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李承浩
韓国のプロ野球選手 ウィキペディアから
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李 承浩(イ・スンホ、1981年9月9日 - )は、韓国出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
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経歴
第一次SK時代
1999年の1次ドラフトでサンバンウル・レイダースから指名されたが、同年限りでサンバンウルが経営難により解散となった。サンバンウルの選手保有権は、2000年に創設された新球団SKワイバーンズに譲渡されたため、李承浩もSKに入団することになった。
同年高卒新人ながら先発で活躍し10勝をあげ、球団創設初年度のチームの弱体投手陣を支え、同年のシドニー五輪野球韓国代表、2002年釜山アジア大会野球韓国代表にも選ばれた。
2004年にはSKの左のエースとして活躍し、自己最多の15勝をあげた。
しかし肘の故障に悩まされ手術を受け、2006年から2007年にかけて1軍登板がなかった。
2008年に中継ぎとして復活し、4年ぶりの勝利を記録した。このアジアシリーズの埼玉西武ライオンズ戦では、7回から9回までの3回を無失点に抑え勝利に貢献した。
2009年は第2回WBCの韓国代表に選ばれ、主に左のワンポイントとして起用された。この年のレギュラーシーズンから同僚として名前の読みが同じ李丞鎬(イ・スンホ、이승호)が移籍し、話題となった(なお左腕投手の2人は過去に何度か先発として直接対決をしたことがある)。同年自己最多の68試合に登板し、左のリリーフの中心として活躍した。
2010年は当初抑えとして20セーブを記録したが、後に先発へ転向し活躍した。
ロッテ時代
同年11月22日にロッテ・ジャイアンツに4年契約で移籍した。彼の補償選手には許埈赫が選ばれた[1]。
2012年は41試合に登板し、ポストシーズンにも出場。
NC時代
2012年11月、2013年より一軍へ新規に参加する新球団NCダイノスの特別指名を受け移籍し、たった1年でロッテを去った。
NCでは登板機会が少なくなり、2014年は一軍登板がなかった。
第二次SK時代
二軍暮らしが長くなり一軍エントリーに入ったのはシーズン終幕寸前の10月8日にずれこんだ上に登板のチャンスは与えられず、同年限りで引退を発表した[4]。
引退後
2020年よりコーチとしてSKに復帰した。
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詳細情報
年度別投手成績
- 太字はリーグ最高
背番号
- 20 (2000年 - 2015年)
- 21 (2016年)
- 91 (2020年 - )
タイトル・受賞経歴
- 最優秀新人(2000年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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