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日本の元大相撲力士・元プロレスラー(1917−1980) ウィキペディアから
清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - 1980年10月13日)は、秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代は、身長182cm、体重94kg。得意手は、左四つ、上手投げ、外掛け。最高位は、東前頭筆頭。
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力士時代の清美川 | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 薩摩川 → 清美川 梅之 → 清美川 安兵衛 → 清美川 梅之 | |||
本名 | 佐藤 梅之助 → 大橋 梅之助 | |||
生年月日 | 1917年1月5日 | |||
没年月日 | 1980年10月13日(63歳没) | |||
出身 | 秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市) | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 94kg | |||
BMI | 28.38 | |||
所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 | |||
得意技 | 左四つ、上手投げ、外掛け | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭筆頭 | |||
生涯戦歴 | 147勝139敗1分1預11休(25場所) | |||
幕内戦歴 | 72勝87敗1分10休(13場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1934年1月場所 | |||
入幕 | 1940年5月場所 | |||
引退 | 1946年11月場所 | |||
引退後 | プロレスラーへ転向 | |||
備考 | ||||
金星1個(双葉山1個) | ||||
2019年7月30日現在 |
本名:佐藤 梅之助(さとう うめのすけ)。大相撲廃業後に入婿の形で結婚し、大橋 梅之助(おおはし うめのすけ)が本名となったが後に離婚、佐藤姓に戻している[2]。
同郷の幡瀬川を頼って伊勢ヶ濱部屋に入門し、1934年1月場所で初土俵を踏む。当初の四股名は薩摩川。早くから有望視されるとともに順調に出世し、四股名を清美川と改名。1938年1月場所に十両昇進、1940年5月場所に新入幕を果たした。1942年5月場所には、12日目に横綱・双葉山を外掛けで倒し金星を挙げた[2]。また、1943年5月場所には、11勝4敗の成績で優勝旗手の栄誉に輝いている。
1953年にプロレスへ転向し、山口利夫とともに旧全日本プロレスを旗揚げ。1954年2月には力道山がシャープ兄弟を招聘して開催した日本プロレスの旗揚げシリーズに参加している[2]。1955年からは木村政彦の国際プロレス団に移籍、翌1956年5月15日に木村とのコンビでラウル・ロメロ&ヤキ・ローチャを破り、中南米タッグ王座を獲得した[2]。
団体消滅後は、メキシコ、南米、アフリカ、ヨーロッパなど世界各地を転戦。アメリカのNWAトライステート地区では、戦前に活躍した日本人レスラーのキラー・シクマこと志熊俊一にあやかり、トーゴー・シクマのリングネームで活動[2]。1967年5月16日にはシャチ横内と組んでジャック・ブリスコ&ゴージャス・ジョージ・ジュニアから同地区認定のUSタッグ王座を奪取し、10月7日にダニー・ホッジ&スカンドル・アクバに敗れるまで保持した[3]。戴冠中はホッジとルー・テーズのコンビとも何度となく対戦したという[2]。
1970年に14年ぶりに帰国し、国際プロレスに参戦。以後、当時ホームリングとしていた欧州マットと国際プロレスのパイプ役を担い、マイティ井上や鶴見五郎をドイツのハノーバー・トーナメントにブッキングした[2]。自身も同トーナメントにおいて、1966年、1970年、1973年と通算3回の優勝を果たしている(1970年はレネ・ラサルテスと同率優勝)[4]。
1973年11月の帰国後はレフェリーに転向し、1974年3月19日に蔵前国技館で開催されたアントニオ猪木 vs ストロング小林戦(NWF世界ヘビー級選手権試合)を裁いている。また、全日本女子プロレスのコーチも引き受け、ジャッキー佐藤とマキ上田のビューティ・ペアをトレーニングした[2]。
その後、全日本女子プロレスを引退・退団した阿蘇しのぶらを擁し、女子プロレス団体『ワールド女子プロレス』旗揚げを画策。旗揚げ戦のポスターに自身も登場するなどしたが、諸事情により旗揚げ前に頓挫している[2]。
離婚して家族とは別居していたが、プロレスラーとして長期海外転戦中の1957年4月2日、元妻に引き取られた当時12歳の長男が誘拐・殺害されている。
春場所 | 夏場所 | 秋場所 | ||||
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1934年 (昭和9年) |
(前相撲) | 西序ノ口8枚目 3–2 |
x | |||
1935年 (昭和10年) |
西序二段12枚目 3–3 |
西序二段5枚目 4–2 |
x | |||
1936年 (昭和11年) |
西三段目17枚目 5–1 |
西幕下25枚目 6–5 |
x | |||
1937年 (昭和12年) |
西幕下18枚目 8–3 |
東幕下筆頭 9–4 |
x | |||
1938年 (昭和13年) |
西十両5枚目 5–8 |
西十両11枚目 6–7 |
x | |||
1939年 (昭和14年) |
西十両13枚目 7–6 |
西十両8枚目 8–7 |
x | |||
1940年 (昭和15年) |
西十両筆頭 10–5 |
東前頭17枚目 7–8 |
x | |||
1941年 (昭和16年) |
西前頭18枚目 6–9 |
西前頭20枚目 7–7 1分 |
x | |||
1942年 (昭和17年) |
東前頭12枚目 9–6 |
西前頭2枚目 8–7 ★ |
x | |||
1943年 (昭和18年) |
東前頭筆頭 2–13 |
西前頭14枚目 11–4 旗手 |
x | |||
1944年 (昭和19年) |
東前頭5枚目 2–3–10[5] |
西前頭15枚目 6–4 |
西前頭12枚目 6–4 |
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1945年 (昭和20年) |
x | 東前頭6枚目 2–5 |
東前頭9枚目 3–7 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | 東前頭14枚目 引退 3–10–0 |
|||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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愛知山 | 0 | 2 | 青葉山 | 1 | 2 | 葦葉山 | 2 | 0 | 東冨士 | 1 | 1 | |||
綾若 | 2 | 2 | 有明 | 3 | 0 | 大岩山 | 1 | 0 | 大熊 | 0 | 1 | |||
大ノ海 | 1 | 2 | 海山(神風) | 0 | 4 | 笠置山 | 0 | 1 | 鹿嶋洋 | 1 | 2 | |||
柏戸 | 4 | 0 | 九州山 | 1 | 0 | 九ヶ錦 | 3 | 1 | 九州錦 | 0 | 1 | |||
高津山 | 2 | 1 | 琴錦 | 0 | 4 | 小松山 | 3 | 2 | 駒ノ里 | 2 | 0 | |||
佐賀ノ花 | 0 | 2 | 相模川 | 2 | 1 | 櫻錦 | 1 | 1 | 四海波 | 0 | 2 | |||
鯱ノ里 | 1 | 1 | 神東山 | 0 | 2 | 大邱山 | 2 | 0※ | 立田野 | 3 | 0 | |||
玉ノ海 | 1 | 1 | 鶴ヶ嶺 | 4 | 2 | 輝昇 | 1 | 3 | 出羽湊 | 0 | 1 | |||
十勝岩 | 0 | 1 | 十三錦 | 1 | 2 | 豊嶋 | 0 | 1 | 名寄岩 | 1 | 2 | |||
羽黒山 | 0 | 1 | 常陸海 | 1 | 0 | 藤ノ里 | 3 | 0 | 双子岩 | 0 | 1 | |||
二瀬川 | 2 | 3 | 双葉山 | 1 | 2(1) | 双見山 | 0 | 2 | 不動岩 | 0 | 2 | |||
前田山 | 0 | 2 | 増位山 | 0 | 2 | 松ノ里 | 3 | 1 | 松浦潟 | 1 | 2 | |||
三根山 | 0 | 3 | 緑國 | 1 | 0 | 緑嶋 | 1 | 1 | 陸奥ノ里 | 0 | 3 | |||
八方山 | 2 | 0 | 倭岩 | 1 | 1 | 大和錦 | 1 | 0 | 力道山 | 0 | 1 | |||
龍王山 | 1 | 0 | 両國 | 2 | 2 | 若潮 | 1 | 3 | 若港 | 3 | 0 |
※他に大邱山と引分が1つある。
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