秋山博康

日本の元警察官、コメンテーター ウィキペディアから

秋山 博康(あきやま ひろやす、1960年〈昭和35年〉7月8日 - )は、日本タレント犯罪コメンテーター、犯罪評論家、元警察官YouTuber俳優。最終階級は警部(退職時、任警視)。愛称は「リーゼント刑事」。徳島県吉野川市(旧・麻植郡川島町)出身[2]ホリプロ所属[3]

概要 あきやま ひろやす 秋山 博康, 生誕 ...
あきやま ひろやす

秋山 博康
生誕 (1960-07-08) 1960年7月8日(64歳)
日本徳島県麻植郡川島町(現在の吉野川市
出身校 徳島県立川島高等学校
職業 タレント、犯罪評論家・コメンテーター、防犯コンサルタント、ドラマ等の警察監修、YouTuber、俳優[1]
身長 172 cm
公式サイト https://www.ri-zento-deka.com/profile
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概要 リーゼント刑事・秋山 博康チャンネル 「11時09分、現逮じゃ!」, YouTube ...
リーゼント刑事・秋山 博康チャンネル 「11時09分、現逮じゃ!」
YouTube
チャンネル
活動期間 2021年3月8日 -
登録者数 8.9万人
総再生回数 10,316,954 回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年5月26日時点。
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来歴

1979年昭和54年)、徳島県立川島高等学校卒業[4]徳島県巡査に任命。「高校時代は柔道に打ち込んでいたほか、生徒会長も務めていた」と自身のYoutubeチャンネルにて述懐している。交番勤務、機動隊を経て、1984年(昭和59年)、23歳の時に刑事として初配属される。殺人など重大犯罪を担当する徳島県警察本部 捜査第一課凶悪犯罪の最前線の所轄 刑事課を中心に31年間 刑事として捜査を担当。

2000年平成12年)、警視庁刑事部 捜査第一課に出向。『オウム真理教事件』や『ルーシー・ブラックマン事件』『営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故』『日本航空機駿河湾上空ニアミス事故』『世田谷一家殺害事件』などに携わる。

2001年(平成13年)に発生した「おい、小池!」指名手配ポスターで有名な『徳島・淡路父子放火殺人事件』に長らく携わり注目され[5][6]、その後フジテレビ系列テレビ東京系列などの警察特番で「リーゼント刑事」との呼称で度々登場した。

2021年令和3年)3月31日付で定年退職[7]上京。「刑事バカ一代」をモットーに元警察官の「犯罪 コメンテーター」として活動中。

おもな経歴

  • 1984年(昭和59年)、徳島県鳴門警察署刑事課捜査係
  • 1987年(昭和62年)、徳島県警察本部刑事部捜査第一課機動捜査隊
  • 1992年(平成4年)、徳島県警察本部刑事部捜査第一課強行犯主任
  • 1999年(平成11年)、徳島県警察本部刑事部捜査第一課特殊犯係長
  • 2000年(平成12年)、警視庁刑事部捜査第一課特殊犯主任(出向)
  • 2004年(平成16年)、徳島県石井警察署(現在は徳島名西警察署石井庁舎)刑事課長
  • 2008年(平成20年)、徳島県警察本部刑事部捜査第一課課長補佐
  • 2011年(平成23年)、徳島県徳島東警察署(現在の徳島中央警察署)刑事第一課長
  • 2015年(平成27年)、徳島県警察本部刑事部鑑識課次長
  • 2017年(平成29年)、徳島県警察本部生活安全部地域課次長
  • 2019年(平成31年/令和元年)、徳島県警察本部生活安全部生活環境課次長
  • 2021年(令和3年)、定年退職

その他

  • 1982年(昭和57年)、柔道で国民体育大会に出場
  • 1980年(昭和55年)、全国警察逮捕術大会に徳島県警代表で出場
  • 1997年(平成9年)、徳島県警優秀刑事賞 そのほか徳島県警42年間で本部長賞詞、本部長賞誉を多数
  • 2000年(平成12年)、警視庁出向時に警視総監賞受賞(3回)。警察庁長官賞(団体)数回。刑事局長賞数回。
  • 2021年(令和3年)、兵庫県洲本警察署 一日署長[8]
  • 2022年(令和4年)、警視庁福生警察署 一日署長[9]

人物・エピソード

  • 刑事は被害者の代理人」が信念で、徳島県民で秋山を知らない人は居ないほどの存在であった。
  • 「刑事になろう」と思ったのは秋山が10歳の時である。当時、秋山の実家で深夜泥棒が入った際に駆け付けた刑事から「大丈夫!ワシが絶対 捕まえたる!」と言われたことがきっかけであり、「将来は刑事になって困ってる人を助けよう」「悪い奴を捕まえる」と決心した[10]。ちなみに秋山は用便のために起きていた。
  • 10歳の時の夏休み極真空手主宰者大山倍達の「空手バカ一代」の真似事をして「山籠もり修業」を行っていた。実家から数キロ離れたの中間にある神社に小さなテントを張り、朝5時に起きて坂道をダッシュ、神社の階段を何十往復、正拳突きと蹴りを1,000回ずつ行っていた。なお、蹴りは鉄の下駄を履いて行った。山籠もりは1週間 続き、毎日 秋山の父親が実家からおにぎりを持ってきた。その年の夏休みの宿題で山籠もりの様子を絵日記に書いたところ、校長室に呼び出されて叱られる羽目になった[11]
  • ロックミュージシャン矢沢永吉にあこがれて高校時代に前髪を垂らしたクイッフにすると、警察学校時代を除き、そのスタイルを通した。「そのせいで被疑者に間違えられたこともあった」という。リーゼントで怖い顔つきだったある事件の被疑者を目撃した同僚から「秋山がやりよったぞ!」と疑われたり、警察の無線には「被疑者は秋山と良く似ている」と伝えられたこともあった[7]
  • 高校2年生の時には生徒会長に選出された。先輩や暴走族の連中から目を付けられたが、武道の演舞を見せ気合の大声で威圧すると一目置かれるようになり、戦わずして勝つことができた[12]
  • 刑事としての初仕事は、に浮かんだ水死体の引き揚げ。ストレッチャーで運ぶ時、載せた水死体が滑り落ちそうになるのを咄嗟に体で止めようとして遺体の腐敗汁を全身に浴び、秋山が持っているスーツの中で、最も良いスーツが台無しになった[12]
  • 秋山 対 暴走族」の伝説は数多い。徳島県内で「暴走族 20人 対 暴走族 20人」の抗争事件が勃発したが、殺人未遂や傷害罪などで全員が逮捕となり、秋山は解散式を行った。その噂が県下の暴走族に流れ、その後 抗争は0になったという。また親子2代に渡って暴走族を解散、更生させたこともある。「罪を憎んで人を憎まず」を信念としていた秋山の元には、解散後も秋山を慕う元メンバーが多く、結婚式に招待されたこともある
  • 盗品として押収した約100枚の女性用 下着を被害者へ返す前にコインランドリー洗濯したところ、下着泥棒と間違われてパトカーを呼ばれたことがある[12]
  • 窃盗事件の容疑で、深夜に犯人の自宅を覆面パトカーの中で張り込み中、自分の足を組み替える際に誤ってつま先をサイレンを鳴らすボタンにひっかけ、深夜の住宅街にサイレン音を鳴り響かせて、犯人に逃げられてしまったことがある[12]
  • 秋山が行きつけの銭湯の脱衣所に〝○○組○○〟と名前が書かれた洗面器がずらりと並んでいたので、秋山はそれらを全部 捨て代わりに、〝○○署 刑事課 秋山〟と書いた洗面器を置いた。それ以来、組員は姿を見せなくなりマル暴の刑事に聞くと、組員の間で「何をするか分からない危ない刑事が異動してきた」と評判になった[12]
  • 秋山ならではの流儀は「被疑者も被害者も目撃者も同じ人間。どんな凶悪犯でも生まれた時は みんな真人間」とのこと。取り調べ中には被疑者の生まれ故郷によく足を運び、実家から小学校までの道のりを歩き、被疑者が子供の頃に立ち寄った店や公園にも立ち寄っていた。取り調べ室でその話をすると、被疑者は子供の頃を思い出し、やがて涙を流し、「すみませんでした」と心を開いていくという[12]
  • 警視庁での辞令発布の際、他の捜査員は白シャツに紺スーツだったが、秋山はワインレッドのシャツに黒スーツ姿で登庁。管理官に「着替えてこい!」とひどく叱られ、部内報の『捜査一課だより』に“出向者でふしだらな服装の者がいた”と書かれてしまった[13]
  • 見た目で判断されないよう、人の10倍、20倍の仕事をしてきた自負がある[12]
  • 還暦を迎えても衰えないパワーの秘訣は、今でも腹筋と腕立て伏せを毎日100回すること、更に10キロジョギングと語っている。筋トレは欠かさず行っており、20歳の時と現在で体重が変わらない[14]
  • その熱き刑事魂に憧れて、「秋山さんの部下になりたい」と全国から徳島県警を志望して合格し、実際に秋山の部下として勤務した警察官もいた[15]

出演

テレビ番組

テレビドラマ

ラジオ

インターネットテレビ

舞台

著書

映画

  • 津山遥かなり 文太の花道(2023年3月18日)


脚注

外部リンク

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