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福倉 健太郎 (ふくくら けんたろう、1991年8月3日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
鹿児島県鹿児島市出身[1]。枕崎市を経て小学校3年生(2学期)に姶良市(旧姶良町)へ転居。姶良市立重富小学校3年生の時に「重富少年野球クラブ」で軟式野球を始めた。姶良市立重富中学校野球部では3年生の時に九州大会に出場した。鹿屋中央高等学校では1年生時の夏にベンチ入り。冬に左膝の手術を受けた[1]。甲子園出場経験は無し。
第一工業大学3年生の時に九州地区大学野球リーグ・鹿児島地区の春季リーグ戦で最優秀投手賞を受賞した[2]。この年の冬に右肩を痛め、約1年間公式戦から遠ざかって治療に専念した[3]。
2013年10月24日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに7巡目で指名され[4]、契約金1,000万円、年俸700万円(金額は推定)で仮契約を結んだ[5]。背番号は「50」に決まった[6]。同大学からのプロ入りは藤原良平、美沢将に次ぎ3人目[7]。
2014年は二軍で16試合に登板し61回1/3を投げ、3勝4敗、防御率3.38だった[8]。11月に佐藤勇、宮田和希、誠、藤澤亨明と共にオーストラリアン・ベースボールリーグのメルボルン・エイシズに派遣され、ウインターリーグに参加した[9]。
2015年7月12日の対北海道日本ハムファイターズ戦において、7回裏に4番手でプロ初登板し、2回を投げ被安打1、奪三振2、与四球4、1失点だった[10]。二軍での9月度の成績が6試合に登板し14回1/3を投げ1勝0敗、防御率0.00で、イースタン・リーグの月間MVPを受賞した[11][12]。二軍通算では松下建太と並んでチーム最多の32試合に登板し、64回2/3を投げ6勝2敗、防御率1.81の成績だった[13]。
2016年は二軍で20試合に登板し、0勝2敗1セーブ、防御率4.55だった[14]。
現役引退決断後は鹿児島に戻り、中古車販売会社・ビッグモーターに就職[17]。会社員をしながら指導者の道を目指した。その後、現地の生命保険会社に転職。勤務の傍ら、社会人野球クラブチームの鹿児島ドリームウェーブの有川真平監督からの勧誘を受け、同チームで現役復帰していた[18]。
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