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自動列車運転装置(じどうれっしゃうんてんそうち、ATO : Automatic Train Operation)とは、列車の運転を自動化する運転保安システムである。主に、人に対する安全性が確保しやすい地下鉄や新交通システムに使われている。
システムは大きく分けて、車両に搭載した車上装置で演算制御を行う車上パターン方式ならびに地上パターン方式と、地上装置で車両の演算制御を全て行う全地上方式がある[1][2](厳密にはこのほか、車上パターン方式と全地上方式の中間となる半地上方式がある[1])。
日本国内で初めて使用された名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)の自動列車運転装置(ATO)は、車上装置による地上パターン方式(地上プログラム方式)が使用された[3][4]。
乗務員(路線により呼び方は異なる)が乗務するタイプと、無人運転のタイプに大きく分けられる。出発条件の成立後、自動的に目標速度まで加速した後に定速運転または惰行を行い、停車駅に接近すれば自動的に停止位置に停止させるという基本機能は変わらない。また、ATOはATCに自動運転装置としての機能が付加されたものでなければならないので、目標速度の設定及び保安確保のため[注 1]、閉塞にATCを使用するケースがほとんどである。
乗務員が乗務するタイプには、ATOをあくまでも運転支援装置と捉え、ATO運転中であっても運転士の運転操作が優先するよう設計されたものと、ATO運転モードでは緊急停止以外の運転操作ができない、無人運転に近い設計のものが存在する。いずれの場合も、一般に戸閉後にメインハンドル付近に設置された出発ボタンを押すことで、次駅までの自動運転が開始される。出発ボタンは、多くが誤操作防止のため、2つを同時に押すことにより作動するようになっている。
また、無人運転に近い設計の車両には、出発ボタンは存在せず、代わりに「扉閉抑止」ボタンがついているものもある。この様な列車の場合、駅に到着後は扉が自動で開くものの、このボタンを押さないままにしておくと、出発時刻になると自動で扉が閉まり、ひとりでに発車してしまう。しかし、このボタンを押しておくと、駅に到着して自動で扉が開いた後は、このボタンを再度押して解除しないと、出発時刻になっても扉は閉まらず、発車しなくなる。再度押して解除することで、扉が閉まり、扉が正常に閉まった場合(ホームドアが設置されている路線ではホームドアも)には、自動で発車することになる。またこの様な列車の場合、扉閉抑止を解除して一旦ドアが閉まった後に、再度ドアを開けることは出来ないため、戸ばさみからの復帰や駆け込み乗車をした乗客を乗せる場合、あるいは降り損ねそうになった乗客からの再開閉の依頼などで、発車せずにドアを再開閉する必要がある場合には、一旦ATOを解除した後マスコンキーを回して手動運転に切り替えた後、手動にてドアを再開閉してから、再度自動運転に戻す必要がある。この方式は、福岡市地下鉄七隈線などで採用されている。
自動列車運転装置(ATO)は駅停車制御機能のみを使用することで、定位置停止装置(TASC)として使用することもできる。東京メトロ南北線及び都営地下鉄三田線各車両のATOは東急目黒線内ではTASCモードに切り換わり、駅発車時の力行操作と駅間の速度制御は運転士が行い、駅停車時の停止操作はATO装置の駅停車制御機能(TASC機能)を使用している。
自動列車運転装置は、地上側で地点情報を発信する地上子、地上子から地点情報を受信する車上子、車両側で力行・惰行・ブレーキの制御を行う車上装置という3種の装置から構成されている。地上子は、有電源のトランスポンダである定位置停止地上子(P4地上子)と、3つの無電源地上子(P1-P3地上子)の2種類に分けられる。定位置停止地上子は各駅の停車位置に設置されており、列車が定位置に停止したかどうか確認するため、また停止した後諸機器を動作させるために必要となる。P4地上子が車上側のATO車上子の位置を一定の範囲内[注 2]で検知すると、車上子との間でホームドアの開閉指令やホームドアの開閉状態の情報、運行管理情報がやり取りされる。その手前に設置されているのが無電源地上子で、駅で決められた位置に停車するために必要となるものである。列車が無電源地上子を通過すると、地上子に組み込まれた固定位置情報が車両側のATO車上子を介して車上装置に送信される。この情報をもとに、列車は停止位置までの距離を把握することになる。P1地上子は、列車側にブレーキ制御用パターンを生成させる地点に設置される。P2・P3地上子は、P4地上子とP1地上子との間[注 3]に設置され、後述する車上装置に停車位置までの距離を伝達する。車両側に設置された車上装置は、列車が停止位置に止まるために必要なブレーキ出力を決定して指令する役割を担っている。車上装置には各駅間の距離情報と運転パターンが予め記録されており、地上側での位置補正用地上子から受信された地点情報と列車からの速度情報とを照合して適切なブレーキ出力を演算することにより、運転士の操作を必要としない定位置への停車を可能にしている。
列車が停車駅に接近すると、車上子がP1地上子から停止位置までの距離情報を受信する。それをもとに、車上装置が停止目標位置までの停止制御用パターンを生成する。列車側がP2・P3地上子から残りの距離情報を受信すると、列車が記録している残りの距離情報の食い違いの補正を行い、列車速度と正確な残距離に合わせてフィードバックによるブレーキ制御を行い、停車目標位置までに列車を自動的に減速させる。列車が停車目標位置にあるP4地上子の位置に停車した後は、列車の停止位置がショート(定位置手前)かジャスト(定位置停止)かオーバー(定位置超過)かを判断する停止位置測定を行い、許容範囲以上に位置がずれた場合には、インチングにより列車位置の修正を行う。目標位置に停車したことが確認されると、車両側で転動防止ブレーキを掛ける。また、車上側から地上側に列車の運行番号・行き先などの情報が送信され、地上側の運行管理システムが送信されたこれらの情報を基に列車の運行管理を行う。その後、車上側からの指令で地上側のホームドアが開けられると、車上側に車両ドア開情報が送信されて、車両側のドアが開けられる。停車中においては、運行管理システムが停車時間の管理を行い、出発時には、運行管理システムからの出発指示情報・ホームドア閉・車両側のドア閉などの条件が揃えば、列車は駅から出発できるようになっている。また、ホームドアまたは車両のドアの開閉は、車両側の運転席にあるドア開閉ボタンを操作することにより行う[5]。
地上子は鉄輪式リニアモーターカー方式の地下鉄(例 : 都営地下鉄大江戸線)では軌条間にリアクションプレートがあり、通常形地上子の設置ができないことからループコイル方式を採用している。これは2本の軌条の外側に「8の字形」のループコイルを設置し、撚架点(ねんかてん)を設けることで地上子としての機能を持たせている[6]が、最近ではリアクションプレートの横に地上子を設置する方式もある。
また、地上子を設置した方式の場合には導入の手間が大きくなることから、東京メトロ千代田線北綾瀬支線(旧式の5000系・6000系ハイフン車)では地上子を使用しない方式を採用している。これは2駅間の折返し運転という性格上、両駅に設置しているATC装置の過走防護信号 (ORP・Over Run Protector) を基にして、地上子の代わりに残存距離の補正を行っている[7]。ただし、2014年度より同線に導入された05系改修車では地上子・車上子方式となっている。
一例として東京メトロ南北線のATO装置のシステム構成について示す。同線用のATO装置は以下の装置と連動して車両を制御する。
ATOには列車速度の調整用に運転モードがある。東京メトロ南北線では「平常」・「回復」・「遅速」の3つのモードがあり、平常運転モードではATC制限速度の5km/h下の速度で走行、回復運転モード(列車遅れを回復させる場合)には平常運転より+2km/hで走行(ATC制限速度の3km/h下)、遅速(列車を遅らせる場合)には平常運転より-10km/hで走行(ATC制限速度の15km/h下)させることができる。
以下はOsaka Metro千日前線での例である。
特にATO運転時には頻繁なノッチ操作を行うと乗り心地が低下してしまうため、力行ノッチ・常用ブレーキ操作は手動運転時よりもステップ分割を行うようにした車両が大多数である。
日本国内で初めてATO運転を実施したのは、名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)東山線の名古屋 - 栄町間(下り線約2.5 km)である[4][8]。システムは日立製作所が開発したもので、路線長が短いことや運行車種も一つであることからATOは車上装置による地上パターン方式(地上プログラム方式)とし、地上装置より地上子、さらに車両側の車上子へ制御プログラムを送信して、車上装置で車両側の制御機器を操作するものである[3][9]。車両は100形105・106号車(ATOは105号車に搭載)を使用した[8]。1960年(昭和35年)10月21日[10](10月24日となっている資料もある[4])から夜間終電後に2か月間実施し、乗り心地は問題なく、駅停止精度は当初±540 mm以内の精度であったが、種々改良の後は±500 mm以内を確保した[8](第1次現車試験)。1961年(昭和36年)12月から翌1962年(昭和37年)5月まで営業時間帯の手動運転中に電子機器の耐久試験を行いながら、月に1回のATO走行試験を行った[8](長期耐久試験)。現車試験ならびに長期耐久試験は成功に終わったが、安全性やコスト面に課題が残され、実用化には至らなかった[8]。その後、1963年(昭和38年)1月10日から2月10日には営業運転に使用された[9]。
一方、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現在の東京地下鉄)では運輸省(当時)からの補助金を受け、電機メーカーと共同で1961年(昭和36年)6月からATOの研究開発を開始した[11] 。営団地下鉄のATOは三菱電機[12]が開発した車上パターン方式で、試験は日比谷線で3000系を使用した。最初に開発した装置は1962年(昭和37年)2月に車内に仮設して南千住 - 入谷間で走行試験を実施した。この試験結果は良好であり、同月26日・27日に営団内で公開試運転を実施した[13]。そして、翌1964年(昭和39年)9月からは営業列車2編成を使用して、長期にわたってATOの使用が開始された[13]。営団地下鉄ではATO運転の終了時期を公表していないが、1987年(昭和62年)の時点では2編成が使用されている[14]。最後までATOを搭載していた編成は1993年(平成5年)2月に廃車となっている。
1964年(昭和39年)6月、日立製作所が名古屋鉄道モンキーパークモノレール線(犬山モノレール)においてATOによる自動運転を開始しており、モノレールの自動運転は世界初であった[15][16]。システムは路線長が短く、地下鉄のような高度な技術は必要としないことから、プログラム方式に該当しない簡易なシーケンス制御方式とした[15][16]。1970年(昭和45年)には、日本万国博覧会(大阪万博)において日立製作所製のATOを搭載したモノレールが自動運転を行った[17]。大阪万博中に運行され、営業運転はワンマン運転を実施し、夜間の検査の回送運転時は無人運転を行っていた[17]。
1967年(昭和42年)2月、大阪市交通局(大阪市営地下鉄)では谷町線向けに三菱電機製の車上パターン方式ATOを導入、基礎試験を開始した[18][19]。谷町線の7000・8000形(7007 + 8007号→30系に改称。ATOは8007号に搭載)にATOを搭載して、同年9月(10月[18]または11月[20]となっている資料もある)から1968年(昭和43年)3月にかけて谷町四丁目 - 東梅田間の北行線で夜間終電後に基礎試験を実施した[18][21][19]。その後30系の御堂筋線転属に伴い、1969年(昭和44年)10月にATOは実用化用に再製作され、50系(5070 + 5570号。ただし、1970年2月に4両編成化) に搭載、実用化試験は千日前線に移行した[18][21][19]。この50系は電磁直通ブレーキ方式(HSC形)であり、ATO運転に適用するにはブレーキ性能が著しく劣ることから、応答性の高い電気指令式ブレーキ方式(OEC形)に改造した[22]。
千日前線用の車上パターン方式ATOの試験は、1969年(昭和44年)10月から1970年(昭和45年)3月まで野田阪神 - 新深江間(最終的な区間。途中から4両編成に増強)において行われた後、1970年(昭和45年)10月1日からは営業運転に投入された[19]。ATOに関する十分なデータが得られたことから、1974年(昭和49年)7月31日に車上パターン方式ATOの試験は終了した[22]。
車上装置によるATOは高い定位置停止精度を実現したが、これはブレーキ方式が電気指令式の新しい車両に限られ、ブレーキ性能が劣る電磁直通式の旧型車両へ適用する場合、ブレーキ装置の改造に大幅な費用が掛かるなど経済性で大きな問題点が残された[23]。このため、地上式ATO制御装置が列車の位置を検知し、地上ATO装置から走行する個々の列車へ力行・惰行・ブレーキ操作など制御指令を送信して列車を制御する全地上式ATO(地上式ATO)の試験が行われた[23][1]。同時に、車上式ATOと地上式ATOの中間に位置する半地上式ATOの試験も行われた[1]。車両は前述の50系(5070 + 5571 + 5071 + 5570の4両編成)が継続して使用された[1]。日本国内では初めての全地上式の列車制御システムで、三菱電機のほか大同信号が協力している[24]。ただし、この現車試験はATOの自動運転機能よりも、地上式ATOと半地上式ATOを使用した駅での定位置停止機能の性能確認を主な目的とした[1]。
軌条間にウイグリワイヤ(50 cm間隔の捻架(ねんが)ループと平行2線のループから構成。地上子の役目を果たす)を設置し、駅間の列車制御用は10 m長、駅停車場部は209 mの長さとなっている[23]。列車がウイグリワイヤ上を通過すると、列車の走行位置を地上式ATO制御装置に送信して車両位置を把握するほか、この情報を元に地上式ATO制御装置は列車に力行・惰行・ブレーキ操作などの制御指令を送信する[23]。地上式ATOでは保安装置のATCはバックアップ機能のみとなる[23]。地上式ATOの車上装置は大幅に簡素なものとなるが、逆に地上装置・地上設備が大掛かりな機器となる[1][19]。
一方、半地上式ATOは車上式ATOに近いシステム(車上にATOを搭載)であるが、車上式ATOが速度発電機を使用して列車速度を検知して制御するのに対し、半地上式ATOは速度発電機を使用せず、地上に設置したウイグリワイヤ(距離パターン)の移動間隔を車上で検知して列車制御に使用する点が異なる[1]。半地上式ATOの走行試験はウイグリワイヤを設置していない区間で自動運転(定位置停止)を行うもので、ウイグリワイヤに代わり、車上に可搬形のATO試験器を搭載して疑似的に距離パターンを発生させて行った[1]。電機メーカーによる地上式ATO・半地上式ATOの現車試験は1971年(昭和46年)12月 - 1972年(昭和47年)3月まで実施され[1][24]、地上式ATOの基礎試験は1971年(昭和46年)12月から1973年(昭和48年)7月まで今里 - 新深江間の西行線において実施された[21][19]
車上パターン方式を含めて大阪市交通局がATO試験を行ったのは、将来の省力化を想定したほか、千日前線でATO運転を実用化することは1970年(昭和45年)に開催された日本万国博覧会(大阪万博)の輸送機関となることで、大阪市交通局の技術力の高さを誇示する目的があった[20][19]。大阪市交通局のATO試験は、一定の成果を収めたことから1974年(昭和49年)8月をもって終了(プロジェクト自体が終了)した[19]。
横浜市交通局(横浜市営地下鉄)1号線では、1971年(昭和46年)3月に落成した1000形1次車に日立製作所製のATOが搭載され[25]、営業運転に向けた走行試験を行い良好な成績を収めている[26]。ただし、営業運転での実用化は見送られた[27]。
東京都交通局(都営地下鉄)では、当時建設中の10号線(→都営地下鉄新宿線)で、乗務員の負担軽減や安全性の向上を目的としたATOの導入を計画した[28][29]。1971年(昭和46年)秋に10-000形試作車を製作、営業中の6号線(→都営地下鉄三田線)に搬入し、試作車には三菱電機製の車上パターン方式ATOが搭載された[18]。1972年(昭和47年)初めから6号線(→都営地下鉄三田線)本蓮沼 - 志村三丁目間(南行線、約2 km)に10号線用の信号保安設備を仮設し、夜間終電後に各種試験・測定を行った[28]。ただし、新宿線でのATO運転は費用対効果の面から見送られた[30]。
これらの試験はいずれも当時は実用化には至らなかった(東山線は2015年〈平成27年〉、日比谷線は2020年〈令和2年〉、千日前線は2014年〈平成26年〉、ブルーライン(1・3号線)は2007年〈平成19年〉、三田線は2000年〈平成12年。ただし、実際の導入を想定した新宿線は導入していない〉に導入)。
日本国有鉄道(国鉄)においても自動列車運転装置の開発を行い、鉄道技術研究所において構内のループ線で走行試験を実施した[31]。
地下鉄での営業列車への全面採用は、1976年(昭和51年)6月10日に開業した札幌市営地下鉄東西線(車掌も乗務)で[注 4]、西28丁目駅と西車両基地の間では無人自動回送運転も行われていた。1982年(昭和57年)3月21日に白石駅 - 新さっぽろ駅間 (7.4km) の延伸開業に伴い、ひばりが丘駅と東車両基地の間も当初から無人自動回送運転に対応している。1990年(平成2年)頃、同線に於いて当時の主流だった6000形の営業車両に限りATOによる自動運転を終了しており、2008年9月1日に現在の主流である8000形でATOによる自動運転を開始するまでの約18年間は営業列車は手動運転(ATC)、ひばりが丘駅と東車両基地の出入庫線のみ無人自動回送運転となっていた。次いで神戸市営地下鉄西神線で1977年(昭和52年)から採用している。
その後は、1981年(昭和56年)に開業した福岡市地下鉄空港線[注 5]をはじめ、ワンマン運転を実施する路線において、乗務員の負担軽減のためにATOを採用する事例が増えた。さらに、旅客の安全対策としてホームドア(或いはホームゲート)が設置されるケースが相次いでいることに伴い、これらを採用した路線では、駅停車時にホームドア(ホームゲート)と車両のドアの位置を正確に合わせる必要があるため、ATOを採用する事例が増えている。
なお、ATOを採用した路線においても、地下鉄等在来型の鉄道においては、緊急時における運転士の技能低下を防止するため、1日数回、または一定時間に限り、手動運転を実施している路線が多い。
一方、1981年(昭和56年)に開業した神戸新交通ポートアイランド線(ポートライナー)をはじめとする新交通システムは、一部の例外を除き、無人運転を前提として設計されており、監視要員が乗務する路線・区間はあるものの、手動運転訓練や自動運転が継続できなくなった場合を除き、手動運転が行われることはない。
また、北九州高速鉄道小倉線のように、ATOを採用しながら、後に取りやめて全て手動運転(ATC)に切り替えた例も存在する。
2010年代後半からは少子高齢化や経営効率化を目的に、各社で自動運転に向けた試験が実施されている。
東日本旅客鉄道(JR東日本)では、山手線でドライバレス運転に向けたATOによる自動運転に向けた実証実験を進めている[35][36]
JR九州では、JR在来線で一般的なATSを用いた自動運転の研究を開始しており、2019年(令和元年)12月下旬 - 2020年(令和2年)2月中旬に、香椎線 西戸崎 - 香椎間においてATS-DK形をベースとした高機能ATO(FS-ATO)の走行試験を実施した[37](日本信号と共同開発[38])。この実証実験は良好な結果であったことから、2022年3月には香椎線全区間(宇美駅まで)に拡大した[39][40]。2023年3月からは、香椎線での試験結果を基礎に開発した「自動列車運転支援装置」の走行試験を鹿児島本線赤間 - 久留米で開始した[41][42]。2024年(令和6年)3月16日からは香椎線全列車において、GOA2.5(添乗員付き自動運転)の自動運転を開始した[43][44]。同日、2025年度末の導入を目指して鹿児島本線折尾 - 二日市間の一部列車で自動列車運転支援装置の実証運転を開始した[44]。
東武鉄道では大師線において将来の添乗員付き自動運転の実用化に向けた検証を進めている[45]。さらにJR東日本と共同でドライバレス運転に向けた協力をしていくと発表している[46]。
新幹線では、日本国有鉄道(国鉄)時代、951形新幹線試験電車、961形新幹線試作電車にATOMICと呼ばれるミニコンピュータと定位置停止装置(TASC)を組み合わせた自動運転の試験を山陽新幹線で実施していた。ただし、実用化には至っていない。
東日本旅客鉄道(JR東日本)では、将来の新幹線のATOによる自動運転・ドライバレス運転に向けて、2021年秋にE7系を使用して上越新幹線新潟駅 - 新潟新幹線車両センター間でATO自動運転の実証試験を実施した[47]。西日本旅客鉄道(JR西日本)においても、2022年度内に白山総合車両所内でW7系を使用した自動運転の実用化試験が実施された[48]。さらに、JR東日本とJR西日本は共同で将来の新幹線のドライバレス運転に向けて、協力して開発を進めると発表した[49]。計画では、2020年代末に上越新幹線新潟駅 - 新潟車両センター間の回送列車を、2030年代半ばには上越新幹線東京 - 新潟駅間の営業列車のドライバレス運転を目指すとしている[49]。
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