綱町三井倶楽部
東京都港区にある建造物・庭園 ウィキペディアから
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綱町三井倶楽部(つなまちみついくらぶ)は、東京都港区三田二丁目(旧芝三田綱町)に整備された建物及び庭園である。通常、三井倶楽部(みついくらぶ)と略して呼ばれる。
日向坂を登りきった島津淡路守江戸藩邸跡地に建てられ[3]、南側の斜面及び低地には庭園が広がり、2009年(平成21年)頃まで、藩邸の長屋がそのまま現存していた。周辺にはオーストラリア大使館、イタリア大使館が所在する。
1910年(明治43年)、三井総領家第10代当主・三井八郎右衞門高棟が、ジョサイア・コンドルに設計を依頼し、日向・佐土原藩(佐土原島津家)の江戸藩邸(上屋敷)跡に計画した賓客接待所で、当初は「綱町三井別邸」と称し、1913年(大正2年)12月に竣工した[2]。
建物はルネサンス様式を基調としてまとめられ、左右対称の正面の中央間および両脇間の軒の円弧状ペディメントとオキュラス飾りがこの建物を特徴づけており、両側面のベイ・ウインドウ上の前方に迫り出した弓状ペディメントとともに、バロック的手法を覗かせている[2]。背面庭園側の立面は、1・2階アーケード・ベランダの中央部が局面状に張り出し、軒中央に円弧状ペディメントとオキュラスを飾るなど、ここにもバロック的構成を見ることができる。外壁にタイルを用い出したことも、コンドルの新しい試みである[2]。内部も1・2階吹抜けのホールとステンドグラスをはめたドーム天井、階段室の構成や、各室の優雅な装飾など見るべきものが多く、コンドルの後期作品の中でも室内装飾の傑出した作品となっている[2]。南側庭園の設計もコンドルによるもので、地形上の段差を取り入れた庭園の構成は、バロック的構想に基づいている[2]。
関東大震災による被害で、倒壊は免れたものの、そのままの状態では使用に耐えず、大改修を行い、1929年(昭和4年)に耐震改修工事が完了した[4]。
敗戦で綱町三井倶楽部は米軍のオフィサーズクラブとして接収され、さまざまな改造が施されたが、随所にオリジナルとはまったく違うペンキが塗りたくられた他は、建物として致命的な改造とまでは至らなかった[4]。接収は、1953年(昭和28年)1月1日に三井不動産に返還されたことにより終了している[4]。
1965年(昭和40年)2月末、地下1階地上2階、鉄筋コンクリート造の別館が完成。別館2階には、300㎡を超える大ホールがつくられた。その後も逐次、改修工事が行われている[5]。
三井グループの会員制倶楽部で、会員以外の利用は原則不可だが、会員会社の管理職以上の役職者や役員OBの紹介があれば、会員以外でも、本館、別館の利用は可能である。また会員会社の正社員・正社員OB等の紹介があれば、会員以外でも婚礼での利用も可能となっている。
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