渡部高史

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渡部 高史(わたべ たかし、1972年8月27日 - )は、北海道札幌市東区出身の元プロ野球選手投手[1]。左投左打[1]

概要 基本情報, 国籍 ...
渡部 高史
基本情報
国籍 日本
出身地 北海道札幌市東区
生年月日 (1972-08-27) 1972年8月27日(52歳)
身長
体重
178 cm
65 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1990年 ドラフト6位
初出場 1991年10月8日
最終出場 1997年10月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
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来歴・人物

札幌市立陵北中学校から札幌琴似工業高等学校に進学。1990年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから6巡目指名を受けて入団。

プロ1年目の1991年10月8日の阪神タイガース戦で一軍初登板を果たした[2]。ストレートに威力はなかったが、プロ入り前から独自に編み出した[3]という落差が小さく大きく曲がる独特のカーブを武器に、球団名が「横浜ベイスターズ」に変更された1993年には中継ぎとして35試合に登板するなど大きく成長を遂げたが、翌1994年に低迷すると同年オフには飯塚富司伊藤敦規との3対2の交換トレード水尾嘉孝堀江賢治とともにオリックス・ブルーウェーブへ移籍した。

オリックス移籍1年目の1995年には復活を果たして24試合に登板し、防御率も1点台と結果を残してリーグ優勝に貢献したが、1996年以降は2年連続で勝ち星なしに終わり、1997年は10月にわずか2試合登板したのみだった[1]。同年オフには五十嵐章人との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍し[1]、ロッテでは当時不足していた左の中継ぎとして活躍を期待され[4]、横浜時代(1993年・1994年)の監督だった近藤昭仁と再会する形となったが、1998年シーズンは一軍登板がなく同年限りで現役を引退した。

引退後は運送会社に就職した[5]。2003年1月5日に発生した新日本海フェリーすいせん」漂流事故の際には妻・子供4人とともに乗船しており、下船後に『日刊スポーツ』の取材を受けた[2]。関西にて勤務しながら少年野球の指導に関わっている[3]

詳細情報

年度別投手成績

さらに見る 年 度, 球団 ...




















































W
H
I
P
1991 大洋
横浜
20000000------112.110300300000.001.71
1993 353000131--.25028967.05743840492021182.421.42
1994 240000020--.0009719.12731400143021188.382.12
1995 オリックス 241000100--1.00012731.126116001620861.721.34
1996 190000000------10926.1243800151012124.101.22
1997 20000000------81.1212002004427.003.00
通算:6年 1064000251--.286641147.2137128140998066583.531.48
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記録

背番号

  • 61 (1991年 - 1993年)
  • 47 (1994年)
  • 29 (1995年 - 1997年)
  • 34 (1998年)

脚注

関連項目

外部リンク

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