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『瀧の白糸』[1](たきのしらいと)は、泉鏡花の小説「義血侠血」を原作とする新派劇および映画、テレビドラマ、オペラである。1956年までに映画では6作品が製作された。
女水芸人「瀧の白糸(本名:水島友)」は旅座仲間の南京出刃打(なんきんでばうち)の寅吉一座とことごとく対立していた。危機を救ってくれたのが高岡で乗合馬車の御者として働く村越欣弥だった。そのことを忘れられない白糸は、ある夜、金沢を流れる浅野川に架かる卯辰橋(原作では天神橋)で欣弥と再会した。欣弥が金のために学問を断念したことを知った白糸は、自分が仕送りをすることを約束し、欣弥を支援する。欣弥への仕送りはしばらく続くが、人気の低迷とともにそれもままならなくなり、また芸人仲間の若い連れを駆け落ちさせるなどして南京出刃打の恨みを買う。白糸は一座のために高利貸しの岩淵から金を借りたが、300円を持って帰るときに南京にそれを強奪される。岩淵と南京がグルであることを責めようと白糸が岩淵を訪れたところ、誤って岩淵を刺し殺してしまう。白糸は勉学に励む欣弥の元を訪れるがあえなく逮捕。検事は学業を終えて初めて検事席に立つ欣弥であった。拘置所を訪れる欣弥に白糸は正直に裁いて欲しいと懇願し、法廷で切々と真実の大切さを説く欣弥の言葉に白糸は凶行を自白し、舌を噛んで自殺する。その後を追うように欣弥もピストルで己が命を絶ったのであった。
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花房柳外の脚色により、1895年(明治28年)に新派の川上一座が駒形浅草座で藤澤浅二郎の白糸、川上音二郎の欣弥で初演。翌年の暮れ、喜多村緑郎 (初代)が白糸で賞賛を博し、昭和には花柳章太郎、水谷八重子 (初代) へと引き継がれ、新派の当り狂言(歌舞伎狂言)となった。
日活向島撮影所製作、日活配給、細山喜代松監督作品。同撮影所は「日活新派」と呼ばれ、新派の常として、女性の配役は立花貞二郎ら女形が演じた。本作の具体的な出演者名は不明である。本作は、1914年(大正3年)10月、細山喜代松監督の大ヒット作『カチューシャ』と1915年(大正4年)1月の続編『後のカチューシャ』のヒット直後の作品である。
溝口健二監督作品。サイレント映画。88分。5つプリントが現存するが、ラストシーンが欠落したものや、ラストシーンを含むものの欠落や傷が多いものなど、不完全なプリントしか残されていない[2]。このため、フィルムセンターにより欠落部分を補い、ラストシーンを修復したデジタルリマスター版が作成されている[3][4]。
2007年に望月京が付随音楽を作曲。IRCAMフェスティヴァル・アゴラの枠内でルーヴル美術館オーディトリウムで初演された。
このような昔の無声映画に現代の作曲家が新たに音楽を付ける試みは、ここ十数年間[いつ?]毎年ルーヴル美術館で行われているが、日本映画としては初の例である。
マキノトーキー製作所製作、広瀬五郎監督作品。
『滝の白糸』大映製作、依田義賢脚本、野淵昶監督作品。白糸は自殺せず、結末は欣弥と結ばれる。
『滝の白糸』大映製作、島耕二脚本、島耕二監督作品。白糸は無罪となり、欣弥と結ばれる。
1973年、 NET系「女・その愛のシリーズ」中の一作「滝の白糸」として前後二編に分けて放送された。依田義賢脚本、稲垣浩監督、坂田晃一音楽。東映京都製作。
2014年、高岡(高岡市民会館)、金沢(金沢歌劇座)、東京(新国立劇場中劇場)で初演[5]。千住明が作曲をし、俳人の黛まどかが台本を書き、演出家十川稔が演出をした。ソプラノ歌手中嶋彰子が「滝の白糸」役で、初めて日本語オペラに出演した。2015年、金沢(石川県立音楽堂)で再演[6]。
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