浜田駿吉
日本のフィールドホッケー選手、実業家 ウィキペディアから
日本のフィールドホッケー選手、実業家 ウィキペディアから
浜田 駿吉(はまだ しゅんきち、1910年(明治43年)10月19日 - 2009年(平成21年)12月7日)は、兵庫県神戸市生まれのフィールドホッケー選手、実業家[1]。出身は同県の西淡町(現南あわじ市)[2]。オーエム製作所の会長や大和紡績(現在のダイワボウホールディングス)の常務などを務めた[3]。1933年慶應義塾大学経済学部卒業。。
中学校3年時より慶應義塾普通部へと転入、その後ホッケーを始め慶應義塾大学在籍時には日本代表へと選出された。1932年にはロサンゼルスオリンピックに代表選出されゴールキーパーとして出場、出場した3チーム中2位で銀メダルを獲得した[1]。社会人となった1936年ベルリンオリンピックにも出場したが、予選リーグで敗退している[1]。
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