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日本の新潟県長岡市にある米菓メーカー ウィキペディアから
浪花屋製菓株式会社(なにわやせいか、英: Kakinotane-Naniwayaseika Co.,Ltd.)は、新潟県長岡市に本社を置く米菓製造企業。米菓「柿の種」を生み出した[1][2]。
2023年(令和5年)6月1日に新潟県小千谷市の阿部幸製菓が設立する新会社に事業譲渡[3]。新会社が「浪花屋製菓」の名称と全事業を引き継ぐことになり阿部幸製菓のグループ会社となった[4]。
1923年(大正12年)に創業者の今井與三郎が現在の長岡市四郎丸にせんべい屋として開業する[5]。その頃、昔ながらのうるち米でせんべいを作っていた與三郎のもとに当時與三郎の店に取り引きで出入りしていた関西出身の青年が、もち米からあられを作る製法を教えたことがきっかけで「柿の種」の基礎を発案[6]。独特のあの三日月型は、せんべい用の小判型の型を與三郎の妻が踏みつけて変形させたことから誕生したと伝えられている[6][7]。
その後、試行錯誤を繰り返し、翌々年の1925年(大正14年)に大阪のあられ作りを指南した関西出身の青年に敬意を払い、屋号を浪花屋とし、柿の種を商品化[6]。発売と同時に爆発的なヒットとなったといわれている[6]。「柿の種」の名前の由来は、とある取引先の主人が「こんな歪んだ小判型はない。形は柿の種に似ている」といわれ、そのヒントから名付けられた[7]。
1948年に浪花屋産業株式会社を設立。菓子の他にパンや食料品の製造も開始し本格的な食品メーカーに移行するが、翌1949年には浪花屋製菓に商号を変更し、以後米菓専業となる。
1969年には本社工場を長岡市学校町から同市の摂田屋へ移転した。
2023年6月1日に阿部幸製菓が設立する新会社に事業譲渡[3]。新会社が「浪花屋製菓」の名称と、商品や工場、従業員も含めた全事業を引き継ぎ、阿部幸製菓のグループ会社となった[4]。
1961年、新潟のお土産としてベストセラーとなる「柿の種進物缶」の製造を開始。1999年には柿の種をチョコレートでコーティングした「柿チョコ」を発売している。
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