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日本の漫画家・漫画文化の研究者 (1937-2022) ウィキペディアから
牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日[1] - 2022年8月14日)は、日本の漫画家、漫画文化の研究者。京都精華大学名誉教授。
愛知県豊橋市出身[1]。4人きょうだいの長男[2]。漫画家の牧野和子は実妹である[3]。
愛知県立時習館高等学校卒業[1]。上京して2度美術大学受験に失敗し、1958年に日本テレビジョン(TCJ)へ入社。アニメーターとして働く[2][4]。27歳で博報堂へ転職し、テレビCMの絵コンテを手がける[2]。1964年には独立して、島充とともにマキノプロダクションを設立[2]。
1966年より近藤日出造に師事し、近藤没後の1976年3月から約15年間、近藤の後を継いで読売新聞に政治漫画を連載した。1976年11月に読売新聞社の嘱託に[1]。イラスト、デザイン、アニメ、漫画など多くの作品を手がけるとともに文藝春秋漫画賞など、これらに関する賞をいくつか受賞している。
1971年にテレビアニメ「アンデルセン物語」キャンティとズッコ、キャラクター原案。
漫画家の手塚治虫と親交があり、1975年には手塚が展示プロデューサーを務めた沖縄国際海洋博覧会において、副プロデューサーとして参加している。
1991年に愛知県豊橋市美術博物館において「牧野圭一ユーモアART展」を開催。
1992年、銀座田中貴金属ジュエリー店にて「ユーモア・ジュエリー展」。愛知県豊橋市「7つの出会い像」制作。船橋市海老川河畔に「十福神像」を設置。
豊橋市生まれであることから2003年2月からは豊橋ふるさと大使を務めている[5]。
2006年から2年間京都精華大学マンガ学部の学部長に就任し、2008年4月より同大名誉教授、国際マンガ研究センター長を歴任。2011年4月からは京都造形芸術大学教授を務めていた。
2013年には読売新聞社主催「地球にやさしい作文・活動報告コンテスト」審査委員。
他にもまんが甲子園企画参画の選考委員、さいたま市北沢楽天顕彰会会長、ユーモア発明クラブ会長、日本漫画家協会事業担当理事を務めた。
2022年8月14日に死去していたことが日本漫画家協会より同月16日に公表された。84歳没[6]。
1967年 『牧野圭一漫画集』にて第13回文藝春秋漫画賞を受賞[1]。
1973年 『私の妖精たち』にて、第2回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞[1]。
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