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日本のサッカー選手 ウィキペディアから
清本 拓己(きよもと たくみ、1993年6月7日 - )は、岐阜県関市出身のサッカー選手。Jリーグ・FC大阪所属。登録ポジションはミッドフィールダー。
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名前 | ||||||
カタカナ | キヨモト タクミ | |||||
ラテン文字 | KIYOMOTO Takumi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1993年6月7日(31歳) | |||||
出身地 | 岐阜県関市 | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FC大阪 | |||||
ポジション | MF | |||||
背番号 | 27 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2013-2016 | FC岐阜 | 19 | (0) | |||
2014-2015 | →Jリーグ・アンダー22選抜 | 4 | (0) | |||
2016 | →大分トリニータ (loan) | 29 | (7) | |||
2017-2018 | 大分トリニータ | 29 | (5) | |||
2019 | 江原FC | 0 | (0) | |||
2019-2021 | 藤枝MYFC | 30 | (6) | |||
2022-2023 | FC大阪 | 13 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
5歳の時に下有知サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、中学時代はF.C.フォレスタ関ジュニアユースに所属[2]。関商工高校では入学直後からレギュラーとなり、2年時に岐阜県新人大会で優勝。3年時、岐阜県G1リーグで14試合14得点を挙げ得点王となり、岐阜県ベストイレブンにも選ばれた[3]。
関商工の監督とフェイエノールトの育成責任者であるステンリー・ブラードが親しかったことから、2011年夏にオランダへ渡り、フェイエノールトのアカデミーの練習に参加。コーチのロイ・マカーイらから指導を受け、ドリブル重視だったプレーの幅が広がった[2]。2012年1月に再度練習参加した際、練習試合でゴールを決め評価を高めた[2]。その後SBVエクセルシオールに正式に選手登録。6月、19歳になったところで、プロかアマチュアのチームのどちらかと契約しなければならない年齢となり、フェイエノールトのアマチュアチームと契約してプレーしたが、トップチーム昇格はかなわなかった[2][4][5]。
2013年の地元のFC岐阜トップチームセレクションに合格し、岐阜に入団[6]。2014年7月、Jリーグ・アンダー22選抜に選手登録された[7]。
2016年、大分トリニータへ期限付き移籍。同シーズンはJ3リーグでのプレーとなったが、開幕戦より右SHのポジションでスタメンを獲得し以後シーズンを通してポジションを守り切り計27試合で先発出場。Jリーグ初得点を含む7得点をマークし大分のJ3優勝、J2昇格に貢献した。同年末に開催されたJリーグアウォーズにおいてはMYアウォーズのJ3リーグ部門ベストイレブンに選出された[8]。
2017年、大分に完全移籍。開幕から2節連続で途中交代から出場機会を得ていたが、3月6日に行われたトレーニングマッチにて負傷。右膝前十字靭帯損傷と診断され全治約8か月の大怪我となった[9]。一時は「シーズン終了までに間に合わないのではないか」という思いを持ちながらも[10]諦めずにリハビリを続け、シーズン終了前に怪我を完治させた[11]。監督の片野坂知宏の「リハビリしているところを見てきたし、選手たちもわかっている」という判断の元、最終的には片野坂の独断[10]によりシーズン最終節のホーム・ロアッソ熊本戦で第2節以来のベンチメンバー入り。0-1のビハインドで迎えた後半39分に岸田翔平との交代で259日ぶりに公式戦復帰を果たすと、その1分後に川西翔太のクロスをジャンピングボレーで合わせ、1-1の同点となるゴールを記録[11]。その後後藤優介がPKで勝ち越し弾を決め2-1となり逆転勝利を収め、清本は当試合のマン・オブ・ザ・マッチに選出された。最終的に同年の出場時間数は16分間となったが、同年の1得点あたりの出場時間はリーグ最少であった[12]。
2018年は主に途中出場によりリーグ戦26試合に出場。第8節・京都戦では後半43分に決勝点となるゴールを奪い[13]、ホーム最終戦の第41節・金沢戦ではフリーキックのキッカーを務め鈴木義宜の得点をアシストする[14]などJ1昇格を果たしたチームにおいて活躍を見せたが、シーズン終了後契約満了により大分を退団した[15]。同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[16]。
2019年1月、Kリーグ1の江原FCに移籍[17]。同年7月31日に藤枝MYFCへ完全移籍により加入すると発表された[18]。2021年11月30日、契約満了による退団が発表[19]。 同年12月10日には、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[20]。
2022年7月13日、FC大阪への加入が発表された[21]。
FC大阪がJ3に加盟した開幕前の2023年2月に右膝前十字靭帯断裂で全治7ヶ月~8ヶ月の怪我を負った[22]。2023年をもってFC大阪を退団[23]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | 岐阜 | 25 | J2 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | |
2014 | 22 | 0 | - | 1 | 0 | 23 | 0 | ||||
2015 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | ||||
2016 | 大分 | 15 | J3 | 29 | 7 | - | 1 | 0 | 30 | 7 | |
2017 | J2 | 3 | 1 | - | 0 | 0 | 3 | 1 | |||
2018 | 26 | 4 | - | 1 | 0 | 27 | 4 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | 江原 | 15 | K1 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | 3 | 0 | |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2019 | 藤枝 | 34 | J3 | 9 | 2 | - | - | 9 | 2 | ||
2020 | 14 | 3 | - | - | 14 | 3 | |||||
2021 | 41 | 7 | 1 | - | - | 7 | 1 | ||||
2022 | FC大阪 | 43 | JFL | 11 | 1 | - | - | 11 | 1 | ||
2023 | 27 | J3 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | |||
通算 | 日本 | J2 | 76 | 5 | - | 2 | 0 | 78 | 5 | ||
日本 | J3 | 61 | 13 | - | 1 | 0 | 62 | 13 | |||
日本 | JFL | 11 | 1 | - | - | 11 | 1 | ||||
韓国 | K1 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | 3 | 0 | |||
総通算 | 148 | 19 | - | 6 | 0 | 154 | 19 |
その他の公式戦
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