花岡圭三

日本の官僚 ウィキペディアから

花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - 2023年2月14日)は、日本の自治官僚。

概要

1929年、広島県三原市出身、三原城そばの商家の五男として生まれる。旧制忠海中学校旧制第六高等学校を経て東京大学法学部政治学科に入学。忠海中学校在学中に学徒動員を経験。海軍士官学校への入学を志していたが、終戦も学徒動員先で迎えることとなった。

東京大学卒業後の1953年に自治官僚となる[1][2]

沖縄返還に際し、物価や関税の急激な変動に晒される“新”沖縄県民の声に耳を傾け東奔西走した。

兵庫県山形県福岡県等の出向を経て、1980年大阪府知事岸昌に請われて大阪府副知事に就任[2]

1983年7月に自治大学校校長となり、1984年7月に自治省財政局長に就任[2]。財政通で1985年度予算編成の時は補助金一律カット問題において、自治省側の直接担当局長として大蔵省主計局とやりあった[2]

1986年7月に自治事務次官に就任。1987年9月に退官した。

退官後は地方財務協会理事長や公営企業金融公庫総裁を務めた[3]

その後平成天皇(明仁)より、勲一等瑞宝章(現在の瑞宝大綬章)を授与された。

2023年2月14日、死去[4]93歳没。死没日付をもって従三位に叙された[5]

脚注

参考文献

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