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日本のプロ野球選手 (2001-) ウィキペディアから
武内 夏暉(たけうち なつき、2001年7月21日 - )は、福岡県北九州市八幡西区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
北九州市立折尾東小学校で3年生の時に東筑ファイターズで野球を始める。当時のチームメイトには武藤敦貴がいた[2]。折尾愛真中学校では軟式野球部に所属していた[3]。
福岡県立八幡南高等学校に進学し、1年秋から一塁手でベンチ入り。2年春から投手に転向し、同年秋からエースを務めた[3]。高校時代は甲子園大会への出場はなく、3年夏は福岡大会3回戦で敗退した[3]。
高校卒業後は國學院大學に進学。2年秋に出場した明治神宮野球大会にて、九州産業大学との2回戦で公式戦初先発登板すると、8回二死までパーフェクトに抑える好投で無四球完封勝利を記録し、注目を集めた[4][5]。3年秋のリーグ戦では4勝0敗、防御率0.68を記録して優勝に貢献し、MVPを受賞した[4]。4年時の2023年には日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された[6]。
2023年9月13日にプロ志望届を提出すると[7]、ドラフト会議前の10月24日に埼玉西武ライオンズ、25日に福岡ソフトバンクホークスが1位指名を公表[8][9]。迎えた26日のドラフト会議では公表通りの両球団と東京ヤクルトスワローズの合計3球団から1位指名を受け、抽選の結果西武が交渉権を獲得した[10]。11月16日に契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1600万円で仮契約を結んだ(金額は推定)[1]。背番号は18も候補として提示されたが、21を選択した[11]。担当スカウトは十亀剣[12]。
2024年は春季キャンプをA班でスタートし[13]、オープン戦では2試合に登板[14][15]。開幕ローテーション入りを果たし、開幕5試合目のオリックス・バファローズ戦でプロ初登板初先発となり[16]、7回1安打2四球7奪三振無失点の好投[17]でプロ初勝利を挙げた[注 1]。続く4月10日の千葉ロッテマリーンズ戦でも勝敗こそ付かなかったが、7回2失点と好投[19]。ただ、週5試合が続く変則日程に加え[20]、右肩の張りで出遅れていた髙橋光成が復帰するチーム事情があり[21]、武内は翌11日に出場選手登録を抹消された[22]。4月24日のオリックス戦に先発して[23]以降は先発ローテーションの一角を担い、5月19日の福岡ソフトバンクホークス戦では完封をかけ、志願して9回裏のマウンドに上がったが、投球練習時に左もも裏を攣り、先頭打者に安打を許した直後に牽制球を投じたところで緊急降板[24]。後を受けたアルバート・アブレイユが逆転サヨナラを許し、武内は8回0/3を1失点で勝敗は付かなかった[25]。翌20日に登板間隔を空ける目的で出場選手登録を抹消されたものの[26]、5月30日の中日ドラゴンズ戦に先発し、6回途中無失点で無傷のシーズン4勝目[27]。5月は4試合の先発登板でリーグトップタイの3勝(0敗)、リーグトップの防御率0.63と好成績を収め[28]、自身初の月間MVPを受賞した[注 2]。ただ、6月3日の練習後に発熱し、新型コロナウイルス感染が確認されたため、翌4日にNPB感染症特例で登録抹消となり[30]、6月19日の二軍戦で実戦復帰[31]。同26日の北海道日本ハムファイターズ戦で一軍復帰を果たすと[32]、7月4日のソフトバンク戦では8回無失点と好投し、開幕から無傷の5連勝を記録した[33]。ただ、同12日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では2-2とチームが同点に追いついた直後の7回裏[34]、先頭打者の浅村栄斗に決勝のソロ本塁打[35]を被弾し、7回3失点でプロ初黒星を喫した[34][36]。後半戦は登録抹消されることなく先発ローテーションを回ったが、8月は2試合連続6失点があったなど[37]月間防御率4.88、9月8日のソフトバンク戦で自身4連敗と苦戦が続いた[38]。ただ、続く同16日のロッテ戦では8回無死まで完全投球を続け[39]、9回3安打1四球6奪三振無失点[40]の好投でプロ初完投初完封勝利[41]。ルーキーイヤーは一軍で規定投球回に到達し、21試合の先発登板で10勝6敗・防御率2.17と好成績を収めた[42][注 3]。
持ち球は最速154km/h[44]のストレート、スライダー、カーブ、チェンジアップ、ツーシーム[45]。本人が「自分の強みはコントロール。特に左打者のインコースへの制球は負けない」と話した[46]左打者の内角を突ける[47]コントロールが最大の武器である左腕[48]。
テイクバックで左腕が見えなくなるという、タイミングを取りづらい投球フォーム[47]から多彩な球種をコントロールよく投げ込み、打者を打ち取る投球スタイルである[49]。
福岡県出身で幼少期から福岡ソフトバンクホークスのファンで、野球を始めた小学3年時から大学進学で上京するまでの約10年間ファンクラブに入会していた[50]。憧れの選手は和田毅[50]。
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