王朝(おうちょう、: Dynasty)とは、歴史の分類方法の一つで、君主系列あるいはその系列が支配した時代を分類するための歴史用語である。「朝」は朝儀に由来する[注釈 1]歴史家は歴史研究の都合上、君主の系列を各々の時代や文化圏にあわせて王朝として便宜的に分割してきた。そのため、王朝の定義や分類方法に世界共通の規則はなく、王朝の範囲は歴史家によって異なることがある。すなわち、現君主国が自ら王朝名を名乗ることはない。

2013年11月、天皇皇族
ポルトガルアヴィス王朝国章
ウィンザー朝の紋章、英国と連邦の現在の王室。

概要

王朝とは、歴史家による君主の系列の人工的な分類である。多くの場合は、血族養子縁組による世襲君主制の君主の系列を分類するために用いられるが、奴隷王朝マムルーク朝のように血縁とは無関係な君主の系列に用いられる場合もある。王朝名は、王朝に分類された君主の在位時から意識されている場合もあるが、ほとんどは後世の歴史家による命名である。

中国の王朝

多くの場合、王朝は同姓の一族による一連の世襲を指し、王朝ごとに国号が違うため、国号が王朝名として使われる。王朝の交替は血統の断絶ではなく徳の断絶によって定義される。徳が連続している間は血統が離れた相続や別姓の非血縁者による相続も可能だが、いったん徳が断絶したものを再興した場合は血統が継続していようとも前漢後漢のように区別するのが普通である。そのため、中国南朝のなどのように、男系で連なる同姓血族の相続であっても、徳が断絶したと認識されれば王朝も交替したものとみなされる。

西洋文化圏

王朝が同一家名の君主の連続によるものと定義され、家名が王朝名となる。例えばイギリス王ジョージ5世は、在位7年目まではサクス=コバーグ=ゴータ家を名乗っていたが、1917年に家名をウィンザー家と改称したため、これによって王朝が交代したものとされる。また、当事者による家名の変更以外にも、嫡流が断絶して既に別家を立てている兄弟への継承や、傍系継承または女系継承が起きた場合も家名が変われば王朝の交替となる[注釈 2]。ただし、近年は女系継承が行なわれても母方の家名を用いる(=君主の家名が変わらない)ことが多く、その場合は一般的には王朝交代とはみなされないため、一概に女系継承や傍系継承が王朝交代(家名変更)に直結するとは言えない。ヨーロッパの王家は武力で滅亡する例は少なく、多くが嫡流の断絶による家名の変更である。ただし、中世以前には正式な家名が無い場合が多く、多くは後世の歴史家が適当に命名および分類したものである[注釈 3]

イスラム文化圏

当初はムハンマドに始まるアラブ人の世襲のカリフの権勢が及ぶ範囲を王朝と定義でき、その最初にして8世紀までに強大な勢力を築いた王朝はイスラム帝国サラセン帝国)と呼ばれている。しかし、ペルシア人も台頭してムスリム内では対立が激化し、10世紀にはカリフが乱立するなどして権威が失墜した。その後はスルタンシャーハンなどの君主号で有力者がそれぞれに王朝を建てて世襲した。アラビアのほか、ペルシャシリア、などは古代ギリシア語による地方名のエクソニムであったが、君主は対外的には帝政[注釈 4]を敷いていたため、しばしば歴史家によって権勢の及ぶ範囲を国家に相当する領土範囲と認め、サーサーン朝セレウコス朝ファーティマ朝アッバース朝などの王朝名で国名に代替した経緯がある[注釈 5][注釈 6]。現代でも、例えばサウジアラビアは「サウード家のアラビア地域の王国」を意味している。もっとも、いくつかある諸権勢を1つに束ねられるさらに大きな大権が登場したときには、西欧の定義に倣ってこれを「帝王」と認め帝国を定義している。これによりオスマン朝はオスマン帝国とも呼ばれる。

日本の王朝

日本史において、一般的に王朝の分割による時代の分類は意識されておらず、また皇統以外の王権の存在も意識されていないため、「王朝」の呼称は(武家政権時代(院政も含める)との対比による呼称としての)「王朝時代」の例を除いて一般には用いられない。この例では、古墳時代飛鳥時代奈良時代平安時代を代替して「王朝時代」と呼び、同時代の文化を王朝文化王朝文学王朝物語、そして11世紀中期ないし12世紀後期までの期間を王朝国家と呼ぶことがある。

各々の天皇の時代を「推古朝」等のように呼ぶ例や、皇統が断絶しないよう傍系から擁立した例(継体天皇光仁天皇など)で「仁徳朝」「天武朝」と言及されることがあるが、あまり一般的な用法とはなっていない。

王朝の定義認識の諸例

暗喩として

現在でも、世襲や同族経営が行われる財閥企業グループ、家元制や世襲政治家の家系などにおいて比喩的に使われる場合がある。(例:「ケネディ王朝」「金王朝」)。

また英単語dynasty(英語版:dynasty(sports))はスポーツの分野において、特定の選手・チームがその競技やリーグの頂点を長期間勝ち取り続けることを表し、日本語においても「王朝」と翻訳される場合がある。[1]

既存の王朝

既存の主権王朝の一覧

さらに見る 王朝, 国家 ...
王朝 国家 現在の君主 王朝の創始者 王朝の発祥地 王朝の成立
日本皇室[注釈 7]
Imperial House of Japan
日本の旗 日本国 徳仁 神武天皇 奈良 橿原
(日本)
紀元前660年2月11日
皇紀元年〉
グリマルディ朝
House of Grimaldi
モナコの旗 モナコ公国 アルベール2世 フランソワ・グリマルディ ジェノヴァ
イタリア
1297年
ボルキア朝
House of Bolkiah
ブルネイの旗 ブルネイ・ダルサラーム国 ハサナル・ボルキア ムハンマド タリーム
イエメン
1405年
リヒテンシュタイン朝
House of Liechtenstein
リヒテンシュタインの旗 リヒテンシュタイン公国 ハンス・アダム2世 カール1世 ニーダーエスターライヒ
オーストリア
1608年
アラウィー朝
Alaouite dynasty
モロッコの旗 モロッコ王国 ムハンマド6世 マウラーヤ・シャリーフ タフィラルト
(モロッコ)
1631年
ブルボン=アンジュー朝[注釈 8]
House of Borbón-Anjou
スペインの旗 スペイン王国 フェリペ6世 フェリペ5世 ブルボン=ラルシャンボー
フランス
1700年
ドラミニ朝
House of Dlamini
エスワティニの旗 エスワティニ王国 ムスワティ3世 ドラミニ1世 東アフリカ 1720年
サウード朝
House of Saud
サウジアラビアの旗 サウジアラビア王国 サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ ムハンマド・イブン=サウード ディルイーヤ
(サウジアラビア)
1744年
ルクセンブルク=ナッサウ朝[注釈 9]
House of Luxembourg-Nassau
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク大公国 アンリ アドルフ ナッサウ
ドイツ
1748年
ブーサイード朝
House of Said
オマーンの旗 オマーン国 ハイサム・ビン・ターリク・アール=サイード アフマド・ビン・サイード オマーン 1749年
サバーハ朝
House of Sabah
クウェートの旗 クウェート国 サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ サバーハ1世 ナジュド
サウジアラビア
1756年
ベルナドッテ朝
House of Bernadotte
スウェーデンの旗 スウェーデン王国 カール16世グスタフ カール14世ヨハン ポー
フランス
1763年
チャクリー朝
Chakri dynasty
タイ王国の旗 タイ王国 ラーマ10世 ラーマ1世 テーサバーンナコーン・プラナコーンシーアユッタヤー
(タイ)
1782年
ハリーファ朝
House of Khalifa
バーレーンの旗 バーレーン王国 ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ カリファ・イブン・ムハンマド ナジュド
サウジアラビア
1783年
オラニエ=ナッサウ朝[注釈 10]
House of Orange-Nassau
オランダ王国の旗 オランダ王国[注釈 11] ウィレム=アレクサンダー ウィレム1世 ナッサウ
ドイツ
1815年
モショエショエ朝
House of Moshesh
レソトの旗 レソト王国 レツィエ3世 モショエショエ1世 レソト 1822年
ベルジック朝[注釈 12]
House of Belgium
ベルギーの旗 ベルギー王国 フィリップ アルベール1世 テューリンゲンバイエルン
ドイツ
1831年
トゥポウ朝
House of Tupou
トンガの旗 トンガ王国 トゥポウ6世 ジョージ・トゥポウ1世 トンガ 1845年
サーニー朝
House of Thani
カタールの旗 カタール国 タミーム・ビン・ハマド・アール=サーニー サーニー・ビン・ムハンマド ナジュド
サウジアラビア
1847年
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク朝[注釈 13]
House of Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg
デンマークの旗 デンマーク王国[注釈 14] マルグレーテ2世 フリードリヒ・ヴィルヘルム グリュックスブルク
ドイツ
1863年
ノルウェーの旗 ノルウェー王国 ハーラル5世
ワンチュク朝
House of Wangchuck
ブータンの旗 ブータン王国 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク ウゲン・ワンチュク ブータン 1907年
ハーシム朝[注釈 15]
House of Hashim
ヨルダンの旗 ヨルダン・ハシミテ王国 アブドゥッラー2世 フサイン・イブン・アリー ヒジャーズ
サウジアラビア
1916年6月10日
ウィンザー朝[注釈 16]
House of Windsor
アンティグア・バーブーダの旗 アンティグア・バーブーダ チャールズ3世 ジョージ5世 テューリンゲンバイエルン
ドイツ
1917年7月17日
オーストラリアの旗 オーストラリア連邦[注釈 17]
バハマの旗 バハマ国
ベリーズの旗 ベリーズ
カナダの旗 カナダ
グレナダの旗 グレナダ
ジャマイカの旗 ジャマイカ
ニュージーランドの旗 ニュージーランド[注釈 18]
パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア独立国
セントクリストファー・ネイビスの旗 セントクリストファー・ネイビス連邦
セントルシアの旗 セントルシア
セントビンセント・グレナディーンの旗 セントビンセント及びグレナディーン諸島
ソロモン諸島の旗 ソロモン諸島
ツバルの旗 ツバル
イギリスの旗 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国[注釈 19]
ノロドム朝[注釈 20]
House of Norodom
カンボジアの旗 カンボジア王国 ノロドム・シハモニ ノロドム カンボジア
ブンダハラ朝
Bendahara dynasty
マレーシアの旗 マレーシア アブドゥラ トゥン・ハバブ ジョホール
(マレーシア)
ナヒヤーン朝
House of Nahyan
アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン テヤブ・ビン・イーサ・アール・ナヒヤーン リワ・オアシス
(アラブ首長国連邦)
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非主権王朝が既存する国と地域の一覧

脚注

関連項目

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