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日本の江戸時代後期の大名。三河奥殿藩6代藩主松平乗羨長男で、奥殿藩7代藩主。真次流大給松平家10代当主。従五位下石見守。日光祭祀奉行・江戸城御門番・大坂加番等を歴任 ウィキペディアから
松平 乗利(まつだいら のりとし)は、江戸時代後期の大名。三河国奥殿藩7代藩主。真次流大給松平家10代。官位は従五位下・石見守。
文化8年(1811年)3月18日、6代藩主・松平乗羨の長男として江戸で誕生した。文政10年(1827年)10月16日、父の死去により家督を継ぐ。文政11年(1828年)10月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・石見守に叙位・任官する。幕命により日光祭祀奉行・大坂加番・江戸城御門番役などを歴任した。
藩政では文武を奨励し、藩校・明徳館を設立する。また藩財政の悪化で5ヵ年にわたる倹約令などを出したが効果はなく、天保7年(1836年)9月に三河加茂郡を中心とした加茂一揆が起こっている。しかし天保の大飢饉では万全の備蓄体制を施していたことにより、餓死者を出さなかった。
嘉永5年(1852年)3月5日に隠居する。家督は3月7日に長男の乗謨が継いだ。嘉永7年(1854年)8月27日に死去する。享年44。
一説には乗利は傀儡の藩主であり、実際の藩政は一族の永井尚志(5代藩主松平乗尹の子で、乗利の従叔父にあたる)によって行なわれていたとされている。
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