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日本の脚本家(1926−1987) ウィキペディアから
結束 信二(けっそく しんじ、1926年8月6日 - 1987年5月30日)は、日本の脚本家。東映ならびに第二東映製作・配給の時代劇映画および、東映京都テレビ・プロダクション制作のテレビ時代劇シリーズの原案・脚本を担当して、いわゆる「東映時代劇」の黄金期を支えた、昭和時代を代表する脚本家の一人。
1950年、東横映画京都撮影所(東映の前身)へ入社する。この就職は、父・武次郎の旧友・根岸寛一が世話した。結束は1953年のデビュー作『快傑鉄仮面』からテレビに移るまでの約11年弱の間に、155本の劇場用映画のための脚本を世に送り出すこととなるが、そのほとんどが時代劇である。
デビュー初期から2部作公開の1時間作品および、3部作・4部作シリーズを多く担当した。1950年代から60年代にかけての東映時代劇スターには大御所の片岡千恵蔵、市川右太衛門、月形龍之介、大河内傳次郎をはじめ、東千代之介、近衛十四郎、中村錦之助、大川橋蔵、大友柳太朗、高田浩吉、そして若手の里見浩太郎がおり、結束は彼らの主演・出演作を多く手がけた。このうち、東の生涯主演作は結束脚本のものが最も多い。
コンビを組んだ監督のうち、河野寿一とは後にドラマでも多く組む。
1964年に東映京都テレビ・プロダクションが設立されると、結束はテレビ界に身を転じ、数多くのテレビ時代劇の脚本を執筆。自身が映画時代に担当した近衛十四郎主演の『柳生武芸帳』シリーズのテレビ化にも携わっている。1965年に放映された『新選組血風録』をきっかけに、原作者の司馬遼太郎との交流が終生続いた。
テレビ時代劇では全話の脚本を手がけた作品が多い(『新選組血風録』、『俺は用心棒』シリーズ、『天を斬る』、『燃えよ剣』、『さむらい飛脚』、『軍兵衛目安箱』、『隼人が来る』、『新選組』など)ほか、そのうちのいくつかでは原作を兼任した(『俺は用心棒』シリーズ 、『天を斬る』、『軍兵衛目安箱』など)。
『素浪人 月影兵庫』では「浪人独り旅」を、『素浪人 花山大吉』では「浪人まかり通る」と、共に北島三郎が歌った主題歌の作詞を担当している。
1970年代中盤以降は、『暴れん坊将軍』シリーズの1作目『吉宗評判記 暴れん坊将軍』や『斬り捨て御免!』などにゲスト脚本で参加するにとどまった。
晩年はテレビドラマから退いて舞台の脚本・演出を手がけたほか、東映京都撮影所脚本研究所の所長をつとめ、後進を指導した。
1987年3月に脳梗塞で倒れ、同年5月30日に死去した。墓は京都市北区の誠心寺[2]にあり、碑には司馬遼太郎の筆で
の言葉が刻まれている[3]。
結束が執筆した映画・テレビドラマ・舞台の台本は、没後に妻から京都市の京都文化博物館に寄贈され、「結束信二文庫」で保管されている[4][5]。
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