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日本の指揮者 ウィキペディアから
長崎県雲仙市生まれ。3歳で千葉県習志野市に移る。9歳でピアノを始め、中学3年生のときに船橋吹奏楽団に所属し、トランペットを担当する[1]。その後、桐朋学園大学に進み、斎藤秀雄、戸田邦雄、小倉朗らに学ぶ。1976年、チェコのプラハに渡り、ズデネェク・コシュラー、ヴァーツラフ・ノイマン、ヴァーツラフ・スメターチェクに師事。また、長きに亘り交流のあったスメタナ弦楽四重奏団からも多くの影響を受ける。
1986年にプラハ放送交響楽団の客演常任指揮者に就任[2]、1990年には同団を率いて“プラハの春”国際音楽祭に出演[3]。また、1997年以降、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団およびプラハ合唱団を率いてドイツ、オランダ、ベルギーへ演奏旅行を行い、その公演回数は現在までに100回を超える。1995年にはフランクフルト放送交響楽団を指揮。同年カーネギー・ホールにてベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」を演奏する[4]。特に現在まで拠点を置くチェコやスロヴァキアにおいては、これまでにカルロビ・ヴァリ交響楽団を除く全てのオーケストラを指揮している。
1986年のサントリーホール・オープニングシリーズにおいてプラハ放送交響楽団を指揮して日本デビューを果たすと、さらにスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団(1987年、1999年・スロヴァキア・フィル創立50年記念)、プラハ放送交響楽団(1992年、1994年)、スイス・ルツェルン交響楽団(2007年)など、度々ヨーロッパのオーケストラを率いて来日したほか、室内オーケストラの宝庫でもあるチェコやスロヴァキアからターリッヒ室内管弦楽団、チェコ国立パルドゥビツェ室内管弦楽団、スロヴァキア・フィル室内合奏団等々と定期的に来日公演を続けている[3]。
日本のオーケストラでは、札幌交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、九州交響楽団など、多くのオーケストラを指揮。特に名古屋フィルハーモニー交響楽団とは強い信頼関係を築いており、これまでに首席客演指揮者(1996-1998)、客演常任指揮者(1998-2001)、客演指揮者(2001-2005)を10年にわたって歴任したほか、2004年には同団を率いて2度目となる“プラハの春”国際音楽祭に出演している[3]。また、アマチュアオーケストラにも度々客演し、2018年、東京大学管弦楽団との国内演奏旅行を指揮するなど、市民や青少年オーケストラの育成指導にも積極的に取り組んでいる[1]。
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