水野貴史

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水野貴史

水野 貴史(みずの たかし、1972年11月2日 - )は、地方競馬浦和競馬場調教師。かつては騎手として、同競馬場の他高崎競馬場で活動していた。父は高崎競馬場の元調教師水野清貴双子の兄は日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師・水野貴広

概要 水野貴史, 基本情報 ...
水野貴史
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基本情報
国籍 日本
出身地 群馬県
生年月日 (1972-11-02) 1972年11月2日(52歳)
血液型 A型
騎手情報
所属団体 埼玉県浦和競馬組合
所属厩舎 高崎・水野清貴(1990.4.10 - 2004.12.31)
浦和・濱村恵(2005.4.8 - 2006.x.x)
浦和・小嶋一郎(2006.x.x - 2013.5.31)
勝負服 胴黄・緑二本輪、袖緑
初免許年 1990年
免許区分 平地
通算勝利 地方16590戦2075勝、中央108戦1勝
調教師情報
初免許年 2013年6月1日
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来歴

1990年4月10日に高崎競馬場所属騎手としてデビューし、4月11日にデビュー8戦目で初勝利を挙げる。兄より騎手デビューは早かった。

1991年8月4日高知競馬場で行われた第6回全日本新人王争覇戦出場(10頭立て3着)[1]。10月には群馬記念を勝ち、初重賞制覇と通算100勝を同時に達成した。

1996年からは高崎リーディングジョッキーの常連となる。10月6日毎日王冠でJRA初騎乗し、12番人気だったダンディテシオで11着だった。

2002年4月21日京都競馬場第12レースを15番人気だったブランニューカラーで勝利し、JRA初勝利を挙げた。2007年9月時点で唯一のJRAでの勝利となっている。この年は857戦155勝で北関東のリーディングジョッキーとなる。

2003年、948戦148勝で2年連続で高崎のリーディングジョッキーとなる。

2004年12月31日の開催を最後に高崎競馬場が廃止される。1061戦137勝を挙げ最後の高崎でのリーディングジョッキーとなった(3年連続)。

2005年、北関東から南関東に移籍し、4月8日付で浦和競馬場の浜村恵厩舎所属となる。4月16日に移籍後初騎乗となった浦和競馬第1競走では3着となり、同日第10競走で勝利し、移籍後初勝利を挙げた。

2007年2月20日大井競馬場で行われたフォーチュネイト水仙特別で、兄の管理馬であるリアルファンタジーに騎乗し7着となる。このレースは兄にとって地方競馬への初出走だった。6月23日から7月21日まで武者修行の為にオーストラリアに遠征し、メルボルン地区にあるバララット競馬場を中心にパケナム競馬場サンダウンパーク競馬場などで騎乗。6月28日にバララット競馬場で遠征後初騎乗で初勝利を挙げている。遠征時には、現地で開業している繁実剛調教師に世話になった。

2008年12月24日、浦和競馬の第19回オーバルスプリントをトーセンラヴで優勝[2]し、南関東移籍後初重賞制覇。

2013年5月31日、平成25年度第1回調教師免許試験に合格したのに伴い騎手を引退。引退間近の3月23日には、自ら志願して廃止前日の福山競馬場にスポット参戦した[3]。翌6月1日付けで調教師となった。

2016年3月16日大井・京浜盃をタービランスで制し、調教師としての重賞初勝利[4]

主な騎乗馬

  • カツサニー(1991年群馬記念
  • デルマキングオー(2000年・2001年高崎大賞典、2001年開設記念【高崎】、高崎記念ほか)
  • メモリーブロンコ(2002年北関東ダービーほか)
  • テンリットル(2002年 - 2003年高崎大賞典ほか)
  • タイガーロータリー(2003年北関東ダービー、北関東菊花賞ほか)
  • トーセンラヴ(2008年オーバルスプリント)
  • ドラゴンウィスカー(2011年ニューイヤーカップ

主な管理馬

出典:[5]

厩舎所属者

  • 福原杏(騎手、2019年 - )
  • 高橋哲也(騎手、2023年4月1日 -)

太字は門下生

脚注

関連項目

外部リンク

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