白井二郎

ウィキペディアから

白井 二郎(しらい じろう、1867年7月12日慶応3年6月11日[1][2]) - 1934年昭和9年)9月3日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

長州藩士陸軍中佐、白井胤良の二男として生まれる[1]1881年明治14年)5月、陸軍士官学校幼年生徒隊に入る[1]1887年(明治20年)7月、陸士(旧9期)を首席で卒業し歩兵少尉に任官、歩兵第8連隊小隊長となる[2][3][4]1893年(明治26年)11月、陸軍大学校(9期)を優等で卒業[1][2][3]

1894年(明治27年)8月、第1軍兵站監部副官となり日清戦争に出征[1]1895年(明治28年)6月、第2師団参謀となり、参謀本部第4部員、陸大教官を経て、1900年(明治33年)12月、歩兵少佐に昇進[1]1901年(明治34年)11月、フランス駐在を命ぜられた[1]1904年(明治37年)4月、参謀本部付、同年5月、第3軍参謀(作戦主任)に補せられ日露戦争に出征[1][2][3]旅順攻囲戦奉天会戦に参戦[2]。この間、同年10月、歩兵中佐に進級[1]1905年(明治38年)4月、侍従武官に転じた[1][3]1907年(明治40年)10月、第15師団参謀長に異動し、同年11月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1909年(明治42年)4月、フランス大使館武官に補された[1][3]1910年(明治43年)11月、歩兵第27連隊長に就任[1][3]1912年(明治45年)2月、陸軍少将に進級し歩兵第28旅団長となる[1][2][3]1913年大正2年)8月、歩兵第6旅団長に移り、朝鮮総督府付武官、歩兵第40旅団長を経て、1916年(大正5年)8月、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に着任[1][2][3]1918年(大正7年)7月、第8師団長に親補され、1921年(大正10年)7月、予備役に編入された[1][2][3]

栄典

位階
勲章等

親族

  • 妻 白井芳子 山根信成(陸軍少将)の娘[1]
  • 義弟 平田時丸(陸軍大佐)[1]

脚注

参考文献

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.