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日本の石川県の道路 ウィキペディアから
石川県道227号八野高松線(いしかわけんどう227ごう はちのたかまつせん)は、石川県かほく市内を通る一般県道(石川県道)である。
かほく市北部(旧河北郡高松町)を縦断する。起点のあるかほく市八野や隣接する同市瀬戸町、および同市中沼は高松町の前身である羽咋郡南大海村を構成する集落群であり、このうち八野は同村成立の1889年(明治22年)から村役場が置かれた中心地[1]でもあった。当県道は同地区と高松町[2]の中心部である高松とを結ぶ主要道路の1つであり、八野からは大海川に沿って上流部にある羽咋郡河合谷村とを結ぶ「箕打(みうち)往来」の一部でもあった。1905年(明治38年)には道路組合を設立して改修にあたるなど、往来の整備に努めた。一方、現在の中町通りにあたる区間は、黒い瓦屋根と格子戸のある家並みが続くかつての「能登街道」の宿場町であった。藩政時代には、現在の当県道終点近くにあたる宿場町南端には口銭場[3]が設置され、明治時代には同地区から各地へ通じる道路が放射状に整備され、更に大正時代には道路元標が現在のJA石川かほく 高松支店前に設置されるなど、河北郡北部の中心街として栄えた。1877年(明治10年)に御門跡往来[4]が開通すると、往来としての重要性が薄れた。その後も市町村合併を経ながらもなお、高松地区の中心部であり続けており、沿道には上伊丹町商店街や下伊丹町商店街などの各商店街が軒を連ねている。
車道は、起点から内高松交差点までの区間[5]、および北陸銀行 かほく支店・かほく市たかまつまちかど交流館(旧北國銀行 高松支店)前の交差点から終点まで(通称・中町通り)は両側2車線(片側1車線)が確保されている。このうち、中町通りは対面通行区間ではなく、中央部に川が流れ、更に縁側に桜を植えた親水性の高い桜並木が続いている。これら以外の区間は1.5車線程度の幅員である。歩道は瀬戸町地内と中沼地内から高松病院口交差点までと、中町通りにそれぞれ設けられている。
高松病院口交差点から中町通りにかけて、道路中央部に地下水を水源とする消雪パイプが設置されている。沿道には県道番号標識は立てられていない。当県道内の警戒標識、デリニエーターには当県道番号のシールが貼付されている。
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