1年上に成瀬無極、一年下に小野秀雄がいた[2]。第三高等学校教授、慶應義塾大学教授、日本女子大学教授を歴任した[1]。
旧制一高在学中から与謝野鉄幹が主宰する新詩社の『明星』同人として短歌、詩、評論等を寄せ、妻雅子とともに活躍した[1]。「蕭々」は与謝野鉄幹から与えられたペンネームである[1]。『明星』廃刊後は、森鷗外、与謝野鉄幹らの『スバル』で活躍した。
茅野は当時、与謝野晶子、山川登美子とともに『明星』に短歌を寄せ活躍していた3歳年上の増田雅子に熱烈な求婚をし、親の反対を受けた雅子が日本女子大の卒業を待って、絶縁覚悟で大学生の蕭々と結婚した。
戦時中は日本文学報国会外国文学部会長であった。1945年東京大空襲で被災して顔面に火傷を負い、翌1946年失意のうちに脳溢血で急死し、雅子も後を追うごとく4日後に病死した。墓所は雑司ヶ谷霊園。
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