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宮城県石巻市にある大字 ウィキペディアから
渡波(わたのは)は、宮城県石巻市にある大字および地区名(後述)[5]。旧牡鹿郡根岸村端郷渡波町の一部、旧牡鹿郡渡波町根岸・祝田浜・佐須浜の各一部に相当する[5]。郵便番号は986-2235[2]。
石巻市の東部に位置しており、住所表示変更により、2つの飛び地が発生している。これは昭和42年から昭和50年までの度重なる住居表示変更により、渡波町、幸町、塩富町、伊勢町、浜松町、松原町、万石町、三和町、大宮町、後生町、長浜町、新成、さくら町が分離独立したことによる[5]。域内は国道398号、JR石巻線が走っており、渡波駅を中心に栄えている。北部は森林や田畑があり、南部は石巻湾に、東部は万石浦に面している。
祝田(いわいだ)は渡波域内の一地区の名称であり、旧牡鹿郡祝田浜に相当し、万石浦の南岸に位置する[7]。古くは岩井田とも記された[注 1][7]。
安永2年の代数有之御百姓書出によれば、天文年間に肥後国の浪人、佐々木肥後という者がこの地に居住し開墾に着手したことが集落の起源であるとされる[8][9]。江戸期は牡鹿郡浜方狐崎組大肝煎扱いの村で牡鹿郡万御改書上では元禄年間の村高は16石余、人口175人、集落の規模は東西1里15間[注 2]、南北1里1町13間[注 3]であったと記されている[8][10]。
佐須(さす)は渡波域内の一地区の名称であり、旧牡鹿郡佐須浜に相当し、万石浦の入口で石巻湾に面した海岸に位置する[11]。古くは指浜、目指浜とも呼ばれた[11][10]。
宮城県地名考によると佐須とは焼畑のことを指し、焼畑により開拓が進められた土地であったことが地名の由来とされる[11][12]。江戸期は牡鹿郡浜方狐崎組大肝煎扱いの村で牡鹿郡万御改書上では元禄年間の村高は8石余、人口292人、集落の規模は東西15町40間[注 4]、南北3町[注 5]であったと記されている[11][13]。
封内風土記によると、村社は尾崎神社、村寺は曹洞宗柳沢山洞源院であったとされる[11]。尾崎神社付近にはオオバボダイジュ、ケヤキ、カシワ、エゾイタヤなどを混成するイヌシデ林がある[14]。
「渡波」の名の史料上の初見は1698年(元禄11年)5月15日成立の牡鹿郡萬御改書上であるとされる[7]。ただ、1773年(安永2年)3月成立の根岸村端郷渡波町風土記御用書出には、
本町ハ寛永十八年、裏町ハ延宝八年宿場ニ被相立候事
とあるため、元禄の牡鹿郡萬御改書上成立以前の未発見文書資料の存在も考えられる[7]。
根岸村の端郷として扱われていたが、江戸期になると大金寺参詣者のための万石浦-山鳥渡間客船および五十集船の泊地、参詣客や塩田関係者などで賑わう宿場町として繁栄するに従い、根岸村の中心は根岸本郷から端郷渡波へと移っていった[7]。
また、古くは金華山へ参詣するには牡鹿半島を縦断する金華山道で鮎川浜までの10余里を歩く必要があったが、歩き通すのが困難なため、万石浦から船に乗り島へ向かう人も多く、泊地及び宿場町として栄えた。
1960年まで東名塩田(現:東松島市に所在地)とともに県下の二大塩田と呼ばれた渡波塩田があった。渡波塩田は、入浜式塩田に部類され、1626年(寛永3年)に造営された塩田であり、1807年(文化4年)時点で仙台藩領内の産塩高の45%を占めている[15]。その起源は、流留村の菊地与惣右衛門が上方旅行の際に、江戸湾の行徳塩田へと立ち寄り、技術者二名を連れ帰ったことから始まるとされる[15]。
諸説あるが、安永風土記は渡波の名称の由来について
当郡渡波町は奥海入江口波折渡之跡自然と汐干潟陸地ニ罷成、天文年中之此ゟ段々御百姓住居仕候ニ付、波打渡之跡村ニ罷成候間、渡波町と申唱来候由申伝候方
とあり、開発当初は「波打渡の渚村」と呼んだが名前が長すぎたので渡波と改称されたと記されている[7]。
その他、入江を意味するアイヌ語の「ワッタリ」が転訛したことに由来するという説もある[7]。
安永風土記御用書出によると安永2年時点での根岸村端郷渡波町の小字は以下の通りである[29]。
明治期、後に大字渡波となる地域には根岸村、祝田浜、佐須浜が存在していたため、宮城県各村字調書に記載されている根岸村、祝田浜、佐須浜の明治17、18年頃の小字を挙げる[30][31]。
以下の小字の児童は石巻市立万石浦小学校・石巻市立万石浦中学校に進学、それ以外の小字は石巻市立渡波小学校・石巻市立渡波中学校に進学する[32][33]。
2024年(令和6年)5月末時点での域内の人口は以下の通りである[1]。
小字 | 世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|---|
四勺 | 8世帯 | 8人 | 10人 | 18人 |
旭ケ浦 | 149世帯 | 135人 | 157人 | 292人 |
祝田 | 36世帯 | 35人 | 37人 | 72人 |
祝田の壱 | 24世帯 | 32人 | 26人 | 58人 |
卯津木花 | 8世帯 | 8人 | 8人 | 16人 |
大浜 | 1世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
大林下 | 1世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
大森 | 9世帯 | 7人 | 8人 | 15人 |
沖六勺 | 132世帯 | 153人 | 177人 | 330人 |
沖曽根 | 1世帯 | 0人 | 1人 | 1人 |
沖ノ松井 | 2世帯 | 3人 | 4人 | 7人 |
上伊勢谷地 | 2世帯 | 3人 | 2人 | 5人 |
上榎壇 | 17世帯 | 20人 | 24人 | 44人 |
際 | 16世帯 | 13人 | 16人 | 29人 |
際前 | 11世帯 | 8人 | 14人 | 22人 |
栗林 | 3世帯 | 5人 | 3人 | 8人 |
黄金浜 | 594世帯 | 643人 | 618人 | 1,261人 |
小法師 | 10世帯 | 9人 | 12人 | 21人 |
栄田 | 442世帯 | 459人 | 503人 | 962人 |
佐須 | 17世帯 | 17人 | 15人 | 32人 |
佐須藤ケ崎 | 3世帯 | 5人 | 3人 | 8人 |
山居 | 1世帯 | 1人 | 0人 | 1人 |
鹿松 | 22世帯 | 17人 | 26人 | 43人 |
渋井 | 4世帯 | 6人 | 8人 | 14人 |
下榎壇 | 115世帯 | 135人 | 138人 | 273人 |
新千刈 | 110世帯 | 102人 | 119人 | 221人 |
新沼 | 268世帯 | 242人 | 279人 | 521人 |
神明 | 15世帯 | 14人 | 12人 | 26人 |
千刈田 | 9世帯 | 11人 | 9人 | 20人 |
転石山 | 7世帯 | 7人 | 11人 | 18人 |
鳥ノ巣 | 92世帯 | 101人 | 100人 | 201人 |
中三勺 | 81世帯 | 108人 | 107人 | 214人 |
梨木畑 | 83世帯 | 85人 | 57人 | 142人 |
西ケ崎 | 10世帯 | 10人 | 11人 | 21人 |
仁田山 | 1世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
根岸前 | 101世帯 | 105人 | 85人 | 190人 |
念仏壇 | 85世帯 | 92人 | 80人 | 172人 |
橋下 | 4世帯 | 5人 | 6人 | 11人 |
浜曽根の壱 | 21世帯 | 22人 | 18人 | 40人 |
浜曽根山 | 10世帯 | 8人 | 8人 | 16人 |
早坂山 | 1世帯 | 0人 | 1人 | 1人 |
不動下 | 1世帯 | 2人 | 1人 | 3人 |
山崎 | 12世帯 | 18人 | 17人 | 35人 |
合計 | 2,539世帯 | 2,657人 | 2,734人 | 5,391人 |
渡波での東日本大震災の震度は概ね5弱で[34]、域内の犠牲者は230人で石巻市内で最も多かった[35]。また、域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである。
世代と性別 | 犠牲者 | 死亡率 |
---|---|---|
男性 | 96人 | 2.68% |
女性 | 134人 | 3.55% |
15歳未満 | 16人 | 1.42% |
15 - 64歳 | 82人 | 1.78% |
65歳以上 | 132人 | 8.24% |
合計 | 230人 | 3.13% |
渡波地域(わたのはちいき)もしくは渡波地区(わたのはちく)は石巻市渡波支所の管区内にある地域の名前である。石巻市本庁地区のうち、旧渡波町域に概ね相当する。東は万石浦、西は本庁石巻地域、北は本庁稲井地域、南は太平洋に接する。
2022年(令和4年)11月末現在の石巻市の地区別人口では、石巻地域(52,358人、25,975世帯)、蛇田地域(23,833人、10,778世帯)、河南地域(18,553人、7,342世帯)に次いで人口および世帯数が多く、それぞれ、13,961人と6,389世帯を擁しており、人口は本庁地区(人口96,746人)の約14.43%、石巻市(人口137,027人)の10.19%を占め、世帯数は本庁地区(世帯数45,868世帯)の約13.93%、石巻市(世帯数62,278世帯)の10.26%を占める[38]。
伊勢町、浜松町、松原町、大宮町、長浜町、幸町、渡波町、三和町、後生町、宇田川町、万石町、塩富町、渡波、流留、小竹浜、垂水町、新成、さくら町、沢田の一部を範囲とする[5]。
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