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日本の作曲家 ウィキペディアから
武井 守成(たけい もりしげ、1890年(明治23年)10月11日[1] - 1949年(昭和24年)12月14日[1])は、日本の作曲家、指揮者。男爵。宮内官僚。
父は元姫路藩士で、貴族院勅選議員や枢密顧問官に親任され男爵を授けられた武井守正。武井守正が第2代知事として鳥取県に赴任していたときに、二男として鳥取市で生まれた。
1903年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1909年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1913年、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)イタリア語科を首席で卒業した[1]。イタリアに留学後[2]、1917年に宮内省に式部官として入省[1]。1921年に楽部長を兼任[1]。その後、式部職儀式課長を経て、1941年より式部次長。1945年7月には式部長官(翌年「式部頭」と改称)に就任し、1947年3月まで務めた。
東京外国語学校在学中の1911年にイタリアに留学[1]し、そこでギターとマンドリンに出会った。帰国後、1915年マンドリンオーケストラ『シンフォニア・マンドリニ・オルケストラ』(1923年『オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ』(OST)に改称)を主宰し[9]、マンドリン合奏曲・ギター独奏曲の作曲家として活動。OSTに指揮者として大沼哲・菅原明朗を招いている。また雑誌『マンドリンギター研究』を発刊[1]し、1923年にはマンドリン合奏コンクールを、1924年には作曲コンクールを、1927年にはマンドリンオーケストラ作曲コンクールを開催[1]し、マンドリン・ギター音楽の発展に尽力した。
1952年には武井の業績を記念して、ギター作品を対象とする武井賞が創設されている。
武井領八━━武井守正━━武井守成
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