白神社
広島市中区中町に鎮座する神社 ウィキペディアから
広島市中区中町に鎮座する神社 ウィキペディアから
白神社(しらかみしゃ)は、広島市中区中町に鎮座する神社。市民から「しらかみさん」と称されて、親しまれている旧郷社。
かつては、旧国泰寺(現在のANAクラウンプラザホテル広島の付近)に連なる広い神社だったが、原爆により一時焼失し、規模を縮小した。現在、神社周辺には幅100メートルの道路(通称「平和大通り」)が整備され、近代的なビルも立ち並び、神社はこぢんまりとした印象。境内にある岩石は、広島の三角州形成による海岸線移動の跡を記し、「原爆の熱線により赤く変色した岩石」や「被爆した楠」などには被爆の跡が記されている、歴史的な検証にとっても重要な神社。
白神社のある中町一帯がまだ海であった頃、現在神社のある地点は海面から突き出た岩礁であった。そこに衝突する船が後を絶たないため、当時の船人により岩礁上に白い紙がたてられ、海難事故を防止する役目を果たしていた。やがてこの岩礁は三角州の発達や干拓工事などにより徐々に地上に露出しはじめ、海難事故とは無縁になっていくが、船の安全な運航に貢献した白紙に代わる守り神の象徴として祠が建てられた。祠は白紙にちなみ「白神(しらかみ)」と呼ばれ、住民の信仰を集めた。これが建造物として信仰されるようになった始まりだが、その創建時期については記録がなく不詳。
祠は時を経て徐々に規模を拡大していき、天正19年(1591年)9月に広島城を築いた毛利輝元により新しい社殿が建立された。この社殿を城主の氏神、広島城下の総産土神(そううぶすながみ)とし、最盛期には近隣の旧国泰寺に連なる広い境内を持つ神社に発展した。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆投下により爆心地から約600メートルに位置する当神社は、地下に保存していた重要書類を残し建造物は完全に焼失したが、同年10月には祭祀執行のため急造の仮社殿が建てられ、10年後の同30年12月に再建された。現在の社殿は同63年に再建されたものである[1]。
(件名後の括弧内は指定の種別と年月日)
白神社の南側を通る平和大通り沿いに「白神社前」バス停があり、エキまちループ(広電バス[3]・広島バス[4])が停車する。平和大通り沿いには放送会館前バス停、白神社の西側を通る鯉城通り沿いに袋町バス停(広島電鉄 袋町電停)・中電前バス停・アストラムライン 本通駅もある。
エキまちループは左回り・右回りそれぞれ1時間あたり5-6本運行されている。
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