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1888年(明治21年)5月に東京鎮台を母体に編成された。同時に第2師団から第6師団が夫々鎮台を改編して創設されたが、第1師団も含めこの時編成された6個師団が日本で最古の師団である。また、東京防禦総督が置かれるまでは、第1師団長が東京衛戍司令官とされていた。
師団は衛戍地である東京近郊の警備を主任務としているが戦役にも参加し、日清戦争・日露戦争・乾岔子島事件・ノモンハン事件・太平洋戦争に参加。
1936年(昭和11年)2月22日、師団に満洲駐箚の命令が下されたが、これはその頃第1師団所属の青年将校の中に昭和維新を叫ぶ者が居り、それらを満洲へ遠ざける狙いがあったという。しかしこの命令の4日後秘密裏に計画されていたクーデターが決行される事となる。これが二・二六事件である。クーデター自体は失敗に終わるが、首魁として処罰された野中四郎大尉を始め、香田清貞大尉・安藤輝三大尉・山口一太郎大尉ら決起将校の多くは何れも第1師団所属であった。
太平洋戦争ではフィリピン方面に出征。フィリピン防衛戦では山下奉文陸軍大将率いる第14方面軍に属し、レイテ島の戦いが勃発するとレイテ島西部オルモック湾に上陸する。師団は1万を超える兵力でレイテ島に渡ったものの、アメリカ軍との圧倒的な火力の差と補給が途絶えたことからほぼ壊滅状態となった。1945年(昭和20年)1月に野砲兵第1連隊を残しセブ島に移動したときの残存兵力僅か800名であった。その後、セブ島でも防衛戦を行った。
1945年9月2日、戦闘停止。同年11月から1947年12月にかけて、逐次復員。[2]
鎮台が改編され師団が創設された際の明治21年5月12日勅令第31号と、1937年(昭和12年)の日中戦争勃発前の陸軍常備団隊配備表によると、第1師団は次のように配備されていた(括弧内の地名は衛戍地)。また1940年(昭和15年)8月には、歩兵第3連隊を第28師団に転出し三単位編制に改編され衛戍地は満洲となったが補充は内地より行われた(終戦時の括弧内の地名は補充地)。
1888年(明治21年)
1937年(昭和12年)
1945年(昭和20年)
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